二章 孤狼なりしや花喰う君

その1


 じゆだいばなしが持ち上がってからひとつきほどった晴れの日。

 さくらよめりは、満を持しておこなわれた。

 たまのように美しいひめぎみが入内するという印象を植えつけるため、牛車ではなく、てっぺんにほうじゆせたてぐるまというお神輿みこし風の乗り物を用意させ、そろいのしようぞくを着せた男たちに引かせる念の入りようだった。これからの生活に必要となるころもや調度品を運ぶはなよめ行列は、町を三つまたぐ長さになり、じようおおは見物客でにぎわった。

 向かうだいは、それ自体が一つの都だ。東西南北に一つずつ、しゆいろられた主要門があり、周囲を屋根のついたしらかべで囲って、外界とへだてている。

 四角く区切られた土地には、みかどが暮らすせいりよう殿でんの他に、きさきであるちゆうぐうにようとうぐうが住む七殿五舎ものしきがあり、全てをまとめて『こうきゆう』と呼ぶ習わしだ。

 桜子は南にある承明門で輦を降りて、かちで宮中へと入った。

 広い前庭を歩き、桜とたちばなが左右に植えられたきざはしをのぼってしん殿でんに入ると、待っていた神官が頭の上ではらぐしを左右にる。

 これはぞくで受けたじようを清める、みそぎと呼ばれるお祓いだ。

 こんは日を改めて行われる。といっても、帝と殿てんじようびとの都合がつく日を選んだお会のようなもので、左大臣である父の席はあっても母や乳母めのとの席はない。

 姫君があこがれる入内は、決して感動的なお祝い事ではなく、たんたんとした業務のいつかんなのだ。

 味気ない禊の最後に、桜子は中宮に次ぐ高位である『女御』という位階をあたえられた。

 さらに、れいけい殿でんと呼ばれる殿でんしやを与えられて、東宮であると同時に、一つの屋敷の主人にもなった。


「私の殿舎なら、ここのだいばんどころに入ってもいい?」

「台盤所、でございますか」

 桜子の何気ない一言に、そうれいの女性が顔をしかめた。

 数多くいるにようぼうの中でも、きんじきからぎぬをまとうことが許されたじようろう女房であるかのじよは、桜子のお目付役だ。もともとは内侍司ないしのつかさの一員として一代前の帝に仕えていたそうで、当時の位にちなんで典侍ないしのすけと呼ばれている。

 典侍は、からびつに収める衣の順序を確かめていた女房を下がらせると、桜子の下座にひざをついて、おしろいの上に塗りつけたまゆをきりっと上げた。

「許されません。台盤所に立つのは、下級女官の膳司かしわでのつかさの仕事です」

「働く人のじやにならない時間でいいのよ。少し見てみたいだけなの」

「それでも、なりません。この典侍、左大臣家の北の方様より、桜子様を決して台盤所に近づけぬように言いつかっております。宮中での心得をおさずけして、立派な宮中人とするかくでございますれば、もしも禁を破られた折りには、責任を取ってひなびた田舎いなかに下がらせていただきます」

 もしもあるじが失態をおかしたら宮仕えをめる覚悟まで決めてきたとは、なんともたのもしい女房だ──料理を続けたい桜子以外の人間にとっては。

 この典侍を宮仕えに採用したのは、他でもない母である。おおかた、厳しいお目付役がいれば、さすがの桜子も台盤所に立ちはしないと思ったのだろう。

(母様は、最初から、料理をあきらめさせるつもりだったのね)

 しかしながら、宮中料理がこの国で作られる食事の見本であることは事実だ。

 とうの料理を認めてもらうために入内した桜子が、あっさり諦めるわけはない。

「分かったわ。たよりになる典侍がそこまで言うのだから、料理は下の者に任せましょう」

 物分かりのいいむすめを演じると、典侍は、ほっと胸をで下ろした。彼女はいくら左大臣家の北の方を立てたくても、上の位階にいる桜子に命令されれば逆らえないという難しい立場にいる。

(ちょっと胸が痛むけど……)

 桜子はきようそくに寄りかかり、持ち上げたおうぎかげでわざとあくびをした。

「ふわあ。今日は朝から気を張っていてつかれちゃった。少しねむってもいい?」

「では、かくしにちようを立てさせましょう。わたくしはめで唐櫃を整えて参りますので、ご用がありましたら通りがかった者にお声がけを。東宮様との顔合わせは明日になりますから、本日はごゆっくりお過ごしください」

「ええ。ありがとう」

 目を閉じると、几帳を立てかけた女房と典侍の足音が遠ざかっていく。

 さめのようなきぬれが消えたのを見計らって、桜子はぶたを開けた。

 几帳から顔を出して、そうっと辺りをうかがう。調度品がしつらえられたにも、で隔てられたひさしえんにも、人の気配はなかった。

(今のうちだわ!)

