05 全くもって羨ましくないのですが。
俺の家は古い一戸建て。祖父が若い頃に建てたものだが、リフォームを繰り返したため割と快適に住める。
玄関の先はすぐリビングで、台所や居間はその両側。リビングの奥に続く廊下から各々の部屋に行ける。
5月5日金曜日。新生活初日。俺は朝7時に目覚め、居間に布団を敷いて寝かせていた仁心を起こした。もちろん、昨日は『仕方なく』俺の寝巻きを貸してやった。
しかし、こうして顔を合わせてみたところで、特に話すこともないな。かなり気まずい。
「……おはようございます」
「おう……おはよう」
仁心は寝起きが得意な方ではないらしい。テーブルにつき、大きな目を擦ってぎこちない挨拶をする。
「何か食べたものあるか……? 食料ないから何か買うか……」
「いえ。朝は食べないので……」
かなりドライな返事が返ってくるな。
「冗談だろ?」
「……?」
よく分からないという顔をする仁心。
「よく分かりません。おなかがすいた時に食べればいいってダニーが……」
こいつしまいには言ったよ。
ダニー、こんな大切な事を教えてないのかよ。
朝食も取らず「あたし甘いもの大好き! ス○バのフラペチーノが主食なの!」とか言いそうな子には成長してほしくない。
「よし、外に食べにいくか!」
「……!」
仁心は少し躊躇する。
「でもダニーが、外の世界は危険だって……」
「そりゃそうだけど、いつかは慣れないとだろ?」
俺は、仁心に外の世界を見せてやるべきだと思う。
家にいる安らぎに溺れると危ない事を身をもって知ってるからだ。
それに、仁心は急にあの家を飛び出して来たため着る服は一着しかない。他にも日用品とか、スキンケアとか? よくわからんが女の子なら色々必要なはず……。
「嫌なら別にいいけど……」
「あの、行きたい……です」
仁心には黒いキャップを目深に被らせる事にした。これで碧眼も簡単にはバレないだろう。
* * *
家を出る前にあのレンズを付けてみたが、かなり驚かされた。
『――おめでとうございます、貴人様。これで貴方もサイボーグの仲間入りです』
着けた途端、キーラの声が頭に響き、左掌に閃光が弾ける。それは青い線となって指先まで伸びて消えていった。そして青、赤、黄色と緑の使われたカラフルな林檎のロゴが浮かびあがる。
いつの間に耳には極小マイク、左手皮膚下に膜状スクリーンが埋め込まれていたのである。
もはや驚くのも飽きてきた。
* * *
ダニーに渡された財布には札束が「丸められて」入っていたが、浮かれて使い果たすような真似はしない。
俺達は電車で街に行き、生まれて初めてモ○バーガーに入った。
窓際の席を取り、ようやく運ばれたハンバーガーを仁心はうまそうに頬張っている。
「ああ……。なにこれ美味しい……」
彼女には母の服を着せたのだが、サイズが合わずブカブカだ。白シャツがスカートの中程まで届いていた。
「……はぁ。驚きました……。こんなに美味しいものがあるなんて……」
店を出ると、仁心は満足気に言った。
「……そうか? 張り合い無いな。もっとウマイもんなんていくらでもあるぞ」
「ほんとですか……!?」
「本当だよ」
歩きながら仁心は素直に驚く。外出するのは初めてらしく、いちいち反応が楽しい。
時折、チラチラとすれ違う人の視線がある。帽子では仁心の可愛さは隠しきれないらしい。
「……あ、ちょっと仁心ストップ!」
道路を突っ切ろうとする仁心の手を引くと、彼女の目の前を猛スピードで車が過ぎた。
「……信号を良く見ろ。さっき教えただろ」
「あ……そっか。赤は止まれ。赤は止まれ……」
俺も迂闊だった。
やはり仁心もこういうミスはするのか。
* * *
そして日用品を買いにデパートへ来た。
平日の朝なのもあり人は少ないが、明るい店内に仁心は目を輝かせている。
「こんなに沢山……。多すぎて決められません……」
取り敢えずレディースコーナーに来てみたが、あまりに豊富な品揃えに仁心は驚いていた。
しかし、俺も「何でも好きな物を買っていいからなー」とか言ってみたものの、正直選び方が分からない。
適当に選んで試着して着れそうなのを買うか……。
「ねーこれ見てカワイくなぁ~い?」
「マジそれヤバいってー! 買っちゃう~?」
近くでは女達がある意味ハイセンスな服を見せ合ってるが、どこが良いか分からない。女子の「カワイイ」は特殊だと思う。
俺は、仁心に似合いそうな服を指差した。
「これなんてどうかな……?」
純白のワンピース。半袖ロング。王道中の王道。今こそ夢を叶える時だ。
「……それは、目立ち過ぎじゃないでしょうか?」
あれ? 思ってた反応と違うな。
ゴスロリの方が何倍も目立つだろうに。
