第二十四話 後始末
「それじゃあ、ケン坊。次はいつになるか、わからないが……。それまで元気で暮らしなよ」
「はい、ゲルエイさん!」
口では元気に挨拶しながらも、
ゲルエイ・ドゥは、それに気づきながらも、あえて指摘せずにスルーして、逆召喚の呪文を唱える。
「ヴォカレ・アリクエム・ヴェルサ!」
これでケンは、無事に、元の世界へと帰っていったはずだ。確認は出来ないが、今回も大丈夫だろう。逆召喚の魔法は今まで何度も使っており、一度も問題など発生していないのだから……。ゲルエイは、そう確信していた。
「さて……」
依頼された裏の仕事を遂行して、別の世界から呼び出した少年ケンも逆召喚した。いつもならば、これで一通り終わったことになるのだが……。
「……今回は、ちょっとだけ後始末が必要なようだね。だが、それは今日じゃない。明日以降だ」
一人になった部屋でゲルエイは、自分自身に宣言する意味も兼ねて、言葉にするのだった。
――――――――――――
翌日。
霜の月の第十、大地の日。
つまり、月日としては十一番目の月の十番目の日、曜日としては一週間の中で六番目の日。
いつものようにピペタ・ピペトは、三人の部下と共に街の見回りをしており、南中央広場に差し掛かるところだった。
「あの野菜売りは、今日は休みのようですね」
部下の一人であるウイングが、ふと呟いた。
彼の視線を追うと、そこだけ人の賑わいのない、ぽっかりとした空間が目に入る。いつもはレグ・ミナが野菜を売っている場所だった。
「確か彼は、昨日も休みだったような……」
ウイングは細かい部分にまで気を配っているな、と思いながらピペタが聞いていると、
「店が休みなのは、喪に服している、ということなのでしょうか」
女性騎士のラヴィが、そんな意見を口にした。彼女は、息子ファバを亡くしたばかりのレグの心情を、思いやりを込めて想像してみたのかもしれない。
しかし、もう一人の部下であるタイガが、彼女の言葉を否定する。
「いや、それは少しおかしいですよ。だってレグは、二日前も三日前も、元気に店を開いてましたから」
「それを言うなら『元気に』ではなく『気丈に』と言うべきでしょう。おそらく彼は、悲しみをこらえて頑張っていたのでしょうから」
ウイングが細かい指摘をするが、タイガは聞き流す。重箱の隅をつつく程度の問題、あるいは、一種の揚げ足取りだと思ったのだろう。
タイガは、一週間前にはファバが身投げする場面に立ち会っているし、四日前の葬儀にも出席している。お調子者のタイガではあるが、この件に関しては、真面目な態度を見せていた。
「騎士様、レグのことでしたら……」
ピペタたちの会話を聞きつけて、近くにいた露天商が、声をかけてくる。
「私たちも心配になって、先ほど、仲間の一人が様子を見に家まで足を運んだのですが……。留守だったようです」
「そうか。情報提供、感謝する」
一応ピペタは、そう返しておく。
すでにレグが亡くなっているのをピペタは知っているが、露天商仲間たちは、その事実をまだ知るはずもないのだ。
「少し妙ですね。商売も休んで、誰にも告げずに、どこへ出かけたのか……」
ウイングが呟くと、呼応するかのように、ラヴィも意見を述べる。
「墓参りでしょうか。息子を弔う意味で、霊園に足繁く通っているとか……。あるいは、巡礼の旅にでも出たのでしょうか。ピペタ隊長は、どう思います?」
「どうだろう。私には、見当もつかないな」
水を向けられたピペタが曖昧な言葉を返す横では、ウイングが、まだ何やら考え込んでいた。
「どちらにせよ、葬儀の翌日からではなく、昨日からというのは……。そこに、何らかの意味があるかもしれませんね……」
しかし、レグに関する会話は、そこで終わりとなった。
「ああ、ピペタ小隊のみなさん! やっぱり、この広場でしたね!」
騎士団本部――通称『城』――で働く若い騎士見習いが、大きく手を振りながら、走ってきたのだ。汗だくの様子を見れば、彼が伝令として大急ぎで駆けつけたのは、一目瞭然だった。
「みなさん、緊急事態です。急いで本部に集合してください。僕は他の小隊にも連絡して回らないといけないので、詳細は本部で聞いてください。それでは、失礼します!」
