VSカスミさん

・後日談 あるいは本編の終幕





 わたしは、できることならこの物語せいかつを未完のまま終わらせたかった。何も訴えかけるようなものがない反サスペンスで、ちょっとしたことに喜んだり切なくなったりするそれだけの意義。振り向いてみてもそんな過去の面影おもかげ、あるわけがない。わたしはあそこのリビングでぜんたいどういうふうに笑っていたんだろうかって悩んでしまうくらい、今のわが家にはなんにも残っていない。あるとすれば子どもの減った住宅地特有の静けさか、朝刊夕刊を配りに来る配達自転車のブレーキ音くらいのものだ。これを安眠のかてと取ればいいのかわるいのか。

 朝いつもどおりに目を覚ましたわたしは、起き上がることも気だるいと感じるようになっていた。これが俗言う抑鬱よくうつかしら。疑ってもしかたない、ためしにからだを起こすものの、からだの空気を抜かれたような虚脱感が一気に来て、横の壁に手をついていないとまともに姿勢を保っていられなかった。しゃんとしてないと頭をよく打つってか。くだらない。誰かにしゃれをけなされるときは、大抵自分が元気なときなんだと初めて気づいた。今の元気じゃないわたしは、自分自身おもしろいと思ったことを口ずさんでも、一向に笑みを浮かべられないのだから。

 叔父さんが実母ばあちゃんのためにちゃっちい知識でめったやたらに増改築したこの家は、バリアフリーなんて名ばかりの欠陥住宅だった。わたしの使っている寝室の東側にも一つ、ダブルベッドの寝室があるけれど、どういう事情かそことこっちの部屋は鍵のない引き戸でつながった造りをしている。夏にはそこからあの子が出てきて子供用プールを欲しがっていた。一階に下りてトイレに行くと、不自然に広い空間が目に入る。こっちは開き戸でまあまあ不便だけど車椅子のまま出入りできた。あの子あんまり家のなかだと車椅子乗らないんだったな。……畜生、このいわくつき物件め、余計なこと思い出させやがって……何日間つづいたってこの感覚は忘れられそうにない。あきらめよう。そうして隅にある、でいっぱいになったごみ箱を片づけてから、朝飯を食いにリビングへ行った。

 部屋のカーテンは開けっぱなしだった。おまけに昨日の夜の皿も卓に出たまま。よく手を使う客人がいたので卓の上を特に衛生的にするよう習慣づけていたわたしは、そのときなんの違和感ももたないで台所の布巾ふきんを取りにもどって、食前のいろいろな準備をしていた。

 わたしはふっと食卓を拭いたあとの布巾を見つめた。

「よごれ全然ついてないじゃん、拭き損……」

 それはあたかも誰かが秘密裏に掃除しにきてくれているんじゃないかって疑心暗鬼になるほどだった。まったく自分の几帳面さにほれぼれする。それはさておき朝食には食パンを焼いて、冷蔵庫からくだものゼリーを出して食べた。

 午前中のあいだ、洗濯とかごみ出しとか、何かとすることがあるから退屈はしなかった。ごみ出しは毎日じゃないけど、ごみは毎日出るからものの整理、トイレ・風呂掃除、クリーニングした服を取りに行ったりもする。なんだって手慣れたものだ。今日はお姫さまのお召しものを何着か受け取って、隣町から歩いて帰った。これが疲れないのなんのって。こころなしか去年より筋肉もついてエネルギッシュに生まれ変わったみたいだった。

「ずいぶんと、わたしも主婦らしくなったものね」

 じゃあ旦那は誰? 意識から、自問自答の谷に落とされる。わたしに旦那なんていないし。支える人も、支えてほしがる人もいない。母親の垂らす甘いミルクを吸って、からだじゃなく自尊心だけが肥えて大きくなったただの子どもの一人だ。そんなことわかっている。だから、わたしは本当の愛を知らないのだ。

『……もしもし?』

「なんだよ、父さん」

 午後2時ぐらいに、父さんのケータイから電話がかかってきた。

『母さんの調子があんまりよくなくて、もう会えないかもしれないって……』

「そっか。だからとなりのあの人、そっち《西の町》にもどってたんだね」

『あのさ、別に母さんと話さなくてもいいんだ。ただ顔を見せてやってほしい。カスミに会いたがってる。それに、こっちに来たら、久しぶりに会えるよ? 会いたくないの?』

「……っといてくれ。じゃあ」

 父さんの人柄は温厚そのものだったけど、いつも病院に呼びつけるときは一方的で、電話も向こうからかってに切られる。わたしは初めてあの人につめたく当たってしまった。あの子の治療費も手術代も背負ってくれたのは父さんなのに。こんな不義理なんてない。わたしは、わたし自身で幼稚な人間をまっとうしようとしているんじゃないのか。

