トレントは、勇者になりたい。

朝焼け色の勇者は、青空を仰ぐ

 ――あれから一週間が経った。


 アナベルくんの姿がない魔の森はなんだか静かだった。

 いや別に、アナベルくんが森の中で大はしゃぎするような人だった、と言うわけじゃないれど。


 でも、うん。

 静かだった。


 街はもっと静かだった。

 アナベルくんってば、趣味の話は一つも嘘をついてなかったみたいで。きっと、ずっと昔から悪戯好きだったんだろうなぁ。

 森に近いトスファの街の人間さんたちのなかでも、特に騎士さんたちなんかは「呪い人形が三日も現れていない……!」ってなんだか逆に怯えているようだった。


 騎士さんたち、黒い影が動くだけでびっくりしてた。僕、そうやって騎士さんたちが驚くたびに、なんだかアナベルくんが物陰からひょっこり出てくるんじゃないかな、なんて思っちゃった。


 今、僕とラウネさんは雲を遥かに下にして青空を歩いている。

 正確に言うと、神山を登っている。


「ラウネさん、神気酔いは大丈夫?」


 僕は背中に託された銀の柄を避けるようにしながらラウネさんを振り返った。と同時に、魔の森のみんなから預かったお土産とお花を溢してしまった。


「あわわ……」


 山道から転げ落ちそうになった綺麗な石を、間一髪、念力で持ち上げる。思わず、安堵の息が漏れた。


「難しい? 念力とか使うの」

「うーん……普通の時に使うのは、ちょっと難しい。多分ね、アナベルくんが手伝ってくれるのって、本当に大変な時だけなんだと思うんだ。アナベルくんってば、意地悪なんだから」


 僕はわざと頬を膨らませながら笑う。そしたら、「そうね」とラウネさんが微笑んだ。

 そこに寂しさを見つけて、でも、それを指摘するようなことはしない。

 だって、きっと僕も似たような顔で笑っているだろうから。


 僕らは、アナベルくんのことを話しながら山を登った。

 出会った時のこと。一緒に過ごした思い出。たくさん、たくさん。


 そうして歩いていたら、ラウネさんは少し足元がおろそかになったみたいで、石に躓いて転びそうになっていた。「こういう時、絶対に揶揄ってきたわよね」と言って笑いながら、ラウネさんはポロっと涙を零したようだった。


 ******


 アナベルくんのことを話しながら歩いたら、クリエさんの家にはすぐ着いた。

 クリエさんはぼろ小屋の前に立って僕らに手を振っていた。


「いらっしゃい。悪かったね、金の魔法陣を取り上げて歩いてこさせてしまって。疲れたろう?」


 僕は笑顔で首を横に振る。


「アナベルくんのことをお話しながらこれたから、気にしないでください」


 クリエさんの細い指が僕の髪を撫でる。くすぐったさに首を竦めながら僕は上目にクリエさんを見た。


「あのう、クリエさん。これね、アナベルくんに、魔の森のみんなからお土産を預かってきたんです。……会えますか?」


 僕が囁くと、クリエさんは穏やかに頷いてくれた。

 

