一章 ゆゆしき入内は花嵐のごとく
その1
料理をする
美しい絹の
毎日二回、朝と夕に出される食事についてだ。
「おいしくない」
緑豊かな庭園が望める一室で、顔をしかめた桜子は、口をつけた白木の
手元の
白い
他にお
「また、いつもとおんなじ……」
これらのおかずは、周囲に並べられた、塩、
「もう、やだ。ごちそうさま」
桜子はうんざりして器を
不思議に思って見れば、乳母は、重ねた
規則正しく上下する額を
「全部食べたことにして、自分で
善は急げとばかりに、桜子は、ほとんど手をつけていない
そうっと自分の室を出て、足音が立たないように
こんな調子で得体の知れないものばかり
けれど、桜子は
(だって、とってもおいしいお餅が成るのかもしれないもの)
広い屋敷の
細い
かたわらの
二つ区切りの
独特な
餅の木よろしく、父は、唐物の中でも特に食にまつわるものに目がない。
「父さまったら、また母さまにないしょで何か手に入れたのね……。ん?」
拾い上げると、
「
桜子は、唐の文字である漢字が読めた。
女の子は漢籍よりも和歌作りや
美食は『おいしい食べ物』。譜は『それにまつわる一連のもの』。
つまり、これは『おいしい食べ物を一つに取りまとめた巻物』ということになる。
巻き
──熱した
この手順で『照り焼き』という名の料理が作れるらしい。父は、破子の食材でこれを作ろうとしているのだろうか。
読み取れはしたものの、桜子には、さっぱり意味が分からなかった。
この京で出される料理といえば、主に、食材を洗って、切って、熱を通したものだ。
たとえば、
菜っ葉を調理すれば、しんなり
この巻物に書いてあるように、あらかじめ複数の材料を鍋の中に入れて、味付けしてしまうなんて料理は、見たことも聞いたこともなかった。
(おいしいのかな?)
うずっと
必要な食材は用意されている。竈の火も消えきってはいない。戸口から顔を出して外を
──やるなら、今しかない!
心を決めた桜子は、
竈に薪を放り込むと、くすぶっていた熱で火が
火力が強まるまでの間に、桜子は
(うぅっ、重い!)
ぷるぷると
しかし、そもそも『刻む』とは、どのくらいの大きさにするものなのだろうか。
それらを鍋に放つと、じゅうっと小気味良い音が鳴った。
美食譜では、ここで水と『八角』という実を加えることになっている。
破子から星形の実をつまみ上げたが、食材にしては
いかにも異国めいた
(わわ、とっても
桜子は、樽味噌の
残っているのは白い粒だ。甘みをつけると書いてあるから、蜂蜜のような味がするのだろうか。小指の先につけて
ということは、恐らくこれが『砂糖』なのだろう。破子を逆さにして中身を鍋に入れて煮ていくと、
ちょうど薪が
ついに完成だ。わくわくと鍋を覗き込んだ桜子だったが、料理を見たら、
「これは……料理、なのかな?」
正直に言おう。見た目はとても変だ。焼き縮んだ白葱とまばらな大きさの魚に、
これを食べて、お腹が痛くならないか不安だ。
「き、きっと
桜子は、弱気な心に負けじと、勢いづけて料理を口に入れた。
料理を味見するというよりは、蜜が甘いかどうか分からない花の
舌に載せると、味を感じるより早く、
「うーん?」
香りの次に、甘くも塩気のある味わいが、舌を刺激する。
続けて、魚を
「これ、おいしいっ!」
餡のこっくりとした味わいが、あっさりした魚の身を引き立てている。よもや食べ物と思えなかった香りも、葱の青々しい風味と混じり合って食欲をそそった。
──もっと食べたい。
桜子は、生まれて初めての
「桜子、唐の料理を作ったのかい?」
「父さま!」
「食材を勝手に使ってごめんなさい」
「これは
「え、ええ……。おいしいのは、唐の料理が
「いいや、料理は作り手の腕が重要なんだ。初めてなのにここまでの味を出せるなんて! 桜子には
「騒ぐ声が廊まで聞こえておるぞ。二人とも、台盤所で何をしているのじゃ!」
現われたのは、
「料理をしたのよ、母さま! 父さまが準備していた唐の食材と『美食譜』なる巻物に記されていた調理法で作ったの。見た目は変わっているけど、すっごくおいしいのよ! 私は、いつものお粥より、こっちを食べたい。唐の料理を作って食べてもいい?」
「
「台盤所に立つなんて、姫のやることではない! そなたが料理を作ったと知れたら、
「はい、母さま。料理して、ごめんなさい……」
桜子は
父は、桜子の頭を
「
「……あなたさま、ちょっとこちらへ」
「はいはい、なんです?」
「ふんっ!」
鼻息
「あなたさまが唐の食材など集めなければ、桜子が料理することはなかったのじゃぞ!
「はいぃっ! すみませんでしたっ!」
父があっさり母に
「唐の料理、作って食べたいな……」
ぼんやりと
照り焼きを口にして以来、唐の料理に
『──台盤所に立つなんて、姫のやることではない!』
欲望が
さらさらと流れる
桜子が自ら台盤所に立って、唐の料理を作ったこと。
そして、それを食べたことは、父と母と桜子、三人だけの秘密だ。
使用人たちは、母に唐の料理の
だから、桜子は、
唐の料理はびっくりするくらいおいしいとも話せない。
お腹はずっとすいていて、毎日が色褪せたように感じる。まるで生き
「このまま、
「え、今の音はなあに?」
立ち上がって見回すが、湖のように広い池がある庭園には、誰の姿もない。白い砂を
岸辺に打ち寄せられた桜の花びらは、昨晩の花見の宴では庭園を
庭の南側には、様々な木々を植えた林まであるので、子犬でも迷い込んで動けなくなっていたら大変だ。
池を回り込んだ桜子は、伸びた下草をかき分けて林に入った。
ふかふかした
(どこかの
桜子は、葉と葉の間から差し込む日差しを
「子犬ちゃん、どこにいるの……きゃっ!」
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