 そうに違いない。あのときユキちゃんを止められなかった、わたしは、あの子の感情を模倣したり後追いしたりしてはいけないんだ。

 だからもう、会いに行くことなんて絶対しちゃいけない。できない……。


         ◆


 雪の象徴するものはなんだろう。いずれ溶けるからはかなさ? 泥にぬれるから老い? それとも、千差万別の結晶が織りなす多様さ? 天気のいいところは、そのとき自分が頭で考えて、胸まで下ろしてきた感情をそっくりそのまま見せてくれる、鏡のような性質なんじゃないか。実際わたしはあの演劇を観て、待ち望んでいた雪をその日やっとおがむことが叶った。さらに雪は昨年と同じくらいりっぱに積もって、少ない子どもたちが小さな公園でかまくらや雪だるまを幾つも作っていた。ながめているだけで幸せな気分になった。なのに一人でいると、うれしさより、あの子が出て行った日、鷹梨がわたしのヒモをやめたいと言った日から、かなりの月日が過ぎ去ったことの実感と寂しさばかりを見いだしてしまっていた。あれだけ燦々さんさんたる太陽の光に照らされていたリビングも、今はカーテンを閉め切って、光源が電球のものだけになってしまった。わたしの目はテレビに釘づけになっていた。

『今夜6時からお送りします、年末大特番の――』

「そうか、今日は大晦日おおみそかか」

 年をまたぐ意識さえ希薄だったわたしだ、最近部屋の掃除が行きわたっていないことにも同様に無関心だった。広告ビラ、新聞、小雑誌、コンビニのレジ袋、なんでもフローリングの板の上に転がっていた。ほうきで掃けば一瞬という出来であるけども、まったくそういう気分になれなかったのだ。

 すると、いきなり外から玄関扉のひらかれる音がした。住宅地だし、泥棒ではなかろう。もしものときは知らない。無用心なネグリジェ姿で確認しに行くと、裏に住む長生ながえのおばさんが怪訝けげんでふくよかな顔で来ていた。

「あ、どうも……」

「久しぶり。単刀直入に聞くけどあの人どこ行ったの?」

「ああ、お隣さんですか。たぶん母の世話にもどったんだと……」

「そう。いろいろ込み入ってるみたいね。実はそこの家を買いたいって人が訪ねてきてね。片づけしたらすぐにも入居したいって言うもんだから」

「はあ」

「一応あそこってあなたの家でしょ? かしやしないけど。ちゃんとやっといてね」

 本当にそれだけの用だったのか、はたまたわたしと目を合わせたくなかったのか、長生さんはすたこらさっさとアプローチを出て行った。寝間着のままわたしはしばらくその場を動けなかった。お隣さんのいた場所に、別の知らない人が立ち入る――それだけで寒けがした。

「でも、片づけないといけないのはほんとだしな……」

 正直をいうと、わたしがお隣さんの引っ越しを知ったのは、夏の帰省中のことだ。ユキちゃんが見たときすでにもぬけの殻だったらしい。二人がそんなに親しい仲だなんて聞いていなかったし、お隣さんが家を空けた理由も最後まで教えてもらえなかった。父さんとの電話がその証拠。わたしがいらだっているのも、不当な理由だけじゃないんだと理解してもらいたい。

 さて、隣の家をみてみると、感じのいい家具や食器はそのままで、冷蔵庫の中味や箪笥たんすの中身だけを持って行ったという雰囲気だった。インテリアまでわたしが手をつけるとなるとさすがに忍びないだろうし、年末年始の間に終わりそうな書斎のほうの整理をすることにした。あいにく古本屋とかで売れそうな目ぼしいものはなく、書棚は外国語辞典に植物図鑑に園芸指南書といったじつに渋いラインナップである。人間の関節観察なる本まであった、どこぞのマニアが欲しがりそうだ。他人が趣味で蒐集しゅうしゅうした本を読みあさっているのは、案外気晴らしになった。自分の知らないことばかり書かれているからか。普段の自分本位のしがらみにとらわれずに、安らかで落ち着いた心持ちになれた。もしかすると長生さんはこうなることを予想してわたしに家の掃除をさせたんじゃないかって、いつのまにか楽観的な考えを取りもどすこともできていた。でもあまりに夢中で何冊も読んでしまったせいで、窓の外がもう真っ暗になっていた。

「そういえば、あの人、まだ日記書いてるのかな。『日記は明日あしたの自分のために書く手紙です』なんて、きざなこと言ってた気がする」

 彼に文章の書き方を教わったのは、もう10数年も昔のことだ。家政夫としてうちに来ていた際、彼はわたしの勉強のめんどうをみてくれた。と同時に、わたしの母親に対する怒りを真摯に聴いてくれた。ユキちゃんとの生活を送るうえで、あの人がすぐ近くにいてくれたことが大きな心の支えになっていた。