 桜子はじゆうひとえからうでいて、着ていた形もそのままに衣の外へとだつしゆつした。

 夏に過ごしやすいように風通しよく作られた屋敷は、絹の単衣ひとえいろはかま姿では寒すぎたので、手近にあった衣を引っかけてろうへと飛び出す。

「ここの台盤所に近づけないのなら、他の殿舎を使うまでよ」

 七殿五舎のうち、まっているのは麗景殿をふくめて六つだけ。

 それ以外の殿舎は、主を持たない空の屋敷だと聞いている。

 麗景殿の北にあるせん耀よう殿でんには右大臣家から入内した姫が、西の殿でんには帝の妃である中宮がいるので、桜子は東を目指して歩いて行った。殿舎同士は、わた殿どのと呼ばれるわたろうつながっていて、わざわざ庭に下りなくてもいちじゆんできるのだ。

 となりの殿舎へ渡ろうとした桜子は、遠くに人の姿が見えた気がして立ち止まった。

 先日から暖かい日が続いたせいか、けいちつも過ぎていないのに桜が乱れいている。

 目をらすと、あわはながすみごしのこうらんに、一人の青年がかたひじをついてもたれかかっていた。

 まっすぐなりようとつんとしたくちびるにかけてのふくが、ぶねくらの山々を繫ぐみねのように形良い。桜を見上げる切れ長のひとみは、どこか達観したように冷めきっていた。

 じやくで酒をあおるかれは、ぜんに手をばして何かを口に入れる。

 唇からこぼれて、ひらひらとい落ちる一欠片かけらに、桜子はくぎけになった。

 ──花びら?

 膳に盛られていたのは料理ではなく、白梅や黄色のやまぶき、赤椿つばきといった春の花々だった。みようなことに、青年は、それらを口に運んでは、ろくにまずに酒で流し込んでいく。

(どうして花なんて食べてるのかしら。まさか、花の精だったり?)

 立ったままで夢でも見ているのだろうかと、桜子は額に手を当てた。

 思い返せば、朝から重たい十二単を着付けられ、両親への別れのあいさつをこなし、動きの激しい輦にられ、内裏に入ってからはしきが続いて、心安まる時がなかった。

 体力はおうせいな方だが、気づかないうちにしようもうしていたのかもしれない。

「こんな調子で、ここでやっていけるかな……」

「あらぁ、桜子さまのお姿がないわぁ」

 母屋の方から聞こえた女房の声に、桜子は、はっと我に返った。高欄を見ると、青年の姿は膳ごと消えていた。あとに残るのは、季節外れの花ばかり。

「……なんだったのかしら……」

 きつねにつままれた気分でほうけていると、女房が再び呼んだ。

「かくれんぼですかぁ、桜子さまぁ」

「はいはい! すぐに行くわ!」

 桜子は大急ぎで母屋へともどったが、待ち構えていた典侍に「勝手に出歩いてはなりません」としかられたのは言うまでもない。


 その日の夕方に出された食事は、やはりおいしくなかった。半分も食べずに下げさせてぼんやりと唐の料理に思いをせていると、典侍がおにのような形相でけ込んでくる。

「桜子様、すぐにご準備を! 東宮様がおしになります!」

「へ……。ちょっと、何っ!?」

 桜子は、わらわらと集まってきた女房によって殿どのに連れて行かれ、ぬるいお湯で体を清められた。の白袴は、やけにゆったりと結ばれた。くずれしないように、ぎっちりめ上げられた今朝とはえらいちがいだ。

 母屋へ戻ると、昼間は使われていなかったこうが、せっせとあまけむりき出している。

 しんじよであるちようだいにはくち文様の白いとばりが下ろされて、そばにはだんは使わないとんの用意までしてあった。

(こ、ここ、これって……まさか!)

 が身にせまる危機に気づいた桜子は、青くなって後ずさった。

「婚儀はまだでしょう!?」

「婚儀というのはいわゆる儀式。ふうの関係は、顔合わせより始まります。東宮様は、桜子様の顔を早く見たいと、明日まで待てずにお越しになるのですから、すぐにお帰りになることはありますまい。桜子様も『もうこちとら準備ばんたん、いつでも来やがれ、こんちくしょう!』と覚悟を決めて、まな板の上のこいにおなりなさいませ。これこそ、宮中で女性が幸せに過ごす心得でございます」

さばかれるのを大人しく待つなんて正気じゃないわ! というか、典侍の言う宮中での心得って、何がどうしてそう乙女おとめ心を無視した仕様になっているの!?」

 ふるえる指を突きつけると、典侍はふところから抜いた赤いかわほりおうぎを開いた。

「語れば長くなりますが。わたくしは内侍司で働いていたその昔、この蝙蝠を振りかざして女官を取りまとめる様から『くれないのスケ』との異名をたまわっておりました。宮中の女社会は弱肉強食。ここで生き抜くには、これくらい達観せねば務まりません」

