幸福な夕食

高梨來

おでん

 いっぱしの大人として、最低限のおつきあいだなんてものが必要不可欠なのは重々理解しているつもりではあるけれど。


「この後だけどさ、こないだ言ってたスペインバル行かない? 今日リーガ・エスパニョーラの放送ある日だからおいでよって言われててさぁ」

「四谷三丁目のとこ?」

「いいけどいまちょっと財布寒めなんだよね、誰かさんがセーブしてくれたらいけるかもだけど」

 盛り上がる周囲をよそに、粛々と帰り支度を進める。みなさまどうぞお楽しみください、こちらにはお気がねは結構ですので。

 散らばった書類に図書館で借りてきたばかりの資料、ペンケースにIDカード。必要なもの一式をひとまとめに詰め直したリュックをひょい、と背負ったタイミングで、横目にちらりと投げかけられたまなざしがこちらへと飛び込んでくる。

「忍も来るよね?」

「あぁー、」

 ヘアバンドからぴょこんとはみ出した髪をなぞりあげながら、あらかじめ用意しておいた返答をさらりと投げかける。

「ごっめんパス。また今度でいい? 今日さ、ご飯当番なんだよね」

 告げた途端、わずかに場の空気がこわばる。だよね、まぁ。特に言ってなかったし。

 にわかにざわつく空気をものともせず、あっけらかんと明るい口調で、忍は続ける。

「ごめんねー、先に言ってたら呼んであげてもよかったんだけどそんなたくさん用意してないんだよね。また今度ね?」

 さよならピンチョス、さよならパエリア、さよならトルティージャ。海外リーグのことは門外漢だけれど、彼らのご贔屓のチームがどうかあざやかな結果を残してくれますように。試合結果をネットニュースで拾って報告するような無粋な真似はしないのでどうぞご安心ください。

「じゃあお疲れさま、また来週ー」

 ひらひらと手を振りながら、いつもよりも心なしか軽い足取りで研究室を後にする。お鍋には昨晩から仕込んでおいた具材にちょうどいい塩梅に味が染みているはずだ。後は温めるだけで、ふたりぶんのご飯ができあがる。




 ――『ていうか同棲かよ。抜け駆けか』

 ――『いつから? 三行で教えて』

 ――『忍くんご飯作ってんだ、えらくない?』


 揺れる車窓の向こう側を過ぎていく見慣れた景色をぼんやりと眺めるようにしてドアにもたれ掛かったまま、スマートフォンの画面を行き交うグループLINE上での総攻撃を前に、やれやれといやに大げさに息をついてみせる。

 相談も事後報告も怠っていたのは確かだけれど、そもそもわざわざ言う必要があるようなこと? 芸能人じゃあるまいし。

 とは言え、あらかじめ明らかにしておいたほうがおいおいのためではあるのだけれど。数合わせ要因に誘われたりしないで済むので。


 ――『まだ引っ越す前だけどね、まぁぼちぼち決めちゃおうかなってとこ?』

 ――『俺が好きになりました。向こうも受け入れてくれました。いろいろあってとっても仲良しです。これで良かった?』

 ――『まぁ特に苦になんないからってだけだし。どしても苦手だったら無理にしなくてもいんじゃね』


 頭の中でだけ、ぽつぽつと返すつもりもない返答をこしらえながら画面を追いやり、メール画面を開きなおしてメッセージを確認する。

 恋人は既読機能の煩わしさからラインを使いたがらないのだけれど、そんなところもとびきりかわいい。


 ――『予定通り終わりました。あと十五分くらいで着きます。改札のとこで待ちあわせでいい?』

 ――『ありがと、こっちも同じくらいだと思う。気をつけてきてね。また後でね』

 スタンプが使えないのは味気なく感じるけれど、気持ちはちゃんと届いているのだからこれはこれで。

 鍵は渡してあるのだから、先に帰ってくれていて少しも構わないのに。ちゃんと待ち合わせていっしょに帰ろうと誘ってくれるささやかな心遣いが、忍はいつだってとびきりうれしい。


(これだってデートじゃん、ね?)


