04 言ったところで伝わらないのがコミュ障だ


 目覚めて三日目。何とか、一人で歩けるようになった。

 腹一杯食べられるし、一日中歩行器で歩く練習をしていた成果だ。


 俺は普段、説明書のたぐいは始めに目を通すのだが、仁心が明らかに嫌そうな様子だったのであのトリセツは殆ど読んでいない。


 彼女曰く、『自分のプライベートを覗かれてるような気分』らしい。


 そしてダニーには悪いが、自分の家に帰る事にした。


 この三日間ずっと迷っていたが、やはりいきなり赤の他人と、他人同然の妹と、一緒に住めと言われても困る。しかも、自分の家を放ってはおけない。



 要するに、俺は逃げたわけだ。



 こんなのは俺の思い描いた妹と違う。話をするだけで気を使う。とても疲れる。

 本来、妹とは幼少期からの長い付き合いってのがあるものだ。


 彼女との思い出も、絆も、追憶も全く無い。これでどうして、家族だなんて言えるのだろうか。


 

「――まあ、いいんじゃないか?」


 ダニーは二つ返事だった。


「ここには好きな時に来ればいい。元々、ここは私の別荘だ。そして君は私の家族。つまりは君の別荘でもある。高校生で別荘を持てるなんて凄い事じゃないか」

「別に俺の別荘ではないだろ?」

「確かにそうだが、実質そういう事になる。実は、私はそろそろ国に帰らなければならないんだ。急な仕事が入ってね。しばらく帰ってこれなくなる」

「……え? じゃあ仁心は?」

「彼女はここに置いていく。この家のことは君達に任せるよ」


 * * *


 その後、キーラに車で送らせようとダニーに提案されたが、ここは東京都内の何処からしいと聞いて断った。外を歩きたかったからだ。

 

 あの時着ていた制服と小さな財布を渡され、真っ黒で古風な両開きドアを開けると、眩しい日射しが目に飛び込んでくる。


 明るい配色の家々と植栽の立ち並ぶ静かな通り。歩行者はいないが、遠くに自転車を走らせる人が見える。


「ここは……」


 ダニーが、「迷うことは無いはずだ」と言っていた理由が分かった。


 世戸谷せとがや区の高級住宅街だ。すぐ近くには俺の通う学校、清蓮学園がある。都合がいい。いや良すぎるぐらいだ。


 数々の豪邸が立ち並ぶ中、ダニーの家は他と一線を画している。


 ここに住めば毎日の電車通学から解放されるという雑念がよぎったが、振り払う。もう遅いし、引っ越してる暇などない。一ヶ月も人より遅れをとったのだから。


 * * *


 電車で阿下葉あげは町に着いた頃には、陽は既に西に消えようとしていた。


 この町は都心部からは遠いのだが、辺境の地という程でもない。静かで程よく自然があり、ギリギリ街灯のあかりを享受できるような田舎。


 歩いていると、ご近所さんの家からいろんな音が聞こえてくる。晩飯を要求するペットの鳴き声。兄弟喧嘩。意識高い系女子の発声練習……。


 橙色に照らされた狭い通りを歩きながら、何も変わってないな。と思った。


 ここで静かに一人暮らし。生活費も保証されて小遣いも無限。


「悪くないな……」


 むしろ、誰にも邪魔されずに住みたいと常日頃思っていた。あの角を曲がって玄関を開ければ一人暮らしスタート。最高だ。





――しかし、それは彼の幻想であった。


 この時、彼はその人生で一二を争う程の驚きに出会う。

 そう、仁心が玄関前にいたのである。





「――嘘……だろ…………」


 目を疑った。


 しかし、間違えるはずはない。その青い目は不自然に鈍く輝き、殆ど真っ黒なドレスを着て、タウンページを巨大化させたような冊子を抱えている。


「……ねーねーおねーちゃん。何でそんな変なかっこーしてるのー?」


 そして、仁心は絡まれていた。おそらく近所の子供だろう。あの服では目立ちすぎだ。


「変な……!? あ……これはその……しゅ、趣味で……」

「しゅみってなにー? 」

「だから……、好きだから、着てるの……」

「へー。あ! もしかして、こすぷれいやーさん?」

「こすぷ……?」

「おねーちゃん知らないのー? じこけんじよくが強い人だってママが言ってたよ!」



「……ったく。テキトーな事教えてんじゃねーよ!」


 俺はそいつに近づき、その犯罪的な偏見を正そうとした。


「誰ですか? あなたは。……あちょっと待っててください、当てますから」


 そのガキは品定めするようにまじまじと俺を見る。


「うーんっとねえ。恋人……なわけないから、兄妹かなあ?」

「だったら何だよ。仁心に変な知識吹き込んでんじゃねえよ。ガキは帰ってママのiPadでもいじってろ」

「……あ、あたりか。でもぜんぜん似てなーい。つきとすっぴんだねーっ!」


 ……スッポンだろうが。


「なあ、お嬢ちゃん。マジでそろそろ帰ってくれないかな……」


 その時、今まで饒舌だったそいつが急に黙った。そして、聴こえるかどうかの声で何かを呟く。


「………………もん…………」

「え? なんだって?」

「女の子じゃないもん!!」


「――ええ!!??」


 これは人生最大の驚きかもしれない。今目の前にいるさらさら茶髪のいかにもロリっ子が、実はショタだと……?