 ……そんな彼の愛する「手帖」の一冊、とくに最新らしいものが書斎の机の引き出しに入っていた。紐とボタンで留めるおしゃれなやつ。だけれど、「手帖」は開いていた。彼が恐らく意図して置いていっただろうその内容に、わたしはおどろいて見入みいってしまった。

「今、あなたを立たせてくれている足は、誰のものですか……あなたを歩かせてくれるその足は誰のものですか……」

 わたしの音読といえば、異常な震えでとてもはたからは聞き取れないものだったはずだ。

 その言葉を彼が残したのは、(もう去年になってしまっただろうか)8月の、ほんとうに頭のころだった。日付を見ておそろしくなった。わたしは、こんなにも前からユキちゃんの、支え無しには立っていられなくなっていたのか。ユキちゃんの保護者として、周りに振る舞えていなかったというのか。

(明日の自分のためなんて、うそっぱちだろ――)

 わたしはそう言い聞かせたかったんだとおもう。

 でも、ユキちゃんがわたしにうれしそうに「ようやく一人で立てる」と報告してきた日の記憶が、わたしの唯一慰めだった自虐性をあばきだした。「一人で立てなくたっていい」と自己完結した、わたしのユキちゃんへの甘えを、彼の残した言葉たちは絶対ゆるさなかった。家出したわが子の手をひしとつかまえてはなさないように。

「今、もしも、そのどちらをも自分のものであるときっぱり言えるあなたであるのなら、そう言いきることのできない誰かのために、どうか自分の足を貸してあげてください。……来るなら、気をつけて」

 わたしの心はまだそれでも、親心だとか愛だとかそういうものを理解しようとしなかった。受け入れたくもない。だって大人は世間体を口実に、臭いものにふたをした。ユキちゃんを愛さなかった。でも、ユキちゃんはそんな大人になりたくて、わたしの元から離れて行った。どういうこと? ユキちゃんはうらまないの? どうして。もう、何もわからない……

 だれか、教えてください。わたしが子どもだからわからないのですか。それとも大人になってもわからないことなのですか。教えてください、だれか。

 自立できなかった人間は、ずっと子どものままなんですか。わたしは40歳になっても、50歳になっても、母親がいつか鬼籍きせきに入っても、子どもなままなんですか。この質問はだれにするべきなんですか。教えてください。


 時間の流れが止まったように錯覚した。自分が世界の中心人物だと思い込んでしまった。だから、この問いにほかのだれかが答えてくれるものだと、ユキちゃんが隣にいっしょに立って相談してくれるんだと、ずっと期待していたおろかしさに目覚める。

 何がエッセイだ。こんなに悩んでばかりで、自分の考えを流布させようとする気のないものが、随筆でたまるか。こんなもの、私小説の出来損ないだ。わたしのしてきたこと、わたしは……そうか。この家を出ない限り、ずっと答えをみちびけないのか。

もうユキちゃんはもどってこない。お隣も別の人がはいってくる。だれもわたしが子どもなのか、大人なのか、どうしたら何がどうなるのか、一つも教えてくれない。

「……出るしか、ないのかな」

「その足はとどまるためのものじゃなくて、自分であちこち見て回るためのものでしょ?」

 「…………」わたしはお隣さんの「手帖」を持ち出した。そのまま家に帰らなかった。

 向かったのは駅だ。にくくも電車は、こんな大雪のなかでも運行してくれていた。冬の町の人たちが、毎年毎日欠かさず雪かきをしてくれているおかげだった。わたしがこれまで踏み出せなかった理由には、かならずこの生まれ育った町への感情もあったんだ。今かんがえた。わたしはこの町に、愛着――いや、愛みたいなもの、親しみを感じていたんだ。ユキちゃんもそうだったはずだ。じゃなきゃ車椅子で探検なんてしてない!

むかえにいくよ。ユキちゃん」

 わたしの足は、どこをめざすのだろう。仕事もない。家もない。家族の支えもない。ただ降り積もった雪のうえに、両方の足跡あしあとを、存在の証明に残しているだけ。こんなことだれにでもできる。

 でも、ユキちゃんはそうじゃなかった。車椅子の二本の線を、わたしの前か横にならべることしかできない。そのはず、だけど彼女は自立していった。

 わたしも、彼女みたいな足が欲しい。

 果たしてどうやって、日常というものの締めくくりをすればいいのかわからないけど、わたしたちはこうして大人になっていく。不器用なりに。





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10(テン) 屋鳥 吾更 @yatorigokou10

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