 ささやかすぎて笑われるだろうななんてことは、もちろん承知の上で。



 帰宅ラッシュの波にのまれるままに足早に階段を駆け上がり、軽やかにカードケースをタップして改札を後にする。

 ああ、いたいた。探すよりもすぐ先にすとんと滑らかに視界に飛び込んでくるのは、しゃんと背筋の伸びたスーツ姿でスマートフォンの画面に視線を落とす横顔だ。

 どこかこわばって見えるよそ行きの表情はふだん目にする姿よりも新鮮に写るのだから、このまま気づかないふりをして盗み見ていたい気持ちと一刻も早く声をかけたい気持ち、その両方とが不器用に混ざり合っては、いつだって笑ってしまうほどにあっさりと勝敗がついてしまう。

「あーまねっ」

 ぽん、とゆるやかに肩に手をおきながら声をかければ、すっかり馴染んだ穏やかな笑顔がたちまちに広がる。

「おつかれ、待たせてごめんね。仕事だいじょうぶ?」

「うん別に。今週そんな忙しくなかったし、おまえのほうは?」

「ぜんーぜんっ」

 ゆるく笑いかけながら、手の甲をかすかにぶつけあう。ふたりだけにしかわからない、ささやかなサイン。

「スーパー寄って帰っていい? いるもんあったら言ってね」

「おう」

 笑いあいながら、駅に隣接されたスーパーへと向かう。




「トマト入れるとおいしいんだよね、だしの味でじゅわーってして」

「変わってんな」

「や、だってお味噌汁にも入れるでしょトマト。同じだって。あと、レタスね」

「ますます変わってんな」

「そっかなー?」

 ずらりと並んだ色とりどりの野菜を見ながら、わいわいといつものように取り留めもない会話を交わしあう。

 生まれ育った『家庭の味』にそれほど特徴がある方だとは思わないけれど、それぞれに持ち寄った習慣を確かめ合うこんな時間には、いつだって言葉にはできないささやかないとおしさが満ちている。

「あ、アボガド安くなってる。ちゃんと熟してるやつあるかな」

 堆く積まれた山を漁るようにしていれば、ちらりと猜疑心まじりのまなざしが横目に注がれる。

「なぁそれって」

「明日の朝ご飯だよ。周好きでしょ、アボガドオムレツ」

 ――さすがにどろどろに溶けてしまいそうだし、そこにチャレンジするつもりは。


 値引きマークのついたサラダ、半額セールの冷凍食品、発泡酒でも第三でもないちゃんとしたビール(せっかくの週末の貴重なひとときなので、ここはけちけちしない)、袋詰めの値引きになったパン。ものはついでとばかりに、頭の中で献立スケジュールを組み立てながら必要なものをぽいぽいとかごに入れていく。

 単なる日常における必需品の買い出しに過ぎなくたって、やっぱり買い物ってある種のアドレナリンが放出される。それが、一番そばにいてほしい大切な相手とともに囲む食卓のためだなんて思えばよけいに。

「ねえねえ、しめってラーメンでいい? うどんの方が良かった?」

「おでんじゃなかったっけ」

 麺売場の棚を見ながら尋ねれば、とたんに不可思議そうに首を傾げられる。

「や、ほらさ。最近コンビニのおでんにラーメンとかうどんとか入れてくれんじゃん。うちだといっつもご飯だったけど麺かーって思ってさ、うちでもやってみたら案外おいしくて」

 大人になってからのおでんはすっかりお酒のあてになったので、ご飯をよそうよりもしっくりきたのも当然というか。

「きょうご飯炊いてないからさ、冷凍ご飯ならあったからそれでもいいけど」

「じゃあラーメン?」

「食べたらわかるって、ね」

 半信半疑の顔をじいっとのぞき込むようにしながら、二食分セットになった鍋用煮込みラーメンのパックを手に取る。



「ありがとうございましたー」

 ピークタイムは過ぎたらしいスーパーの扉をくぐり抜け、喧噪の群へとはじき出されるようにしながらふう、とゆるやかに息を吐き出し、上着の袖口からちらりと姿を覗かせた骨ばった掌をじいっと眺める。

 冬は嫌いではないけれど、この掌がぶあつい手袋にくるまれてしまうのはやっぱり残念だな、と思わずにはいられない。人前で堂々と手を繋いで歩けるわけではないけれど、それでも。