 クリエさんに案内されて、ぼろ小屋の扉をくぐる。部屋の中は、前に来た時と同じく真っ白だった。


「二人とも、もう少し私の側においで。部屋を変えるから」


 僕もラウネさんも「はーい」と返事をしてクリエさんに寄り添う。すると、クリエさんはパチリと一つ指を鳴らした。

 白い壁が歪んで変わっていく。魔王様がやったのと同じような感じだった。


 白一色だった部屋は、見る見るうちに、普通の部屋になった。


 普通。ごく普通な感じだ。なんて言うか、まさに人間さんの家だ。


 木でできた温かな床と壁。テーブルの上も綺麗に整えられている。なんだか、今にもシチューの匂いがしそうだった。


 そんな部屋の隅、仮初の窓の傍に、陽光を受けるロッキングチェアがある。

 誰が揺らすでもなく、柔らかくキイキイ揺れている。その揺れに合わせて――綺麗な黒髪が煌いている。


「――アナベルくん」


 我慢できずに呟いたって、言葉は返ってこない。


 僕は深呼吸してから、ロッキングチェアの前にまわった。そしてゆっくりと跪いた。


 ――そこには、静かな微笑みを湛える、アナベルくんの体があった。


 傷もない。ヒビも。髪の毛だって、丁寧に整えられて前と全く同じだった。

 ドレスだってほつれひとつ無くて――以前よりちょっとフリルが増えているのは、クリエさんのお茶目だろう。


 僕は思わず笑ってしまいながら、やっぱり泣きそうになった。


「アナベルくん」


 僕は囁きながら、お土産をロッキングチェアの側に置いて彼の手をそっと触った。

 僕の頭を良く撫でてくれた手だ。僕たちを守るために戦ってくれた手だ。


「アナベルくん、これね、魔の森のみんなからのお土産。みんな、アナベルくんに会えないの、寂しいって。だからね、僕、教えてあげたんだ。僕の中にアナベルくんがいるんだよって」


 アナベルくんは何も言わずに微笑んでいる。人形そのものの笑みを湛えている。


「ねえ、アナベルくん」


 僕の肩をツタが擦る。僕の首筋にウッドゴーレムが寄り添ってくれる。


 ラウネさんも、ウッドゴーレムもいる。それに何より僕の中にアナベルくんがいるから、寂しくない――なんて、そんなの強がりなんだ。


 本当はね。

 また、一緒に遊びたいんだ。もっといろいろ、教えてもらいたいんだ。

 お喋りしたいんだ。

 

「あのね、アナベルくん……」


 でも、それは出来ないことだって、知ってるから。


「僕ね、ちゃんと、勇者になるからね。世界を守るからね。何百年、何千年だって、ずっとずっと、守るから。だからね――、」


 いつか、星の巡りが変わるくらい未来の話になったとしても。

 君がまた生まれるときに、平和な世界であれるように。


 僕が、世界を守るから。


「――僕の事、見守っててね」


 僕がそう言った直後、背後でガチャリとドアが開く音がした。

 まさか、と思って振り返ったらそこにいたのは――


「ああ、こんなに綺麗に……くーちゃん、大変だったであろう」


 ――背の大きな姿の方の、魔王様で。


 僕は思わず脱力して、しりもちをつきながら笑ってしまった。

 

「魔王様、ふふ……魔王様だ……」


 魔王様かぁ、という言葉は飲み込んで立ち上がる。こっちに向かってくる魔王様とクリエさんに場所を譲るためだ。僕の背後にいたラウネさんも、同じように小さく退いた。

 僕はラウネさんに抱き着きながら、ちょっとだけ、泣いた。


 ******


「もう、帰るのか」


 寂しそうなクリエさんと、それから幼い姿に戻った魔王様とに見送られながら、僕は微笑んで頷いた。


「まずは、アナベルくんが貸してくれてるスキルとかをちゃんと使えるようになりたいんです。だから、たくさん修業しないと」


 二人とも、「そうか」と頷いてくれている。ふと、何かに気が付いたらしい魔王様が僕の方へひょこひょこやってきた。


「トレント――いや、ジョシュアよ。聖剣を引きずっていては、格好がつかんぞ」


 魔王様がクスクス笑う。銀の髪が揺れている。僕は慌てて振り返るけれど、自分ではよくわからなかった。


「えっ、ずってますか!?」

「ほれ、我が直してやろう。きつくないかの? ……うむ、この方がずっといい。なぁ、くーちゃん」

「そうだな、はーちゃん」


 僕は魔王様にお礼を言って、それから胸を張って――ちょっとだけ俯いて、魔王様とクリエさんを上目に見た。


「……また、アナベルくんに会いに来てもいいですか?」


 クリエさんは、お母さんみたいな顔で笑った。


「もちろんだとも。好きな時に来てあげてくれ」


 ******


 それから、僕らはクリエさんに金の魔法陣の改良版のネックレスを貰って山を下りた。


 やっぱり王都は賑やかで、街道は馬車と魔車が走っていて――空は、アナベルくんの目と同じ色だった。僕の右目と同じように、青かった。


 平和を示すように、青かった。


 ――この青を、ずっと、ずっと守れるように。


 僕は願いを込めて、ぐっと空に手を伸ばし、空に向かって微笑んだ。

 

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トレントは勇者になりたい。 ごんのすけ @gonnosuke0630

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