それだけ言うと、また走り去る見習い騎士。
「緊急事態とは不穏な話ですね、ピペタ隊長」
「ここで考えても仕方ないだろう。さあ、急いで戻るぞ!」
心配そうな部下を率いて、ピペタは、本部へと向かう。
裏の仕事を昨晩遂行したばかりのピペタは、事情を察していた。
おそらく、今日いつまでも来ないアリカムを心配して、誰かが彼の屋敷に派遣されたのだろう。その結果、アリカムと他二名の死体が発見されたのだろう。
あるいは、屋敷の使用人たちが届け出たのかもしれない。住み込みの使用人はゲルエイが魔法で眠らせたはずだが、睡眠魔法が効きすぎて、今ごろ目を覚ましたのか。それとも、もっと早くに目覚めて死体は見つけていたが、今まで「どうしよう、どうしよう」と、届け出もせずに震えていたのか。通いの使用人だって、とっくに屋敷に来ている時間帯だろう。
どういう経緯で、アリカムの死が騎士団に伝わったにせよ……。都市警備騎士団の現役の小隊長が殺されたとなれば、全員が――少なくとも同じ大隊のメンバー全員が――召集されるのも当然。それが、ピペタの考えだった。
――――――――――――
少し離れた場所で店を構えていたゲルエイにも、ピペタたち四人が慌ただしく帰っていく様子は、はっきりと見えていた。
ゲルエイの占い屋は、繁盛しているとは言い難い店だ。そんな暇な状態で店番しているのだから、ピペタたちの方に視線を向けていても、不自然ではなかった。
ピペタ同様、ゲルエイも事態を予想する。
ようやく、アリカムたちが殺されたと発覚したのだろう。ならば……。
「息子たちの方も……。そろそろ発見される頃かねえ?」
ゲルエイは、誰にも聞こえないような小声で、そっと呟いた。
その夜。
空がすっかり暗くなった頃。
ゲルエイは一人で『魔女の遺跡』と呼ばれる屋敷に向かっていた。昨晩、フィリウスたち三人を仕留めた場所だ。
そして。
屋敷の近くまで来たところで、門番のように立っている二人の騎士が、ゲルエイの視界に入った。
「ふむ。やはり、もう死体は見つかった後のようだね」
見張りがいるのは、想定通りだ。
昨日計画したように、人々に「フィリウスたち三人が『魔女』の呪いで死んだ」と思わせるためには、彼らの死体が『魔女の遺跡』で発見される方が都合よかった。
だが、死体発見の一報が都市警備騎士団に届けば、現場は当然、捜査の対象となる。一日でどれだけ捜査できるのかゲルエイにはわからないが、少なくとも騎士団としては、現場を荒らされたくないから、夜も一応は見張りを立たせておくのだろう。
そもそも、この『魔女の遺跡』は、今まで立ち入り禁止とされていたのだ。それなのに、完全に放置されて、誰でも自由に出入りできる状態だったのだ。だからこそ、フィリウスたちの肝試しに使われて、今回のような事件に繋がったわけだが……。
「とりあえず、騎士団の方でも『ここで三人が殺された』と認識してくれたなら、この屋敷の役割は、もう終わったようなものだね」
物陰から二人の見張りに視線を向けながら、ゲルエイは、こっそりと呟く。
この屋敷には死体発見場所という大事な役割があったから、これから行う『後始末』を昨晩は出来なかった。だが今晩ならば、もう『役割』も完了したから大丈夫だろう。
頭の中で、今夜これからの行動を確認してから、
「ソムヌス・ヌビブス!」
ゲルエイは、睡眠魔法ソムヌムで、二人の見張りの騎士を眠らせた。
さらに屋敷の周囲を見て回って、ゲルエイは、もう二人の見張りを発見。
「ソムヌス・ヌビブス!」
こちらも、同じく魔法で眠らせた。
ピペタの小隊を見てもわかるように、騎士団の行動は、四人で一つのユニットを組むのが基本。つまり、これで見張りは全員、眠ったはずだった。
「さて、それじゃあ……。後始末しに、行くとするかね」
昨晩は仲間と共に訪れた屋敷に、今晩は一人で入っていくゲルエイ。
当然のように、人の気配はない。
階段を踏みしめる度にミシッミシッと音が鳴るが、無人の屋敷には、その音もよく響く。
「やはり、今日は来てないようだね」