「どした?」

 視線に気づいたのか、ちらりとこちらを伺うまなざしが向けられる。

「や、別に。寒くなったなって」

「寒いの苦手だもんな、おまえ」

「動きたくなくなんじゃん」

 この時期にしかない楽しみだってたくさんあるのだから、あながち悪いことばかりではないけれど。

「なんかさぁ、不思議だよねえ」

 まだ白くは曇らない息を吐き出しながら、忍は答える。

「また秋になって、これから冬になって。そやってまた巡ってくんだなって思うとなんか、あたりまえなのに不思議だなって」

 去年と同じ道を、去年とは違う思いを胸にまたこうしてふたりで歩いている。

「――あとどのくらいなんだろな」

 ぼそり、と吐き出された言葉に答える代わりのように、はだかの手の甲をこつんとゆるくぶつけあえば、少し冷たくてこわばった感触がひたひたと骨身にしみていく。

 部屋までは、あと五分と少し。あとどのくらいだけ、すっかり通いなれてしまったこの道をこんな風にして行き来することになるのだろう。




「いっただっきまーす」

「いただきます」

 ぱちん、と手を合わせあい、電気鍋に移した味のしみたおでんをふたりで囲む。

 じっくり煮込んだ大根やがんもどきや牛すじはしっかりだしの味が染みて優しい色合いに、煮崩れやすいじゃがいもも後から入れたのでしっかり形を保ったまま、ほどよくだしの味が染みて食べ頃になっている。

「じゃがいもってさ、カレーには絶対いると思うんだけど、お肉の味がでるようにじっくり煮込んだらぐずぐずに溶けちゃうじゃん。友達んとこだと、だからあえていれないで付け合わせにマッシュポテトにするって言ってて」

「うん」

 もち巾着を頬ばりながら相づちを打ってくれる姿を前に、忍は続ける。

「でもさぁ、冷凍庫とかに入れておいて温めるころには野菜が全部溶けてルーがどろっどろになってるカレーっておいしいよねえ。おうちの味って感じすんじゃん。俺ね、鍋のはしの焦げ付いたとこご飯にのっけんのすごいすき」

「おまえよく木べらでこそげとってるもんな」

「おいしいじゃんだって、うちじゃないと食べれないしさぁ」

「わかるけど」

 言葉少なに、それでもリラックスした様子で笑いかけてくれる姿にさぁっと胸の奥が泡立つ。

 叱られたんだろうなきっと、行儀が悪いとかなんとか言われて。お裾分けにと煮詰まったこげを乗せてあげた時、少しだけしかめられていた表情が、ひとたび口にした途端にゆるやかな笑みになった瞬間のことを、忍はいまでも色鮮やかに覚えている。そんなこと伝えたらきっと、笑われるだろうけれど。

 固く閉ざされた気持ちのかけら、そのひとつひとつが解かれていくようなそんな言葉に出来ないいとおしさに満ちた瞬間が、こうして食卓を囲むようになってから幾度訪れたのだろう。

「なぁ、辛子とって」

「はーい。あ、七味もいる?」

「おう、あんがと」

 薄茶色に染まった大根に彩りを添えるみたいな黄色と赤をぼんやりと眺めながら、思わずぼうっと瞳を細める。

 恋人は食べ物の食べ方、口元へ運ぶ仕草やお箸の使い方ひとつひとつが、いちいち見とれるくらいに綺麗だ。(ひいきめなんてものは差し引いたって)

 育ちがいいってこういうことを言うんだな、きっと。

 作法なんてものをかけらも気にもとめずにぽいぽいと気分の赴くままに大きな口を開けて食べるこちらを前に、どこか戸惑いを隠せない様子でいたのは、記憶にまだ新しいままで。

