首縫い

スヴェータ

首縫い

 鬱蒼とした森の先、岩肌がむき出しの険しい山が睨む里には、一風変わった葬儀の風習があった。死者がこの世に舞い戻らぬよう、首を切ってしまうのだ。しかしそのままでは死後の世界で困るだろうから、「黄泉の糸」と訳されるクラオゥスチェリで縫い付ける。これを行う者をキネウェトイ、即ち「首縫い」と呼ぶ。


 首縫いの家族は里の外に出られなくなる。また、首縫いは里の長が指名することで決まる。その基準は定かではないが、指名は絶対。拒絶すれば本人、その両親、その兄弟姉妹、その配偶者、その子どもを殺すというしきたりがある。それもあってか、指名を受けて首縫いにならなかった者はない。


 この男、カンデヴィラツキは悩んでいた。息子が首縫いに指名されたからだ。カンデヴィラツキの息子はもうずっと里を出たがっており、里の外で暮らす手筈をようやく整えたところだった。カンデヴィラツキは初め、それを良く思っていなかった。しかし存外うまくいきそうな様子を見て、態度こそ変えなかったが、心の裡で応援していた。


 そんな折に首縫いの指名がきたのだ。初めの頃であれば「息子を里にとどめる良い口実ができた」と喜んだだろうが、今は違う。息子は「仕方がない」と言いつつも、浮かない表情を隠しきれずにいた。その顔を見るたびに心が痛んだが、結局何もできないまま、息子は首縫いになった。


 とある早朝。煙が高く立ち昇り、鐘と鈴の音が遠くから聞こえた。誰かが死んだ知らせだ。今頃息子は向かっているに違いない。そう思ったカンデヴィラツキは、黒地に銀の刺繍が施された喪服に身を包み、煙の方へと向かった。この里において親類縁者ではない者が葬儀に参加することは、至って自然なことであった。


 到着してみると、首の切れた老婆がラウショの草のベッドに横たわっていた。既に葬送の歌は始まっていて、カンデヴィラツキの息子は歌が「首縫いの儀」のものに変わるのをじっと待っていた。黒の透けた布を幾重にも重ねて作られた装束。印を施された目隠し。顎の刺青。首飾り。様変わりしていたが、その佇まいは確かにカンデヴィラツキの息子であった。


 歌が変わる。首縫いは老婆に近付き、首を見る。左手で水を3回かけると、針をぷつりと刺した。ひと縫い、ひと縫い。金の「黄泉の糸」がジグザグに首へと通っていく。縫うのは正面だけ。手前から奥へ縫い終わると、今度は奥から手前へ。ジグザグの山を逆にして、ひし形の模様が作られる。


 縫い終わると、喉仏のあたりを左の人差し指と中指で押さえる。すると歌が止み、キネウェヤルォクと呼ばれる祈りが始まる。意味は「首縫いの歌」。首縫いによる祈りが高らかに、伸びやかに、そしてどこか妖しげに響いた。それは確かに、かつて「父さん」と呼ぶ声で聞き馴染んだ、カンデヴィラツキの息子の声であった。


 カンデヴィラツキは泣いた。里の伝統を嫌った息子が、里の伝統を守ろうとしている。心を無理に入れ替えたのだ。それがよく伝わったから、カンデヴィラツキは泣かずにはおれなかった。哀れ。実に哀れだ。しかしそれが、どこか誇らしくもあった。


 葬儀が終わり、カンデヴィラツキは息子に会いに行った。立派であったと伝える父に、他人行儀に礼を返す息子。もう親子の親しみはない。随分前からこの父子は不仲であった。かつてカンデヴィラツキは里を出ようとする息子の愚痴を方々にこぼしており、息子はしばらくの間里で居心地の悪い思いをしたのだ。


 宿命を受け入れ、立派にそれを果たそうとする息子。それに対し、我が子にさえ素直になれない父。カンデヴィラツキは自分を心底情けなく思った。思えば、里を出てほしくなかったのは自分の側を離れてほしくなかったから。外でつらい思いをしてほしくなかったから。要は、子離れできていなかったのだ。


 息子は父の子離れできないことを理解していた。しかし里の外にある広い世界を見たかった。首縫いに指名された時、どうにか家族全員で外へ逃げられないか考えたが、父を説得できる自信がなく諦めた。結局、どうしようもないことだったのだと自身に言い聞かせ、気持ちを整理した。


 時は経ち、息子が父の首縫いを終えた頃、次の首縫いが指名された。少女で、カンデヴィラツキの息子が首縫いになった年頃であった。しかし少女はその日のうちに里を飛び出し、彼女の両親と兄姉の処刑が決まった。処刑人の首は縫わない。しかし死の確認をする者の1人として、カンデヴィラツキの息子もその処刑に立ち会うこととなった。


 少女の家族は悟りきった表情をしていた。最後の言葉を促されると、少女の父が口を開いた。


「家族みんなであの子の努力を見てきました。懸命に働いて貯金をし、街の立派な大学に合格したのです。あの子の未来は明るい。もっと広い世界を見てほしい。私たちはあの子に願いを託しました。あの子が外に出ることで、私たちも生きるのです」


 続けて、少女の兄が口を開く。


「僕も外に出たかった。しかしこれまでの首縫いのことを調べ、外に出ようとした者が首縫いに指名されると気付きました。首縫いの家族は里の外に住めません。首縫いに指名されたところを逃げても、こうして殺されてしまいます」


 さらに少女の姉が続ける。


「この里はとても狭いから、外に出ようとすればあっという間に噂になります。里の外に出るには、こうするしかありません。だから私たち家族は決めたのです。1番幼く、賢く、未来のあるあの子に外へ出てもらうことを」


 最後に少女の母が微笑みをたたえて言う。


「これでやっと、里の歴史に首縫いの拒絶が刻まれます。私たちの死は無駄ではありません。首縫いの方、おつらかったでしょう。あなたも外に出たかったのでしょう。違いますか?」


 そう問われ、一気に視線はカンデヴィラツキの息子に集中した。しかし声を出すのもやっとといった様子で、絞り出すように「いいえ」としか言えなかった。少女の母は「そうですか」とさらに穏やかに微笑んだ。


 処刑が終わり、その死を確認したカンデヴィラツキの息子。安置所で少女の家族を眺めつつ、「バカなことをしたものだ」と呟いた。今や誰もが調べずとも知っている首縫いの指名理由、誰もができなかった処刑の受け入れ、そして少女の母の言葉。カンデヴィラツキの息子は泣いた。誇らしくて、羨ましくて、情けなくて。


 棺に入った少女の家族に、カンデヴィラツキの息子はこっそり首縫いを施した。あの世で困らないように。希望を残してくれた彼らに、敬意を表して。






参考資料:

サーヤルディ『キネウェトイ』3069.2

サーヤルディ『フィルデヴィラツキとの対談』3075.6

サーヤルディ『里長とキネウェトイ』3076.1

フィルデヴィラツキ『消えたキネウェトイ』3078.4

フィルデヴィラツキ『父の手記 首縫いの里で』3080.3

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