「別に嫌ならいい……」
「あの、どうしてもって言うなら……」
「そりゃあ、どうしてもだよ……」
「あ、はい……!」
やや上機嫌で返事をする仁心。
いやハッズ……。知り合いに見られでもしたら死ぬ。
もしかして、こいつは結構懇願されたいタイプなのかもしれない。妙に悟ってたり、急に素直になったり、どうも掴みかねるな。
* * *
「――あと、これもだな……」
仁心が着れそうな服を適当にいくつか選んでいった。
Tシャツ、ホットパンツ、ミニスカート……。
俺は真剣に、彼女の良さを引き出そうとしてるだけである。もちろん下着は自分で選んでもらうつもりだ。
「……こんなに買うんですか?」
「ん……? ああ、こんなもんかな」
トップスとボトムスのインとアウト。それぞれ数着ずつ買うだけでかなりの数になった。カゴが必要だ。
もちろんキーラに相談して得た知識である。左手スクリーンの操作性も機能も、アット社の某スマホと同じ。
さっきキーラに電話してみたが、彼女は一瞬怒ったものの文句を言いながらも協力してくれた。
「あっれー? そのネジ曲がった髪の毛と細さ。もしかして春宮ー?」
「えー誰それ。知り合ーい?」
その時、妙に語尾を伸ばす軽そうな奴らがやって来た。聞き覚えのある声だ。
金曜に彼女とサボりかよ。幸い仁心は見えてないが、変な噂になったらマズいな。
「……仁心、ちょっとここに隠れてろ」
「え?」
「じゃなくて、それ全部試着しててくれ。出てくるなよ」
試着室に仁心を隠し、どうにか誤魔化せないかと男の方を伺い見るが、運悪く一瞬目が合ってしまった。
「やっぱり貴人じゃーん。無視すんなよつれないなあ~」
「えー前言ってた電車の子ー? やだー怖っわ~い!」
「そうそう! しかもあれで生きてんだぜー! マジスゲ~よな~!」
馴れ馴れしく俺の肩に手を置くこの男は、
「眼鏡どうしたよ春宮ー。てかこんなとこで何してんだー?」
「ああ……買い物」
「女服コーナーで?」
「サイズ的に着やすいから……。ズボンとか……」
悲しいことにこれは事実。
「相変わらず冷たいなぁー。久しぶりで聞きたいこと沢山あんだからさあー?」
どうせろくな事じゃないだろ……。
「何で死のうと思ったんだー? キツかったのか? それとも今頃復讐か~?」
いちいち語尾を上げるのがウザすぎる。
「でもなぁー。復讐したけりゃ名指しでメモでも残せただろー? あいつらの人生メチャクチャにしてやれたのに、何も無かったって聞いたぜ?」
復讐なんて無意味なんだよ。
心の中ではいくらでも反論できるのに、言っても『得にならない』と理性が邪魔してくる。
ただ反撃が怖いだけとも言えるが。
「あーあ、お前みたいな奴の考えはわっかんねーなぁー。頑張って理解してやりてーけど無理だわ~」
「だよねー! トーマくんは住む世界が違うからね~!」
さっきから隣の金髪の女は笑って相槌を打つだけ。
「そうそう一応紹介すっかな~。こいつは俺の彼女の奈々。清蓮学園の一年。また会うこともないだろうけどな~」
そろそろ終わってくれないかな~。
俺は、耐えきれず口を開いてしまった。
「何がしたい……?」
「えー?」
「お前に……何の得があるんだよ……。なんでわざわざ、俺に関わる……」
気を付けないと語尾がしりすぼみになってしまう。
「そりゃあな春宮……。決まってるだろー?」
彼は急に冷ややかな表情になったと思うと、俺の耳元に口を近づけて言った。
「……面白れーからだよ」
「プハハハハッ! トーマ、マジそれな!って感じ~!!」
怒りと焦りで頭が真っ白になり、反論できずにおめでたい顔を睨んだその時。
袖が軽く引かれるのを感じた。
咄嗟に振り返ると、そこにはあのワンピースを着た仁心が無表情で立っている。
「……おい。出てくんなって……」
「貴人……。似合ってる……?」
天使かと思う程魅惑的な声だった。
照明のせいか、青い瞳と純白の布地が輝いて見える。
「えーなに彼女ー!? マジでー? 超カワイイじゃーん!」
「マジかよ……。貴人……!」
ヤバい完全に見られた。帽子も被ってない。完全に「変な噂」確定だ。
「コイツは、義理の妹で……」
「……ああ。…………ハハッ……そうだよなー。……焦った~」
俺より、何故か空湖の方が狼狽えている。
腕をグイっと引かれ、不愉快そうに眉をひそめる仁心の顔を目にしてその理由が分かった。
「貴人。もう行こ……?」
可愛すぎるって……。
* * *
貴人と仁心は無事その場を凌いだ。しかし後日、とあるカップルの仲が険悪になった事は言うまでもない。
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