予想していたとはいえ、少しの失望も込めて、ゲルエイは、ため息をついた。
一昨日の夜も、ゲルエイは、この『魔女の遺跡』に来ようとしていた。途中でレグの最期に遭遇することになり、その日の屋敷訪問は断念したのだが、そこで殺し屋モノクとも合流している。
つまり一昨日の夜は、ゲルエイだけでなく、殺し屋モノクも『魔女の遺跡』を調べに来ようとしていたのだ。ゲルエイと同じように、モノクも「事件の元凶となるモンスターが『魔女の遺跡』に巣食っているのではないか」と気になったのだろうが……。
そのモノクは、今晩は来ていない。おそらくモノクは、昨晩、実際に屋敷に入ってみた結果「そんなモンスターなど存在しない」という結論に至ったのだろう。そうゲルエイは想像していた。
「まあ、殺し屋は魔法が少し使えるとはいえ、魔法使いとは言えないからねえ。仕方ないだろうさ」
誰もいないのをいいことに、モノクに対する評価を口にするゲルエイ。
彼女は、モノクとは逆だった。
昨日、この『魔女の遺跡』に足を踏み入れたからこそ。
魔法使いであるゲルエイは、強い『魔』の気配を感じたのだった。
その気配の中心は、かつて『魔女』が呪いの儀式と称して焼身自殺を成し遂げた部屋にあった。
だから昨晩、ゲルエイだけは部屋を去る時に、少し妙な挙動を示したのだ。
だが仲間の復讐屋たちは誰も、あの部屋にいる『魔』の気配には、気づいていなかったらしい。
最後に「ゲルエイさん? どうかしましたか?」と声をかけてきたケンも、別に『魔』の気配に気づいたわけではなく、ゲルエイの様子が気になっただけだ。ケンは復讐屋としては半人前でありながらも、周囲の気配や変化には敏感な時があるのだが……。さすがに、モノクやピペタにも察知できない『魔』を感じ取るのは、無理だったようだ。
そして。
ゲルエイは、問題の部屋に到着した。
「やっぱり、昨日と同じ気配がするね……」
小声で呟くゲルエイ。
昨晩、気になったのと同じ箇所だ。彼女は壁の一点に視線を向けながら、大声で叫ぶ。
「そこにいるんだろう? 隠れてないで、出ておいで! さもないと、この部屋ごと燃やし尽くしてやるよ!」
その言葉に応じて。
ゲルエイが睨みつけた壁から、黒い霧状の物体が噴き出してきた。
その『霧』は、モヤモヤとした、人のような形を作り上げる。
何も知らない者が見たら「幽霊だ! 悪霊だ!」と騒ぎ出すかもしれない。しかし、ゲルエイは、それが「得体の知れないもの」とは違うことを心得ていた。
曖昧な存在に見えるけれど、そうではない。目の前の存在は、実体のある、正真正銘のモンスターだ!
「ほう。モンスター風情でも、命は惜しいと見える」
嘲るようなゲルエイに対して、
「バカを言うな」
霧状のモンスターは、はっきりとした言葉を返してきた。
「貴様に脅されたからじゃねえぞ。せっかくだから、顔を見せてやろうと思っただけだ。ここで死ぬ貴様に対する、冥土の土産ってやつだな」
モンスターが人間同様に喋ることにゲルエイは驚嘆するが、そんな気持ちは、おくびにも出さない。努めて冷静に、彼女は聞き返した。
「ここで死ぬ? どういう意味だい?」
「生意気にも貴様は、たった一人で俺を退治しようと、ノコノコやって来たんだろう? その結果、返り討ちにあうってことさ」
曖昧な形をしたモンスターには、見てわかるような目や鼻や口は存在しない。それでも、モンスターがニヤリと不気味な笑みを浮かべたのを、ゲルエイは感じ取った。
「そうかい。だったら『冥土の土産』ということで、教えておくれ」
ゲルエイは、口調は変えずに、目つきだけを鋭くして尋ねる。
「この『魔女の遺跡』に関わるという呪い……。あれは全て、あんたの仕業かい?」
「ここの『呪い』の話をするなら……。まずは、俺自身について少し説明してやろう」
ゲルエイの質問に律儀に答えようとして、モンスターが話を始める。
そのモンスターは、もともと、
だが、たまたま辿り着いた『魔女の遺跡』で、
「おかげで俺は進化して、今じゃ、こうして会話まで出来るようになった。今の俺は、もう単なる
「で、その
「ファバ? ……ああ、少し前に、この部屋まで一人で来たガキか」
