06 妹の教育係になりました
「あ゛~。重っも……」
「私が持ちましょうか……?」
「いや……妹に持たせるわけには……」
俺達はようやく買い物を終えてデパートを後にした。仁心の衣服やシャンプー、数日分の食料の入った袋がかなり重い。
時間も金もあるのだから毎日外食してもいいのだが、さすがに甘え過ぎだと思う。
明るい晴れた日の外では目立ちすぎだと思い、仁心にはTシャツと黒のパーカーに着替えさせた。
キャップを被ればどこにでもいる普通の少女のできあがりである。
俺達は来るときより自然に歩調を遅めていた。面と向かって改まるまでもない、他愛のない会話をするために。
「……さっきは驚いたよ。お前から出てくるなんてな」
「……ごめんなさい」
「お前は全く間違ってないぞ。むしろ助かった」
「そうなんですね。……良かった」
しかし、妹に助けられる兄というのもどうかと思う。
「あの人は……お兄ちゃんの敵なんですか?」
「……!! 無表情で身も蓋もないな……」
「ああ。一応な……。かなり昔、俺は『弱者に精神的、物理的苦痛を執拗に与える遊び』の犠牲者だった。つまりは……いじめられてた……」
俺にも初めは、普通に友達を作ろうとしていた時期があった。
というか、必要を感じて『友達』を取り繕うとしたのがマズかったのかもしれない。
色々やり直した今なら、俺にも非があった事は分かる。
「あの男の人もですか……?」
「……いや、あいつは側で笑ってるだけだったよ。自分の手を汚さないのがさらにタチ悪い……」
「そっか……」
仁心の顔が少し明るくなる。
「それなら、私はやっぱり正しかったんですね……」
「ああ、もちろん」
「見ました? あの驚いた顔。……何だかとてもいい気分です。こういう時はえーと、ザ……
……ザー……」
「ざまぁみろ。だろ……?」
「それです! 『ざまーみろ!』って感じです」
仁心にはあまり使って欲しい言葉じゃないが、悪が成敗される爽快感はAIでも同じらしい……。
「仁心」
「はい。なんでしょう?」
「言うのも恥ずかしいし、疑ってる訳じゃないが……」
俺は、仁心に最低限の道徳というやつを教えた。
相手が嫌な事はしない。むしろ優しくしろ。情けは人の為にならないとかなんとか……。
真剣に聞いてくれるのが逆にハズい。
「それはどう判断すれば……?」
しかも的を射た質問をしてくる。
「自分がその相手だと思ってシミュレーションするんだよ」
「シミュレーション……」
「まあ、お前ならすぐに慣れる。しかし問題は、中にはこれが機能しない人間もいること。そういうのとは関わらないのが一番だ」
「はい!」
「ついでに、煙草を吸っている奴にも近付くな。あと、金髪に染めてる男にも……」
「……わかりました」
こいつ本当に分かったのか?
「お兄ちゃん……」
「なんだ?」
「その……。お兄ちゃんに知っておいて欲しい機能があります……。『命令』という機能で……。言葉で私の意思や行動を制御するものです。詳しい事はあの説明書に……」
「ちょっとストップ……!」
咄嗟に立ち止まった俺につられ、仁心も立ち止まった。
「はい……?」
「そもそも何でそんな機能があるんだ? お前にそんなの必要か?」
「必要ですよ。安全装置ですから……」
仁心は儚げな顔になる。その意味は聞くべきでは無い気がした。
* * *
その後俺達は直ぐに駅に着いたが、電車に乗る事はなかった。
中入ろうという時に車道に真っ赤なスポーツカーが停車し、窓を開けた茶髪の女性がこう言ったからである。
『二人とも5秒以内に乗りなさい』
「キーラ! なんでここに……?」
彼女はダニーとアメリカにいると思っていた。
俺達が訳も分からず車に乗り込むと、彼女は車を出しながら冷たく答える。
「それは私の質問です。貴方は何を考えているんですか? 脳が腐ってるんですか? かわりに納豆でも詰めますか?」
ヒデェ……。
「仁心もです。あれほど言われてるのに……」
行儀よくシートベルトを閉めようとしていた仁心は少しびくついたが、キーラの罵詈雑言は長くは続かなかった。というか、俺が侮蔑されただけである。
しかし、次に彼女は少し口調を和らげ、
「ダニーは『そうなると思っていた』と……」
と言いながら、車のカーナビをカチャッと外して俺に渡した。
いや違う。アット社の某タブレットPCだよこれ。
この車、ダッシュボードが完全に改造されてる……。
『やあ、貴人君! ……元気かい?』
タブレットの画面にダニーの満面の笑みが映り、室内に優しげな声が響く。本性はただのロリコンマッドサイエンティストなのを忘れて安心してしまった。
