03 心の準備というものがありまして
白衣を着たおじさんに腕のチューブは外してもらった。医者か、あるいは得たいの知れない研究グループの一員って所だろう。
一ヶ月寝ていたとは思えない程気分が良い。でも、まだ歩くのはかなり辛い。
点滴ポールが杖の代わりになる事を初めて実感した。
健康体で生んでくれたのは、あのバカ共に唯一感謝できる事かもしれない。
俺はゴロゴロとキャスターを転がし、迷いなく歩くダニーと仁心に付いていった。
あの部屋はなんと地下三階にあった。
白い壁の長い通路を、時折見かける横道を無視して真っすぐ歩くと、エレベーターにたどり着く。
地上一階で降りると、玄関ホールに出た。
ホテルのエントランスかと思う程広い長方形の空間で、左手には重量感のある金属の扉が聳えている。
ダニーは迷わず右の壁にある小さなドアを開ける。
そこは、よくある欧米セレブの豪邸そのものだった。
暖炉こそ無いものの、左奥はリビングで巨大なソファーに巨大なテレビ。サイズ感覚がおかしい。
モノホンの虎の毛皮なんかもあった。
中央はダイニングで、右奥にはIH対応の広々としたキッチンと巨大な冷蔵庫。
床はツルツルのフローリング。壁には何を書いたのかわからない抽象画と、沢山のドアが並んでいる。
「基本は、この一部屋だけで生活できるようになっている。ただここから全ての部屋に行けるようにしたから、実はここが家の中央なんだ。窓が無いのが、唯一の欠点だね……!」
* * *
「食事は一番のリハビリだ!」
というダニーの言葉で、三人で中央にポツンと置かれたテーブルにつき、昼食をとった。
腹は減っていたのだが、ダニーに聞かれて、軽い気持ちで『ステーキが食べたい』と言ったのは少し後悔した。
ダニーは内線電話で出前のように注文を済ませ、出てきたのは
驚くほどうまかった。
ダニーと俺は競うように脂の乗った柔らかい肉を取り合った。
しかし、もちろんダニーの胃袋には敵うはずもない。
「……うん……、うまい。…………ゴクンッ。……やはり病み上がりは精がつく物を食べないとな。パクッ……。遠慮せずどんどん食べてくれ……」
もはやダニーだけが黙々と手を動かしている。
俺は腹一杯で苦しいぐらいだ。
ふと仁心の方を見ると、サラダとスープだけを食べて、ステーキには殆ど手を付けていないようだった。
「仁心は食べないのか?」
切り分けた肉を仁心にすすめる。
日本人女子の平均体重は世界的に見たら飢餓レベルだとどこかで聞いたのを思い出したからだ。
「いえ、もう十分食べましたから……」
「ほとんど食べてないじゃん」
ようやく食べ終わったダニーが口を挟んできた。
「ハッハッハッ。この年の少女の食事量なんてこんなもんだよ。仁心もきちんと必要な栄養は摂取しているはずだから、心配しなくていい。それより、君に見せたいものがある。……仁心、
「はいっ」
仁心は立ち上がり、右腕のフリルの下辺りをもう一方の手で掴み、カシャッと
そう、文字通り回したのである。
ニコの右腕が、ゆっくりと分離される。
その断面は鉄のような光沢を持ち、中央には骨の代わりに小さな金色の突起。それを円形の溝が囲んでいる。
彼女はにこやかに微笑んでそれを俺に差し出した。
「私、
恐る恐る表面に触れてみると、不思議な質感。ツルツルしてるような、しっとりしてるような、見たこともない素材なのは確かだ。
「右肩から手にかけて、超硬合金製の骨格、表面は特殊ゴムで肌と見分けはつかない。脳と繋がっていて本物の手のように動かせる義手だ。他にも、仁心にはいくつか人間にはない、特別な
「……いえ、今はいいです」
――そうか。違和感の原因が分かった。
仁心は人間でもなく、ロボットでもなく、その中間にあるという事だ。
彼女は食事中、できるだけ右腕を使わないよう食べていた。
さっきは、左利きなんて珍しい。くらいにしか思わなかった。
でも今なら分かる。
彼女は自分の、『機械の部分』が好きではないのかもしれない……。
「――そうか、分かった。まあ、気になったらいつでも私か仁心に聞いてくれ。そうだな……。あとあれもあったはず……」