「あのガキなら……。俺は、ほとんど何もしてないぜ。この部屋で、ずいぶん怯えた態度を見せてたから、ちょっと興味が湧いて、ガキの家まで様子見に出かけただけだ。ついでに『呪いが大きくなる』とか何とか、囁いてやったが……。そんなこと俺がせずとも、あのガキは既に恐怖でおかしくなってたようだな。幻覚や幻聴に脅えてたようだぜ」
「じゃあ、あんたは、秋キャンプの転落事故には無関係なのかい?」
「転落事故? 何の話だ? 言われてみれば、俺が見に行った時点で、あのガキ、いつのまにか怪我してたような気もするが……」
不思議そうな
ならば、
「どちらにせよ、がっかりだねえ。あんたが元凶かと思ったのに……」
「何を失望してるのか知らねえが、もう聞きたいことは終わったんだな? だったら……。そろそろ、冥土へ行く時間だ!」
「おっ?」
風が吹き付けてくるのを感じると同時に、ゲルエイは体が重くなって、吐き気を催す。
「どうだ? 俺の自慢の、瘴気の風を食らった感想は」
「魔法使いの精神力を、なめるんじゃないよ」
膝を折りたくなる気分に耐えながら、ゲルエイは言い放った。
「あんた、知らないのかい? そもそも魔法っていうのは、術者の精神に左右されるんだよ。想いを形にする奇跡、それが魔法だ。だから……」
ゲルエイは歯を食いしばって、心を強く持つ。
「……この程度の瘴気、あたしの精神力で、はねのけてやるさ!」
彼女の言葉に込められた気迫は、
「ならば、直接!」
「あんた……。物理的に干渉できるのかい……」
正確には『物理的』とも違うのだろう。
ゲルエイは、呼吸が苦しくなるほど喉を締められているのに、なぜか、こうして声は出せるのだから。
「名前に『
「俺の体は、物理攻撃には耐性がある。よほど熟練した戦士や武闘家でないと、俺の体には傷ひとつ、つけられないぞ」
物語に出てくる悪役の典型だ。自信があるからこそ、
そうゲルエイは思ったが、あえて別の話を口に出した。
「戦士とか武闘家とか……。古臭い分類だねえ……」
勇者伝説の時代には、そういう職業名称もあったらしい。だが今では、一般的な用語ではなかった。
「あんた、やっぱり馬鹿だねえ。あたしゃ魔法使いだよ。物理攻撃じゃなくて、魔法攻撃が得意に決まってるじゃないか」
「ハハハ……! そんなハッタリ、俺には通用しないぜ!」
「昨日、見たぞ。貴様が使える魔法は、闇系統の睡眠魔法と、火系統の第一レベルだけじゃねえか」
魔法の分類も、ゲルエイの知る名称とは少し違うようだ。それでも
つまり、
昨晩ここでゲルエイが使ってみせた魔法から判断して、魔法使いとしての彼女の能力を、見誤っているのだ。
「貴様は、その程度のしょぼい魔法使いだからこそ、最後は重い球を振り上げて、物理的に人殺ししてたんだろう?」
ゲルエイは、復讐屋として行う裏仕事の中で、睡眠魔法のような補助魔法は使うけれど、攻撃魔法で標的――恨まれた人間――の命を奪うことは、一切しない。攻撃魔法で人の命を奪ってはならない、というのが、ゲルエイが自分に課したルール。魔法使いとして、絶対厳守するべきルールだからだ。
でも、
ゲルエイは
「イアチェラン・グラーチェス・フォルティシマム!」
「何だと……? 貴様、水系統の第三レベルが使えるのか! ならば、なぜ昨日は……」
「あたしの乙女のポリシーを、あんたに説明してやる義理はないね!」
今の一撃で、
それでも。
まともに食らった
この隙にゲルエイは、
「さあ、
ただ燃やすのではなく。
浄化の炎を――不浄に対する清めの炎を――イメージしながら。
ゲルエイは、呪文を唱えた。
「アルデント・イーニェ・フォルティシマム! アルデント・イーニェ・フォルティシマム! アルデント・イーニェ・フォルティシマム!」
超炎魔法カリディガの三連撃だ。
先ほどの超氷魔法フリグガには耐え切った
「まさか……。ここまで力を蓄えた、この俺が……。ただの魔法使いの炎に焼かれるとは……」
消滅していくモンスターの、断末魔の叫びに対して。
「ただの魔法使いじゃないよ。あたしこそが現代の魔女、ゲルエイ・ドゥさ」