「宮中って、そんなさつばつとした世界なの……」

 どん引きしていると、おとずれたさきれが「東宮様、お成り」と告げた。

「もう来ちゃったの!?」

 もはや心の準備どころか、げ隠れるひまもない。

 ももいろうちきかたにかけられた桜子は、持たされた檜扇に顔をうずめた。

 唐の料理を認められたい一心で入内してしまったが、名目は東宮の妃になるため。いつかこうなることは頭のすみで分かっていたはずなのに、泣きたいくらい心細かった。

 桜子の心などつゆ知らず、しよくかかげた東宮の行列はしゆくしゆくと進んでくる。れる、しゃんしゃんという音が近づくにつれて、桜子のきんちようは強くなっていく。

(東宮様はれいこくな狼と呼ばれているのよね。出会いがしらられたりしないかしら……)

 不安にえかねて一行をぬすみ見た桜子は、あんぐりと口を開けた。

 ──花の精だわ!

 武官に前後をはさまれて現われたのは、桜の花霞ごしに見た青年だった。

 昼間よりもいくぶんか人間らしく見えるのは、感情が表に出ているからだろう。やなぎのような眉はひそめられ、唇はげんそうに横一文字に引かれている。

 ばちりと視線が合った気がして、桜子は顔をせた。

 美しい。それだけではなく、なんだかおそろしい人だ。

 切れ長の目は、高名なかたなが打ったもののようにするどく、見られるだけで背筋がこおる。

 足を止めて一呼吸おいた東宮は、たたまれていたしんに目をやった。

「準備がいいことだ。左大臣も、右大臣も、娘を差し出せば、おれあやつれると思っているらしいな」

(え……?)

 おんな言葉に顔を上げると、東宮は、尊大とも言える目つきで桜子を見下ろしていた。

「どんなかんげんだまされて入内してきたのかは知らないが、俺は、だれも愛さない。ここへ来ることも二度とない。残念だったな」

 顔合わせには相応ふさわしくない台詞せりふかれて、桜子はおこるよりまどった。

(誰も愛さないって……。入内話は、東宮様が望んだものではなかったということ?)

 可能性はある。入内のせんは帝から賜るものだ。妃が増えないむすを心配した帝が、東宮の意向を確かめないまま、桜子の入内をし進めたのかもしれない。

「富だけは約束されたこの場所で、せいぜいどくを、編んで、いろ──」

 東宮の体がふらりとかしいだので、桜子はおうぎを手放して駆け寄った。

「どうなさったの!?」

 肩に寄りかからせて支えると、東宮は直衣のうしを通しても分かるくらいにせ細っていた。

 うすむないたからひびいてくるどうは、とくんとくんと力ない。

 だいじようかと顔をのぞき込んだその時、閉じられていた東宮の目蓋がぱっと開いた。

さわるな!」

「きゃっ」

 強く肩を押された桜子は、その場にすわり込んだ。東宮は、気を失うまいと口が引きつるほど歯を嚙みしめて、危なっかしい足どりで来た道を戻り始める。

 手を貸そうとした従者を振りはらい、誰の助けも借りずに前へと進む姿は、冷酷な狼というよりは手負いのけもののように見えた。

「……どうして、あんなにお瘦せになっているのかしら……」

 せいには貧しくて食べられないたみもいるがここは内裏だ。えとはえんの場所である。

 こんわくする桜子に向かって、重そうな太刀を下げた従者が片膝をついた。

それがしは、東宮の護衛を務める帯刀たちはきと申します。主にお手を貸してくださり、ありがとうございました」

ゆかたおれ込んでしまわなくてよかったですわ。東宮様は、ずいぶんお瘦せになっているようでしたけど、ご病気でもされているのですか?」

「……少々、食が細いだけでございます」

 帯刀は、がんちくあるような口調で答えてから、すっと視線を上げた。

「本来ならば、明日が正式な顔合わせです。入内してきた姫君と東宮様が挨拶もしないとなれば、左大臣家にどろを塗るようなものですので、期日通りに行うべきかと存じます。しかし、女御殿が主を恐ろしいとお思いでしたら延期いたします。どうされますか?」

「そうですね……」

 再びあの殺気に当てられると思うと、桜子のこしの辺りから力が抜ける。

 東宮は、こわい。けれど桜子は、倒れるほど瘦せ細った人を放ってはおけなかった。

「顔合わせに来てほしいです。いくら食が細いといっても、あそこまでお瘦せになっているのは心配ですわ。私から、もっと食べてくださるように説得してみます」

 どうせきらわれているならにくまれ役を買って出ようとする桜子に、帯刀は深くこうべを垂れた。

「おづかいに感謝いたします。背負ってでも主を連れてきますので、明日までお待ちを」

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