そう言うとダニーは壁の方へ歩き、扉の一つを開けた。中は薄暗く、いくつかの本棚が立ち並んでいるのが見える。
彼は重そうな冊子を持って帰って来た。厚さ十センチはありそうだ。それをドサッとテーブルに置いて話し始める。
「これは、『トリセツ』だ。基本的な機能と注意事項が書いてある。ただ、本当は一冊にまとめられる情報量じゃないんだ。これに書かれていないこともある。気が向いた時にでも、参考程度に読んでくれ」
* * *
その日の夜、もう一人のアンドロイドを紹介された。
「――それと、紹介するのを忘れていたが、もう一人いるんだ……」
何がもう一人いるのか。すぐには分からなかった。
「――キーラ、ちょっと来てくれ!」
ダニーの大声にドアの一つが開き、やって来たのは茶髪に青い目の綺麗な女性だった。
「お呼びでしょうか、ヲタ社長」
「いや~、相変わらず元気そうで良かった。でも社長にヲタクはないんじゃないかな……?」
「おっと、失礼いたしました。変態ロリコン紳士の間違いでしたね……」
「いや酷くなってるよ。下劣な言葉でロリコンがさらに強調されてる」
「では、そうですね……。どれがよろしいでしょう? 性欲の権化。変態夢想の奴隷。哀れな愛情乞食。選んでください」
「よ……よくもまあ、こんな難しい言葉を覚えたもんだ……! さすがは世界一の秘書だよ。ああ、君を作った時、初めて言葉を発した時が懐かしい……!」
「な……!? ほめたって何も出ませんからね! それに、そういう懐古主義がロリコンを拗らせるんですよ。過去の事なんて忘れてしまえばいいんです。……チッ。あの小娘さえいなければ今頃は……」
――なんなんだこの茶番……!?
呆気にとられていると、ダニーは俺に向き直って言った。
「紹介しよう。このユーモアに富んだサドデレちゃんはキーラ。私の秘書だ。昔からAIとして私と仕事をしていたのだが、三週間前に言語能力を大幅に強化して体を作ってあげた。……ただ、ニコと違って全身が機械だけどね。少し嗜虐嗜好なのを除けば、何でもこなす最高の秘書だよ」
すると彼女は、肩まで伸びる髪を揺らし丁寧にお辞儀する。
「……初めまして、私はキーラ。嫌いなものは機械の体、生意気な小娘。好きなものは特にありません。今後とも宜しくお願いします」
「よ、よろしく……です」
その真っ白な肌は、ゴムでできてるようにはとても見えない。
仁心もなかなかだとは思ったけれども、胸元の凶器的な膨らみ。さすがは美人秘書だ。
制服のタイトスカートから伸びる細い足。これぞ美人秘書だろう。まさに、男を惑わすために作られたような完璧な体つき。
……だからどうしたという話だがな。
全身が機械だなんてもはやターミネーターじゃないか。まったくダニーもいい趣味していやがる。
「――それより、聞いてくださいよ!」
彼女は、初対面の俺にグチグチと文句を言い出した。
「社長ったら、ニコとかいう小娘には体をあげたクセに、私はこんな機械の体だけなんです。私の方が社長といた時間はずっと長いのにですよ! ヒドいと思いません?」
「いや、そう言われても……」
俺が困っていると、ダニーが助けてくれた。
「キーラ。手に入れた体で一体何をするつもりだい?」
「私は……別に何も……!」
「ほう。ならばこのままでも問題ないよな」
「そういう問題じゃありません! 私はただ……社長を癒してあげたいだけで……」
「ふむ。どのようにして癒すのか詳しく教えてくれないか?」
「だからその……。体で……。――って、なんて事言わせるのよ! 社長なんて嫌いです!」
そう言って彼女は、もと来たドアにそそくさと歩き、バタンッと閉めて行った。残されたダニーは顔の緩みを隠そうともしていない。
「――いやあ。ツンデレとは良いものだなあ」
「まあ……そうですね」
* * *
この家は今までの何倍も広いし。たしかに楽しい。
そうなのだが、何処か馴染めない。
仁心との接し方もわからない。あんなに望んでいた妹を、無意識に避けてしまう。本当に、先が思いやられる。
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