花ざかり平安料理絵巻 桜花姫のおいしい身の上

来栖千依/ビーズログ文庫

序章 かくして姫君は台盤所に立つ

その1


 いしだたみかれただいばんどころに、早春のひんやりとした空気が流れ込む。

 かまどせたなべからは、具材のえる音がことこととがくつづみのようにひびき、となりの焼きあみで熱せられるわかあゆからは、げ混じりの豊かなにおいが立ちこめる。

「そろそろいい頃合いかな」

 じっと食材の変化を見守っていた少女、さくらは、そでを押さえて鍋のふたを取った。

 白い湯気がぽっかりと浮き上がり、ほっとするあまかおりに包まれる。

 なめらかなしるに、さいの目に切った根菜や大ぶりな貝の身が浮かぶ、見た目にも温かな一品は、陽だまりのように心安らぐ色をしていた。

 桜子は、たなからきりの箱を下ろして、中にしまわれていたしゆいろさじを取り出す。

 鍋にくぐらせて一口分をすくい取る。味見のためだ。

 高鳴る心を落ち着かせて、そうっと口元に運ぶ。

 料理をしていて、最もきんちようするしゆんかんむかえようとした、その時──

「その一口、もらった」

 後ろからびてきた手に、手首を引かれた。

 あっと思った矢先、匙は桜子の口ではなく、かたさきから顔を出した青年の口に吸い込まれる。かれは、熱さにきゅうっと目をつぶり、次の瞬間には、開いた目をかがやかせた。

「おいしい! やはり桜子の料理は格別だね。あれ、なぜおこっているの?」

「口に入れる寸前で食べ物をくすねられたら、だれだってこんな顔になると思うわ」

 じーっとにらむが、花のようにむ青年には、どこく風だ。

「味見しなくても、桜子の料理はおいしいに決まっているよ。おれのために心を込めて作ってくれているんだから」

「また調子のいいことを言って──っ!」

 そろりとこしに手を回され、背中からぎゅっとかかえられて、桜子の心臓がねる。

「俺は君の料理がないと生きていけない。君が許してくれるなら、歌にんでたたえたいくらいだ……」

「絶対にいや! あなたが詠んだら、あっという間に都中に広まってしまうじゃない。自分のことを詠んだ歌が、うわさきな人々の話の種にされるなんてえられないわ!」

 ばたばたと暴れれば、青年は「ずかしがりやだなぁ」と笑いながらうでをほどいて、台盤所を見回した。

「来るのがおそくなってしまったけれど、何か手伝えることはないかな」

「もう完成間近だからだいじようよ。もどって、私以外の人を讃える歌でも考えてて」

「ええ? うわしているみたいで嫌だなぁ」

「じゃあ、庭にあるしだれ桜におくる歌」

「それもいんくさくて嫌なんだけど……。なんだか、今日の桜子、俺に冷たくない?」

 不満げな視線を送られて、桜子はどきりとした。

「料理は熱々で出すから安心して。さあ、母屋へ戻って!」

 体の向きを変えさせて、ていないつながる引き戸に向かって背を押す。不満げな彼をやっとのことで台盤所から追い出した桜子は、台に載せていたひょうたんつぼを取り上げた。

「さて、最後の仕上げをしないとね」

 せんいて、中身を鍋の表面へりかける。黒い粉末は、熱くなった料理にれると、食欲をそそる香りを立てて、料理の風味をいっそう引き立てた。

「完成だわ!」

 しつに見た目良く盛り付けてぜんに載せた桜子は、かみっていたしゆひもをほどいた。膳を両手に持ち、花く庭沿いのろうをしずしずと運んでいく。

 この庭が好きな青年は、いったいどんな顔をして待っているのだろう。

 桜子が母屋に足をみ入れると、青年が気づいて振り向く。

 その表情がどんなものなのかは、桜子しか知らない──。

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