世界にありふれたいくつかの。

篠岡遼佳

世界にありふれたいくつかの。

 丸いガラスの一輪挿しに、明るい黄色の花が咲いている。

 午後の光射すテーブルの上、まるで平和そのもののようだ。


 私は時計を確認すると、もう一度居住まいを正して、それを待った。



「すみません! お待たせしました!」


 部屋のドアを開けて言うのは、見知った男性だ。

 彼はロウ・アネーグ。元・鍛冶屋さんだ。

 私は出来るだけ清楚に微笑み、

「いいえ、ちゃんと時間どおりですよ。ロウさんは遅刻しませんから」

「待っていてくださってるのがわかっていますから」

 彼の誠実そのもののグリーンの瞳が柔らかく細められた。

 そんなふうに、目の色がわかるくらい近くにいるのだとわかると、もう私はどきどきしてたまらない。

 そう、私はこの人に恋をしているのだ。

 それも、かなわないタイプの。


 私は、恋というものに憧れてた。

 職業柄、各地を転々とすることが多く、この故郷に帰ってきたのだって、もう5年ぶりくらいだと思う。

 それでは、相手はいたかもしれないが、恋は出来なかった。

 時には特殊な仕事をして、恋人のふりくらいはしたけれど、それはどれも本物ではない。


 彼に、ロウにもし求婚したら、こんな湖しかない小さな町だ、きっと周りは祝福してくれるだろう。

 ロウも、きっと応えてくれるということは、わかっている。

 でも、恋と結婚は違う。


 私は彼と恋がしたかった。

 ただ二人きりで出かけて、どこかでお弁当を食べたかった。祭りの日には花冠をおじいさまとおばあさまからいただいて、豊穣の神様にだって乙女として選ばれたかった。


 でもそれは無理。そんな夢は霧のように消えた。

 ――私は元・軍人で、そして足を片方失ったから。


 ロウは鍛冶屋の知識を生かして、義肢や義足を作るようになった人だ。

 私は彼の評判を知って、故郷の町に帰ってきた。

 戦争は、周りの大国同士が争っているだけで、通り道のようにこの国を踏みつけていった。

 私たちはそれに抵抗し続けた。大国同士がようやく協定を結び、落ち着き始めた頃に、私はまさにドジを踏んで、片方の足が吹っ飛んだ。

 気が抜けていたのだということはわかっている。透視すればすぐわかったはずのトラップだった。あの絶望的な痛みや思いは忘れられない。


 私は精霊使いの才があった。それを買われて、若い頃から戦いというものを見てきた。

 戦いというものは、何も得られない、と気づいていた。傷ついた人たち、死んだ人たち、そういう風に誰かをなくした人たちだけが残る。

 まさか自分が、こうなるとは思ってなかったけれど……。


 ロウが、なくしてつるりとした形が残る左膝下に、作ってきた義足を仮付けしては、一度ごと真剣な表情で細かい調整をしていく。

 ロウは義足や義肢の接続部分を、個人に合わせて仕上げるのがとてもうまい。それが、都までロウの名が聞こえてきた理由だ。ごく丁寧にやっても不具合が起きやすいものなのだという。私は彼のおかげで、あまり痛みや腫れを経験していない。本当に腕が良いのだと思う。


「――――よし、これでどうです」

 ロウが尋ねるので、私は杖を取って立ち上がってみた。

「あ、すごい、この間より、なんというか……ぴったり? してる気がする」

「よかった」

 彼が屈託なく笑うのは、いつもこのときだ。

 私は思わず、視線を下げてしまう。照れるんだ、好きな人の笑顔って。

 それに……。


「――さて、これで、俺は都に帰る予定なんですが……」

「聞いてます。ずいぶん丁寧にやってくださって、ありがとう。聞いてますよ、本当は一月前から呼び戻されてるって」

「ははは……ご存じでしたか」

 ロウは首に手をやり、

「……どうしても、あなたの足は、俺がやりたくて」

「?」

 なぜだろうか? 疑問がそのまま顔に出ていたようだ。彼は苦笑しながら、

「覚えてませんか。湖で、溺れそうになったときのこと」

「え? いつです?」

「あなたと俺が、4歳の時ですよ」


 彼は言った。

 この町の湖で遊んでいたときに、足を滑らせて深みにはまり、まったく泳げなかった彼はただもがくしか出来なかったこと。

 そして、そのとき、私が精霊使いとして、湖の水を割って彼を助けたこと。


「あなたのちからは、本当に素晴らしいものでした。俺はずっとそれを忘れてなかった。あなたは、どうかな、小さい頃ですからね……」

「いや、覚えてます、ちゃんと。その、ロウさんを助けたかはわかりませんが、それが私の転機になった出来事ですから」


 精霊使いの才能があることがわかったのが、そのときだ。忘れようがない。

 ただ、助けた男の子が……。


「ロウさん、だったんですか」

「だったんです」

「それで……?」

「だから、俺はあなたの役に立ちたかった。鍛冶屋は親父から継いだものですけど、そこで彫金とかいろいろ、細かい仕事を覚えて、それから、傷痍軍人さんのために義足の方を」

「……私の足のことは……?」

「あなたは、評判になっていましたから。最前線から帰ってくる"癒やしの精霊使い"」

 そう、私は、戦いも出来たが、癒やすことも出来た。そこに私の才能が生かされていた。止血くらいならすぐに出来たし、疲れを取ってやることも出来た。

 ……さすがに吹っ飛んだ足を治せるほどではないけれど。

「だから、居ても立ってもいられなくて、故郷に帰ってきたんです」

 すっと、彼は私を見つめた。

 思いの詰まった瞳で。

「今なら、あなたの役に立てる」


「――代わりの足になれるわけではないし、あなたのこれからのつらさを考えると、胸が詰まる。でも!」

 ロウは私の肩に手を置いた。熱を帯びた、しっかりとした男性の手。

 この手が、あんなに繊細に、この義足を調整してくれている。

 ロウは微笑む。


「これからなんですよ。あなたが救った国も、人々も。

 だからあなたも、俺と一緒に、都へ行きませんか。癒やしの精霊使いとして」


 戦いとは、喪失ばかりだと思っていた。

 戦友、上官、誰かの命、私の足。


 だが、そうではないものもある。

 ――そうか、得られるものはすべて、未来にあるのか。


 そんな単純なことに気がついて、私は瞬きをした。

 グリーンの瞳が、私を見つめている。

 私もしっかりと地面を踏みしめて、彼を見つめた。




 ありがちな恋物語を、ここから始めよう。



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世界にありふれたいくつかの。 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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