 なんでそんな短いズボン履いてんだよ。そしてなんで上着でズボンが殆ど隠れてんだよ。白い足を無防備に晒しやがって、けしからんにも程がある。


 と突っ込みたいのを抑え、俺はそいつの前にしゃがんだ。


「いっや~、ごめんごめん。悩んでたようだねー、って事。モロに傷口えぐっちゃってごめんねー」


「………ヒック……」


 すると、そいつは目に涙を浮かべて嗚咽を漏らし始めた。


「お兄さん……」


 仁心が訝しげにこっちを見ている。


「いーんだよこれで。こういうクソガキにはトラウマを植え付けてやるのが一番だ。それを乗り越え、少年は大人の階段を登るのさっ」

「トラウマ……ですか」


 すると、仁心は何を思ったのか子供の前に出た。


「ごめんなさい。……その、私はちゃんと、男の子だってわかりましたよ」

「…………ぐすっ……。ほんとに……?」

「ええ。だから気にする事はありません。泣き止んで仲直りしましょう」


 そう言って仁心は右手を差し出す。少年も涙を拭って握手に応えた。

 

 なごむなあ……。


 とか思ってしまった。


「――うわっ!! なんなのこれ!?」


 突如、子供が叫び声を上げる。仁心の右腕が、スポッと抜けたからである。


 彼はあまりの衝撃に我を失い、自分の手を握って離れない腕をブンブン振り回している。


 そのうちそれはスポッと抜けて地面に落ちた。





――カタカタッ


 



 なんと、それは器用に指を動かして地面を這いずり、子供の足首へ……。



「ぎゃあああああああああああ!!」



 あまりの恐怖に蒼白し、少年は走り逃げて行った――



「……ておい! 何やってんだよ!!」


 落ちている義手を拾い、カシャッと右肩にはめ込んでいる仁心に叫んだ。


「だって……さっきトラウマがいいって……」

「言ったけどそこじゃねーよ! ……乗り越えられないトラウマ与えてどうする」


 仁心は何がダメなのか分かってないご様子。完全に油断した。こいつは知識はあれど、経験は全く無いんだった。


 迂闊に曖昧な言葉を使うべきじゃないな。


 * * *


「……一人で、ここまで来たのか?」


 畳の上にちゃっかりと正座する仁心に聞いた。反省の色を示しているらしい。


「いえ。キーラさんに送ってもらいました。すぐにここまで来れたのですが、実はその……」

「家に入れなかったと」

「はい。すみません……。その……ダニーの家は生体認証で入れたので……」

「俺があんな大金持ちに見えるかよ。……でもなんか、驚いたよ。お前がここに来るなんて」


 俺の方から避けてたっていうのに。

 

「……回りくどいのはやめにしましょう」



 すると仁心は立ち上がり、なぜか正座してしまっていた俺に近づき、また座った。

 


「私、ダニーからお兄さんの事、色々聞いたんですよ。その時は、もっと卑屈で閉じ籠ってて、自分の事だけ考える人だと思ってました」

「それはダニーの偏見じゃないかな」

「でも、こうも言ってました。『彼の不幸は、何よりも孤独な事だ』って。ダニーにはキーラがいて、仕事の仲間がいます。でもお兄さんは、ずっと一人だった……」


「まあぼっち度では負けな……」



 俺は、次の言葉を継げなかった。



 仁心が立ち上がり、そして、その華奢な腕で俺を抱いたからだ。首筋に吐息を感じる。息が詰まる程の緊張がはしる。



「痺れますね……足……」




 俺は、頭が痺れるよ……。





「――ダニーがいなくなったら、私は一人になってしまいます。でも……お兄さんは私を、ちゃんと人間として見てくれる。……そんな人に嫌われたくない。そんな人と、一緒にいたい。そう思うのは……間違った事なのですか……?」



――俺は馬鹿だ。


 仁心の哀しげな目を見てると、自分が不幸で孤独だなんて、恥ずかしいとすら思えてくる。


 仁心の方が、何倍も孤独だ。なんたって世界に一人しか、仲間がいないのだから。


 その唯一の嫌われてる仲間にわざわざ頼んで、嫌いなトリセツを持ってここまで来たわけだ。


「……だから、無理して私を家族だなんて思わなくていいんです。家に一台ある、ただの家電として……私を好きなように使ってくれればいいから、何でもするから、だから一緒に――」


「バーカ。お前はもう俺の妹だよ……」



 それだけの言葉で、パッと顔を輝かせる仁心。



 無意識に触れたその黒髪は、とても柔らかかった。



 * * *



――はあ。一人暮らしの夢は叶わずか。


 まあいい。この際素直になって言ってやろう。




「――なあ仁心。そろそろ湿っぽいのも終わりにしないか?」

「……そうですね。もう私達は兄妹なんですからね」

「それに、明日から楽しい新生活だってのに、お前堅苦しすぎじゃないか?」

「……そうでしょうか? どうすればいいのか……」


「そうだな。手始めに俺の呼び方は、『お兄ちゃん』に変更しよう。大事な事だ」


「……はい。お兄ちゃん。心に留めておきます――」




 * * *



――こうして、貴人には念願の妹ができた。


 その上、大学を卒業し社会人となるまであらゆる費用が保証されるようだ。学校からは、新生活が安定するまで休養せよという指示。


 つまり彼は、金も時間も妹も、全てを一遍に手に入れたのである。当然悠々自適な生活が始まる。


 貴人自身もそう考えたが、二人暮らし故の困難と波乱を、彼はまだ知らないのである。

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