「なんかこの七味さ、味が違う?」

「あ、わかる? おみやげでもらったやつなんだよね。京都行ったって人がいて」

 生八つ橋とどっちがいい? だなんて聞かれて選んだのはどうやら正解だったらしい。

「周結構グルメだよねえ、そゆの敏感っていうか」

「いいのか悪いのかわかんないけどな」

 まねをするようにして、七味と山椒をはらりとふりかけた大根を口にする。ほんの少しのアクセントは、ほっくりとよく煮えただしの味を程よく引き締めてくれておいしい。

「きょうは入れなかったけどさぁ、おでんって豆腐入れても美味しいんだって」

「豆腐?」

 ぱり、と音をたててウインナーにかじりつく姿を前に、忍は答える。

「お鍋とかすき焼きにも豆腐入れんでしょ。それと同じだってさ」

「寒いと食べたくなるもんな、湯豆腐」

 あっさりしたものだからこそ、どんな鍋料理でも主張しすぎずに調和してくれるのは確かだ。

「鍋にしよっか、今度。水炊きとどっちがいい?」

「味付いてるやつ。おじや食べたくない?」

「鍋キューブ買っとかないとな」

 牡蠣か蟹あたりがあれば出汁も出てぐっと豪華になるけれど、ありものだけでもじゅうぶんおいしい。

「きのこでしょ、白菜でしょ、長ネギでしょ。あとさ、ぶりとかもおいしいよね。鮭でもいっけどさぁ」

「食いながら次に食うもん考えてるってのもあれだな」

「いいじゃん、お楽しみがたくさんあるってことでしょ?」

 笑いながら、ようく出汁のしみこんでふくふくに膨らんだちくわぶにかじりつく。

 鍋料理だなんて、誰かの家に大勢で招かれてか、呑み会のコース料理くらいでしかお目にかかることなんてそうないと思っていたのに。

 こんな風に気の置けない間柄の相手とふたりきりで囲む食卓は、そのどれとも比べようがないほどのとっておきのごちそうだ。



 思う存分おなかいっぱいになるまで食べたところで、たっぷり仕込んだおでん種をタッパーに取り分ける。

「明日のお昼でもいい? 持って帰るならそれでもいいけど」

「明日でいいじゃん」

 いっしょに食べようと言ってくれているのだなんてことは、言葉にしなくたってちゃんと届いてる。

 煮詰まってかさも減った出汁をお湯で薄め、中華スープの素を入れてひと煮立ちさせるようにして味を馴染ませる。よく煮えた牛筋は串からはずして、チャーシュー代わりの役目を果たしてもらう。仕上げにたっぷりの刻みネギをふりかければ、〆の煮込みラーメンの出来上がりだ。

「美味しそうだねえ」

「へー」

 感心したような口ぶりで答えながら、長い菜箸を手に、出汁のよく絡んだ縮れ麺を取り分けてくれる姿をぼうっと眺める。お茶碗に行儀よくよそわれたラーメンはなんだかおままごとみたいで、どことなくかわいい。


 ふぅ、ふぅ、ふぅ。汁が飛んでやけどをしないように、熱くてびっくりしないように。いつもみたいに慎重に口にする姿を前に、どこかおかしみを隠せない様子でゆるめたまなざしを向けられるのは、いつまで経っても変わらない。

「そんなおかしい?」

「別に、」

 ぶっきらぼうにぽつりと漏らされる言葉を前に、ひたひたと言葉になんてならないいとおしさがせり上がっていく。

 熱いものがすぐに食べられないのを知って、ちゃんとペースを合わせるようにして、必要もないはずなのに同じように慎重に冷ましながらいっしょに食べてくれるあたり、周はいつだって最高にかわいい。

