呑み干すいのち

神楽坂

吞み干すいのち

 拓巳の葬式が終わり、家に着いたときには私の体の中には何も残っていなかった。

 自分は風船なのではないか。薄い膜が一枚あるだけで、その中には冷たい空気だけが充満している。口を開けば空気が抜けて、私の体が勢いよく縮小し、びらびらとした膜だけが玄関にはたりと落ちる。そうなってくれればどれだけ楽だろうか。いっそのことつまようじを刺して破裂させてしまいたい。

 塩を振る気力もなく、靴を脱ぐ。ぎし、と床が鳴る。

 喪服に染み付いた線香の匂いが鼻を掠める。自分の部屋の匂いはまったく感じない。その線香の匂いだけが異質だった。匂いによって日常から切り取られる私の身体。異質さを身に纏いながらソファに腰掛ける。

 正面のテレビの液晶画面に私の身体がぼんやりと映る。曖昧な母線、色合い。ただ黒い物体がソファの上に所在なさげに乗っているように見える。実際、私の身体はテレビの黒い画面の私のように曖昧になっているかもしれない。線香の匂いと一緒に、この部屋の空気に溶け出しているのかもしれない。脳が情報を処理できない。

 私は自分の頰を触る。冷たい感触。掌から私の身体の感覚が私の身体に伝わる。「いる」だけでは自分の存在を確認できない。自分で自分を触っていないと、その身体を実感できない。もう私の身体を触る拓巳はいない。拓巳が私を触り、私が拓巳を触ることでお互いの身体と世界を繋ぎ止めていた。拓巳がいなければ、私の身体は世界に定着しない。

 頰を触っていた左手を顔の前に持ってくる。薬指には白い指輪が巻きついている。シンプルで、無表情な指輪。絆であり、絆し。

 拓巳とこの指輪を買いに行ってから三年が経つ。お互いアクセサリを身につけないこともあり、結婚指輪にもこだわりはなかった。別に要らないんじゃないか、と先に言ったのは私だった。拓巳はでも証拠がほしいよ、と照れ臭そうに言った。私よりも目に見えるものに対する執着は強かった。

 ただ、私の脳内には二人で初めて結婚指輪をしたときの光景よりも、やせ細った拓巳の左手にぶらさがっていた指輪の光景の方が強く焼き付いている。指輪と指の隙間は日に日に広がっていった。私はそこから目を背けたかったが、見ないようにすればするほどその隙間に私の視線が吸い込まれていった。拓巳が喋れなくなってからは、身体と金属の間に潜む虚無ばかり見ていた。

 これからどうすればいいのだろう。

 拓巳が息を引き取ってから、初めてその疑問が浮かんだ。

 形のない疑問として体内を漂っていたのかもしれないが、言葉という像として結ばれ、やっと自覚された。

 拓巳が死んだことによる事務手続きもまだ残っている。保険会社への連絡、寺との今後の遺骨管理に関する打ち合わせ、拓巳の友人との関係処理、役所への相続関係の書類提出、銀行口座の解約、不動産の名義変更、ローンの支払いの計画変更や、売却の相談、私や拓巳の両親との話し合い。風船の私がこなさなければならない雑務は山のように残っている。これくらい代わりにあの世でやってくれればいいのに。自分にかけた保険金くらい自分で取りに行ってほしい。

 ただ、そんな目先のことではない。

 これからの人生を、私はどう過ごせばいいのだろう。

 夫と死別した妻など、もちろん私だけではない。突然の死、非業の死を経験した人だっているはずだ。その人たちもその人たちなりに伴侶の死を乗り越え、それからも自分の人生を歩んでいこうとしていた。

 他者の死というのは乗り越えられるものなのだろうか。自分の死は乗り越える必要ない。死んでしまえば死を乗り越えるための私はもうこの世にいないわけだから、乗り越えられない。自分の死は自分では経験できない。私が経験できるのは他者の死だけだ。ただ、経験できることと乗り越えられることは別の問題だ。乗り越えるってどういうことだろう。忘れることとは別なのだろうか。

 私はまた誰かを好きになり、誰かと一緒になり、誰かの身体を触って誰かに身体を触られることで世界に定着するような生活を送るようになるのだろうか。

 拓巳の分も生きてくれ。

 あなたが精一杯生きてくれることで、拓巳は救われる。

 いろんな言葉が私に浴びせられた。どれもこれも比喩だった。虚構だった。拓巳はもういないし、私が生きても、拓巳が生きていることにはならない。

 窓に視線を移すと、窓が開いていることに気づいた。ソファから立ち上がり、窓を閉めようと手をかける。

 ベランダの隅に、プランターが置かれている。

 茶色い、小型のプランター。

 網戸越しに見えるプランターからは、青々とした茎が上に伸び、葉を広げている。

その葉の間から、真っ赤なプチトマトが顔を見せる。

 網戸を開けて、ストッキングのままベランダに出る。

 日差しが喪服を焼く。膝を曲げ、真っ赤な実に手を伸ばす。

 つるりとした感触がかさついた手から伝わる。葉の影から掬い上げると、その真っ赤な皮膚で日差しを反射する。

 拓巳は毎朝起きると必ず家庭菜園のプランターに水をやっていた。休日にはホームセンターに赴いて肥料を調達し、土に混ぜた。衰弱し、やせ細り、口を半開きにさせ、目を閉じることもできずにただ横たわる拓巳の姿ではなく、生き生きとスコップを持って苗を植える拓巳の姿が私の網膜の裏に映し出された。プチトマトの赤が、拓巳の命を照らす。

 拓巳、と名前を呼んだ。

 拓巳が入院して水をやる人がいなくなっても、植物は成長し、実をつける。紛れもなく、生命だった。

 私は一つ果実を茎からもぎとる。小さな実。私は人差し指と親指で、その実を潰した。実から赤い液体が迸る。私の白い手を染める。手から果汁が滴り、ストッキングを濡らす。乾いた私の身体に、染みる。

 潰した果実を、口に含む。口の中に酸味が広がる。噛めばまた果汁が滲み、口を潤わす。手に伝った果汁を舌で舐めとる。全てを口に含む。喉に流し込む。喪服の黒に、赤が映える。もう一つ果実をもぐ。口に含む。歯で潰すと、口いっぱいに果汁が広がる。トマトの血液が、私の口を満たす。ぺたりと膝をついてプランターに両手を伸ばす。

 果実を次々に口に含んでいく。口の端からは果汁がこぼれる。こぼれては手で掬い、口に戻す。そのときに涙も共に口の中に含む。涙の塩気と、トマトの酸味が絡み合う。涙と、トマトを食べる。飲み干す。吞み下す。

空っぽだった、風船だった私の身体に、真っ赤な液体が流れ込み、循環し、新しい血肉を作っていく。身体の中から、私の外の膜を押し広げようとする力を感じる。

それは、拓巳だった。

生きていた拓巳は、私の身体を外から触ることで、私の身体を定着させた。

死んだ拓巳は、私の内部から私の身体を作り上げて、私を定着させる。

 私は最後の果汁を飲み干し、はぁ、と大きく息を吐いた。

 簡単なことだった。

 食べることが、生きることだった。

 乗り越えるんじゃなくて、食べる。食べて、食べ尽くす。

 唇に残った果汁を舌で舐めとり、空を眺めた。誰しもが認める夏だった。

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呑み干すいのち 神楽坂 @izumi_kagurazaka

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