古い写真は黙して語らず
レッタことプリムレッタ・ファウスグストは久しぶりにルクーブアカデミーの研究室資料庫にいた。
すでに研究生の資格を取得している彼女ではあるが、半年に一度は研究報告書を提出し口頭試験を受けなければならない。そのために致し方なく戻ったところ、彼女の指導教授であるトリアジレイにとっつかまり、資料整理に駆り出されてしまった。
同じ憂き目の学生や研究生らとともに古い紙資料をデータ化し、タグ付けする作業である。
いずれも大切な資料であるから重要且つ正確性を求められるのだが、いかんせん単調で少々退屈な仕事だ。
さっさと終わらせて小鞠市での実地調査に戻りたい。その一心で担当する古い写真類を黙々とスキャンしデータを打ち込み続けるも、写真を収めたストッカーはまだ山とある。ため息をつきたい。
新しいストッカーに手をつけたレッタは、ふとその中の写真に興味を引かれ手を止めた。
彼女らの相対学研究、つまり敵の研究において資料となる写真の大半は、敵の姿形を収めたものである。冒険者や襲撃を受けた住民から提供されたり、研究者や専門のカメラマンが狙い撮ったりしたものだ。
このレッタの気を引いたストッカーの写真は、いずれも非常に高い位階の敵ばかりが写っている。もちろん写真越しに見ただけでは確かなことは言えないが、研究者であり、なおかつ現役の冒険者として日々敵と相対しているレッタの鑑定であれば、ほぼ間違いないであろう。少なくとも小鞠市周辺の敵などより、はるかに強い個体たちばかりだった。レッタはこんなに位階の高い敵と直に会ったことはないし、写真ですらそうそうお目にかかったことはない。
そんな敵の写真がこんなにたくさん! ちょっとした驚きである。これはじっくり観察研究したい。しかし、ストッカーには禁帯出のラベルが貼られており、スキャンデータもオフラインストレージへセーブしなければならない。持ち帰れないのは残念だ。
そんな非常に貴重……を通り越して異常と思える写真ばかりのストッカーなのだが、不思議な点は他にもあった。写真の裏にかなりの確率で変なカタカナが書き込まれているのである。
例えば、ルトゥヒドルイィ。サッパカカバハ。ヂィーデゥー。デラタカラア。シススチュッチ。ナェエム。ネフフルカズ。グブレールゥウウク。……この変なものは……まさか敵の個体名?
数多い写真の中から同じカタカナの書かれたものを探し出し、表の敵の姿形を照合する。いくらかの特徴が合致し、同一の個体だとみて差し支えなさそうである。やはりこれは、個体名。
ということは、この写真の撮影者か整理者は写っている個体を識別し、さらには個体名まで把握できていたのだ。なかなかあり得ないことだった。……まぁもっとも、小鞠市に帰れば一人そういう先輩はいるのだが。やはり稀である。
そして写真のすべてに撮影者のサインがイニシャルで入っている。このストッカーの写真すべてが同一人物の撮った写真だ。一人のカメラマンが提供したものとしては恐るべき枚数である。一体全体どうやってこれだけの数の高位階敵とこれだけの回数接触したのだろう。興味深い。
写真に印字された日付を確認してみる。もっとも古いものが二十七、八年前だった。そこから十五年以上続き、最後の日付はおよそ十年前。それ以降は一枚もない。
残念ながら撮影地域は書かれていない。どこなのだろうか。写真の雰囲気からすると、どうやら同じ地域で撮られたもののようだ。長期間にわたる同一地域での敵資料がこれほどそろっているのは貴重である。これだけでいくつも論文が書けそうだった。
ちょうどそのとき、資料室へトリアジレイ教授がやって来た。「皆ご苦労」とか言いながら缶コーヒーを一人一人に配り始める。微糖と書いてあるわりにベタ甘いやつだ。
差し入れを受け取りながら、レッタは師に話しかけた。
「先生。このストッカーの写真を撮ったのって、誰なんですか?」
「うん? どれどれ」
両手に抱えていた缶コーヒーを脇へ置き、トリアジレイは写真を一葉取り上げる。表を見て、裏へ返し、それからストッカーのラベルも確認する。
「……ああ、この写真か……」
そう感慨深げにつぶやいて、他の写真も拾って眺め始める。口を閉ざしてしまった教授をレッタはつんつんつついた。
「これって一体どういう人が撮った写真なんですか?」
「どういう。そうだなぁ。彼女は辺境のカメラマンだよ」
興味を示す弟子に対して、トリアジレイの返事はどこか奥歯に物が挟まったようだった。
「彼女、ってことは女性ですか」
「ああ、そうだね。研究のために依頼して撮って送ってもらってたんだ」
どうやらトリアジレイ教授が個人的に知っている人物のようだ。
「先生! 私、このカメラマンの人に会いたいんですけど」
「まぁ、君ならそう言うだろうな。でも、残念なんだが」
教授は表情を変えなかったが、声は悲しみの色を帯びた。
「彼女はずいぶんと前に亡くなったよ」
「そう、なんですか」
「遠い辺境のことだから、私にも詳しいことは分からないんだが」
「辺境のどの辺りなんですか?」
記憶をさらっているのか返答に窮しているのか、トリアジレイが天井を見上げる。
「うーん。そうだなぁ。
深泉。
「……行ってみたいなぁ」
うっとり漏らすレッタには、さすがに教授も「おいおい」と呆れて釘を刺す。
「気持ちも分からんではないが。あまり無茶をしないように」
それだけ言ってトリアジレイ教授はコーヒーを抱え直した。
「ああ、そうだ。これほどの写真がここにあると知れるといろいろ面倒だからね。口外無用で頼むよ」
「はぁい」
敵研究というのはもとより制約や規制の多い学問だ。いろいろ気を遣う。
それでももう一つだけ聞きたくて、去って行く教授の背を呼び止める。
「先生、このカメラマンの方のお名前って教えてもらえませんかぁ?」
写真にサインされたM.Sの文字を指でなぞる。
トリアジレイ教授は少し逡巡したが、やがて頷いた。
「彼女の名前はマリシアだ」
「ありがとうございます」
名前を知ったとして別に詮索するつもりはレッタにない。師があれだけ取り扱いに慎重になっているのだから、きっとなにかあるのだろう。そうした危険な物に触れないのは、相対学研究者として当然の習いである。
ただ。
「会ってみたかったなぁ」
そう思い、カメラマンの名前を心の隅に留めた。
軽くため息をついて気分を変えてから、レッタは作業を再開した。
*お詫び
一部人名にしょうもない誤字がございました。お詫びするふりをしてこっそり修正させていただきました。
にちじょーかぷりっちょ ~美人秘書はお茶の誘いにはのらない~ たかぱし かげる @takapashied
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