ゲルエイは『魔女の遺跡』と呼ばれる屋敷の中で――しかも『魔女』と呼ばれた女性が亡くなった部屋で――、自らを『現代の魔女』と言い表すのだった。
モンスターを焼き尽くした炎は、それだけでは収まらず、部屋そのものにも引火する。
かつて『魔女』の焼身自殺により火事になった部屋は、再び今、火事の現場になろうとしていた。
「本当に、呪いなんてものが存在するとしても……。この屋敷が消えれば、それも消失するだろうね」
ゲルエイは、消火を試みることもなく、少しずつ勢いを増していく炎に背を向ける。
「もう焼け落ちてもいい頃合いだよ、この屋敷も」
そう言い残して。
ゲルエイは、色々と逸話のある部屋を後にした。
――――――――――――
翌日。
霜の月の第十一、太陽の日。
世間では休日となる太陽の日だが、犯罪者には曜日は関係ないため、警吏であるピペタも同様だ。
だからピペタは、朝、いつものように都市警備騎士団の詰所に向かったのだが……。
詰所に着いてみると、そこにいる騎士達は、何やら騒然としていた。
「ああ、ピペタ隊長!」
「おはようございます、ピペタ隊長!」
先に来ていたウイングとラヴィがピペタに気づいて、声をかけてきた。
「ピペタ隊長、聞きましたか? 昨晩、あの屋敷が、また火事になったそうです!」
「ラヴィが言っているのは『魔女の遺跡』のことですよ、ピペタ隊長」
ラヴィとウイングの説明で、ピペタは今朝の詰所の雰囲気を理解したが、
「なんと!」
思わず、驚きの声が口から出てしまった。
そんなピペタとは対照的に、冷静な声で、ウイングが説明する。
「どうやら、かつて『魔女』の焼身自殺で火事になった部屋から、また出火したらしく……。最初の火事でもボロボロになった屋敷だけに、今度こそ、ほぼ全焼だったみたいです」
「だが、昨晩は、あの屋敷には見張りがついていたのだろう? 火が出るのを見落としていたのか?」
不思議に思って、ピペタは聞き返した。
昨日の昼間、街を見回りしていた途中でピペタたちも呼び戻されたように、昨日は南部大隊集合の大会議が開かれた。南部大隊の小隊長アリカムを含む三人の男女が、アリカムの屋敷で殺されたこと、並びに、その息子フィリウスたち三人が『魔女の遺跡』で殺されたことが、発覚したからだ。
それぞれ捜査を担当する小隊が割り当てられ、さらに、夜間も現場を警護する見張りの小隊が決められたはずだった。
「それが……。見張りは四人とも、眠っちゃって見過ごしたそうです。屋敷がボウボウと燃える音と、その火の熱さで、ようやく目が覚めたとか」
ラヴィが、少しバツが悪そうな声で告げた。
別にラヴィがミスをしたわけでもないだろうに……。そう思ったところで、ピペタは気づいた。おそらくラヴィは、自分自身の先月の仕事を思い出したのだろう、と。
ピペタ小隊の四人も先月、夜間の警護仕事を引き受けたことがある。その仕事の三日目に、彼らは四人とも眠ってしまって……。
「まあ、私たちの場合は、その前日の激闘もありましたから……。でも今回の見張りの四人は、言い訳できないですよねえ」
ウイングも、ピペタと同じく、ラヴィの気持ちを察したらしい。フォローの言葉を挟んだ。
いや、この場合、擁護する対象にラヴィだけでなく自分も含まれてしまうから――自己弁護の意味も入ってしまうから――、『フォローの言葉』という言い方は、少しだけ間違っているかもしれないが。
「そうか……」
話を聞きながら、ピペタは少し考えてしまう。
四人の見張りが四人とも眠ってしまった、という点から「もしかすると睡眠魔法を食らったのでは?」と、ピンときたのだ。
そもそも、ピペタは復讐屋の仲間と共に、以前「あの屋敷には『呪い』現象の元凶となるようなモンスターがいたかもしれない」という議論をしている。その『元凶』を処理しようとゲルエイが考えたとしても、不思議ではない。
昨晩『魔女の遺跡』でピペタ自身は、そんな『元凶』の存在は感知できなかったが……。魔法使いであるゲルエイだけは、それらしき感覚を把握できた、という可能性はあるのだ。