「そういや来週なんだけどさぁ」

 ずず、と音をたてるようにしてラーメンを啜りながら忍は尋ねる。

「土曜なんだけどね、学会の受付やんなきゃいけなくて」

 会場となったホテルの名前を告げれば、あー、とちいさく声があがる。周の会社からもほど近くの、そこそこしゃれたシティホテルだ。

「大変だな、休みなのに」

「まあねえ、スーツ着て座ってるだけだし。割のいいバイトみたいな」

 貴重な時間が減るのは残念だけれど彼氏にだってひとりの時間は必要なはずだし、先立つものは大切なので、そこはまぁ。

「周も来る? 上に部屋取ってるから~ってやつやろうよ。映画とかであんでしょ」

「そんな無駄遣いしてどうすんだよ」

 予想通りとしか言えない答えを前に、ひるまずに応戦の言葉を投げ返す。

「だよねえ? じゃあさ、終わったら周ん家でいい? 外でもうちでもどっちでもいいからさ、ご飯またいっしょ食べようよ」

 くすくすと笑って答えながら、くにくにと弾力のある牛筋を奥歯で噛みしめるようにする。

「ていうかさぁ」

 ずず、と音を立ててラーメンを啜る傍ら、恋人は尋ねる。

「帰っていいわけ、そんなあっさり」

 どこか疑念を晴らせない様子を前に、あっけらかんと笑いながら忍は答える。

「先に言われたのね、若者を長時間縛り付けるような無粋なまねはしないから終わったらすぐ解散だって。洒落てるよね、なんか」

「いいけど、そんだけじゃなくて」

 歯切れの悪い様子で、ぽつりと遠慮がちな言葉は続く。

「おまえさ、つきあい悪くなったとか言われない?」

「ああー……」

 ほうら、見たことか。字幕をつけるならきっとそんな台詞がぴったりくるはずの気まずそうな表情(最高にかわいい)を前に、あっけらかんと言葉をかぶせる。

「まぁそゆのってお互い様みたいなとこあんじゃん。それとなく言っといたほうがいろいろと誘われなくて済むしね?」

 もちろんありとあらゆる誘いの類すべてを断っているわけではないし、その点は周もあおいこだ。遅くなっても大抵の場合は部屋で待ってくれているし。

 にっこりと強気に笑いかけるようにしながら忍は答える。

「周はさ、俺が外でばんばん遊び歩いてる方が安心すんの?」

「……言ってないだろ、んなこと」

 ぎこちなくぽつりと漏らされる言葉に、こらえようのないいとおしさはぐんと深くせり上がって、あまくくすぶったぬくもりを胸一杯に広げてくれる。

「わかってるって、ね」

 にこにこと笑いかけながら、差しのばした掌で、少しだけ乱れた髪をさわさわとやわらかになぞる。


 これから先、あと何百回、何千回こんな時間を繰り返していけるんだろう。

 机を隔てたこの距離のもどかしさが埋まることはこの先もきっとないけれど、それらを乗り越えていけるように辿りあう指先のぬくもりを、そこでだけわかちあえるあたたかさを、その折々に見せてくれるとびっきりの笑顔がくれる掛け値なしの安らぎを、ふたりはちゃんと知っている。


「ほんとはさ、みんなもきたらいいじゃんって言えたらいんだけどさぁ」

 よく冷ました麺をつるつる、と啜りながら、忍は答える。

「でもさ、周かっこいいからみんなも好きんなっちゃうかもしんないじゃん。だからまだしばらくは俺がひとりじめすんね、ね?」

 なんの遠慮もいらないまま他の誰かを招きたいと思える日もいつか来るのかもしれないけれど、それまではひとまずは、まぁ。

「忍……、」

 照れ隠しめいたぎこちない返答へとかぶせるように、にっこりと強気に笑いかけながら忍は答える。

「おいしーね? 周」

「ん、」

 心から告げられるまっすぐな言葉を前に、うっとりと満足げに瞳を細めることで答えてみせる。


 自分たちはあたりまえに、こんなにも幸せです。どうぞどなたさまもご心配なく。

 心のうちでだけぽつりとやわらかくそう呟きながら、もう何度目かわからないやさしい溜息をこぼす。

 湯気の向こうににじむ恋人の姿は、いつだって何よりものごちそうだ。





 ――『盛り上がってるよー』

 グループラインからせっせと流れてきた色とりどりのスペイン料理を前に、応戦とばかりに湯気をたてるおでん画像を送り返す。念のため、向かいに座る恋人の姿が写らないようにだなんて配慮はするけれど、まぁ。

「見て周、すごいよ」

「へぇー」

 殻付きの貝に頭のついたエビ、色とりどりの魚介類が彩りを添える鉄鍋いっぱいのパエリヤの画像を前に、傍らの恋人からは、素直な感嘆の吐息が漏れる。

「家でも作れるかなぁ、中華鍋ならあるもんね。調味料ってなんだろ、カルディとかにもあるかな?」

「おまえのその無駄なチャレンジ精神はなんなんだよ」

 すっかりお馴染みの呆れたような口ぶりでのそんな問いかけを前に、にいっと強気に笑いかけるようにしながら得意げな言葉をかぶせる。

「だって美味しそうじゃん、食べに行くのでもいいけど、家でいっしょに食べんのがいちばん落ち着くじゃん。周はそうじゃないの?」

「まぁ、」

 笑いあいながら、画面に添えた指先をそっと重ね合う。


 さて、今度はいっしょになにを食べよう?

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幸福な夕食 高梨來 @raixxx_3am

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