「ダニー。仕事はどうしたんだ? 忙しくないのか……?」
『忙しくないと言えば嘘になる。実は今ホームパーティーの真っ最中でね……』
そう言ってダニーは一瞬、ゴージャスな部屋の中を見せる。シャンデリアや巨大なソファーがある。東京宅に劣らない程の豪華だ。
グラスを持った正装の男女が楽しそうに話込んでいる。
驚いくことにダニーが部屋を見せた数秒で何人かは名前までわかった。某大企業の社長にハリウッドスターやミュージシャン、ニュースでよく見る顔もある。
『……ただ、君にどうしても伝えたい事があった。まず一つは、私の思惑通りに動いてくれてありがとう。礼を言うよ』
「は?」
『家と学校を往復する生活だった君が、外の世界を知らない妹の為に変わろうとする。私はこういう成長物語が大好きでね……』
「ああ、そういうこと……」
『そして次に、無いとは思うが、万が一仁心の秘密が世間に広まるようなことになれば、君の命は保障できない』
『ダニーってもしかして凄くいいやつなのか?』と思った事を後悔した。
その後続いたダニーの長い説明をまとめると……。
・仁心が違法なクローンである事が広まるとかなりヤバい。
これに関してはよく分かってるつもりだ。まず世間が認めない。アット社には批判苦情が殺到するだろう。しかし、それはDNA鑑定でもしない限りバレる事はない。
それより注意すべきは、仁心がAIだという事だ。
・仁心が安全に生活できるよう教育する必要がある。
これも今日身をもって実感した。仁心は本当に何も知らない。知識が無いわけではないが曖昧すぎる。例えるなら、数学の公式を意味も分からず使えるのようなもの。
・ダニーはしばらく仕事やその他もろもろで仁心の世話をする時間がない。
どうしてもまだ研究すべき事があるんだとか。仁心もダニーに言わせればまだ『未完成』らしい。
・俺が仁心の保護者権教育的係になる必要がある。
キーラ頼もうにも、『溶鉱炉に入る方がマシです』と即答する程だから仕方ない。
ここまでは理解できだが、気になるのは『俺の命は保障できない』という言葉。
万が一逮捕されても死刑なんてあり得るのか? ダニーはともかく何で俺まで?
ダニーは、仁心には自分を守る最低限の『実力』があるから心配無いと言っていた。俺の方が危ないらしい。余計に混乱する。
しかしまあ、そのくらいの事は覚悟していた。
ダニーに助けられてからずっと考えていた。残りの人生、ただの恩返しに費やすのも悪くない。
取り敢えず、これからは目立たず仁心に現実社会の生き方を教えようと思う。
* * *
キーラに家まで送ってもらって荷物を片付けた後、仁心は今日買った小物類を楽しそうに整理し始めた。
昨日は畳張りの居間に仁心を寝かせたわけだが、自室の向かい、長い間開いていた部屋を彼女の部屋にする事にした。昔の祖父母の寝室である。
二人で掃除して布団にタンスやハンガーラックなど必要な物をなんとか運び込んだ。大抵両親の部屋にあったものだ。
別に兄妹っぽいとかではなく、何かあった時すぐ対処できるからだ。まあ仁心がどんな部屋を作るのか気になるってのもあるが。
その後、セブンで適当に買った弁当を食べた。疲れて料理する気力もなかったから。
そして今仁心は向かいの部屋にいて、俺も自室の机に座っている。仁心が珍しくトリセツを読んで欲しいと言ったからだ。
既に数分読んだが、はっきり言って胸糞悪い。
『命令』以外のページは読む気に慣れなかった。
* * * *
【命令】
行動、思考、感情、記憶などに関して、ニコのあらゆる精神的、肉体的制御を言葉により行う。
使用条件:管理者権限を持つ者。
使用方法:ニコに『これは命令だ』という意味合いの言葉と、命令内容を続ける。ニコの潜在能力の範囲内ならば命令内容に制限はない。
* * * *
管理者権限とは、仁心の内部システムにアクセスして色々できる権利。基本使わないが、俺も持っているらしい。
ページの下には、その他もろもろの注意事項が書いてあった。それをまとめると、命令機能は仁心を従わせるのではなく、仁心自身の安全の為に必要であるらしい。
法に触れる行為、人として間違った行為、自身を破滅させる行為を止めさせる為の安全装置なんだと。
問題は命令を遂行する時、仁心の本来の意識がねじ曲げられる事。つまりはその間、彼女はプログラム通りに動くただのロボットとなる。
できれば使いたくない機能だ。仁心にはまだ国籍も無いが、人としての権利は認められるはずだから。
念願の妹が電脳だった件 愚焉。 @Guen_marui
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