もしもゲルエイが見張りを眠らせた上で、屋敷を燃やしたのだとしたら……。見張りたちが火事に巻き込まれないように――適当なタイミングで目覚めるように――、軽めに睡眠魔法をかけたのではないだろうか。ゲルエイならば、それくらいの調節も可能なはずだ。
そこまで考えたところで、ピペタの耳に、ラヴィの言葉が入ってくる。
「あの屋敷が燃えたのも……。『魔女』の呪いなのでしょうか」
言われているような『魔女』の怨念が『魔女の遺跡』に残っているとしても、それが屋敷そのものに向けられるというのは、理屈が合わないだろう。それでもラヴィが、こんな発言をしてしまうのは、それらしき事件が立て続けに起こったからかもしれない。
ピペタと同じようにウイングも考えたらしく、一連の事件を総括するかのように、ウイングが述べる。
「自殺ということになったファバに続いて、他の三人の少年たちも死亡……。ファバの父親であるレグも少し前から行方不明ですし、他の親たちのうち三人だって殺されたわけです」
実際にはレグだけでなく、今回ファバが呪われたという話を大衆紙で広めたディウルナも、レグと同じ夜に殺されているのだが……。ディウルナはニュース屋という仕事柄、いつも色々と走り回っていたため、まだ誰も彼女の失踪には気づいていないのだった。
「関係者の中で、グラーチの両親だけは現在ですが……。今頃は、戦々恐々としているかもしれませんね」
そんなウイングの言葉を受けて。
「でも、あの屋敷が燃え落ちたなら……」
ラヴィが、しみじみと呟いた。
「呪いの大元が消えたことになるから、もう『魔女』の呪いも、収束すると考えて構わないのでしょうか」
――――――――――――
それから一週間ほど経った頃……。
モノク・ローが『投げナイフの美女』として働く『アサク演芸会館』では、いつものように、その日の出番を控えた多くの芸人たちが、楽屋に集まっていた。
そんな彼らの噂話が、壁際に佇むモノクの耳にも入ってくる。
「そういえば最近、あのニュース屋、見なくなったなあ。以前は、しつこくモノクさんの後を追っかけていたのに……」
「ああ、ディウルナという名前の女だろう? 確かに、しばらく見てないねえ」
モノクの名前も挙がっているが、だからといって、彼女自身は、その話に加わろうとはしなかった。それでも少し気になって、耳だけを傾ける。
「ディウルナってニュース屋なら、少し前に発行した大衆紙で、別の話を大きく扱っていたぞ。なんでも『魔女』の呪いに絡んだ事件だとか……」
ファバの事件を大衆紙で読んでいる者も、芸人仲間の中にいたらしい。その芸人が、横から噂話に参加していく。
「なるほど。だから、こっちには来なくなったのか……。今は、そっちにかかりっきりってことかい」
「でも、その呪いの話も、それっきりなんだよなあ。続報を匂わせる感じの記事だったのに……」
「ニュース屋の関心なんて、そんなものかもしれないねえ。ほら、ただでさえ『女は移り気だ』って言うじゃないか」
そう言って、彼らは笑っている。
ディウルナの死体は、ゲルエイとモノクによって秘密裏に処理されたため、彼女が亡くなったことすら、誰も知らないのだ。この楽屋にいる者の中で、真実を知るのは、モノク一人だった。
誤解されたままなのは、少し可哀想かもしれない。
だが、自分一人だけでも正しく理解している者がいれば、それで十分ではないか……。
モノクは、そう考えてしまう。
「ニュース屋のディウルナ・ルモラか……」
ふと、ディウルナと知り合った経緯を思い出すモノク。
それこそ、ディウルナ自身が死に際に語ったように、あまり良い関わり合い方とは言えなかったはずだ。
それでも。
迷惑ではあったけれど、悪い人間ではなかった。
それが、モノクから見た、ディウルナの印象だった。
だから。
「貴様のことは、いつまでも俺が、忘れないでいてやろう」
誰にも聞こえないくらいの小声で、そっとモノクは呟くのだった。
(「季節はずれの肝試し」完)
異世界裏稼業 ウルチシェンス・ドミヌス(2)「季節はずれの肝試し」 烏川 ハル @haru_karasugawa
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