第9話 化け物
僕は生まれた時からその力に振り回されていた。決して自分は何も努力していない。何も苦労していない。なのに誰もがその力を理由に僕を褒め讃えた。本当に空虚だ。自分では無い誰かが褒められているのを側から見ているような、そんな感じ。
そしてその力が自分達にとって害だと分かれば、態度は一変。遠巻きに僕を見て腫れ物を触るように扱ってくる。誰も僕自身を見ていない。見ているのは、僕の中に渦巻くこの魔力だけだ。この短い人生の中で、何度こう思ったことか。『こんな力さえ無ければ』と。
部屋のドアがノックされる。僕の部屋に来るのは大体使用人なのだが、稀にそれ以外がやって来る。そもそもあまり使用人とも会いたくないのだが、その人物が来るのはもっと嫌だ。
「入っていいか?」
もっと嫌な方が来た。大柄で髭を蓄えた如何にもな風格を携えた男。オースティン・ネルソン。この国の王であり、僕の父親だ。普段はその威厳を以って民を纏めているのだが、僕の前ではどうも小さく見える。身長がどうこう、という話ではない。身長なら僕の方が圧倒的に低い。在り方の話だ。僕を前にするといつも控えめで、存在が小さく見えてしまうのだ。国を纏めるどころか、家族を纏めることが出来るのかどうか不安になる程の、小ささ。事実、家族に関して上手くいっていないというのが正直なところだ。だがそれは彼のせいではない。僕の所為なのだ。全て、僕のこの力が邪魔になっているのだ。
「入るぞ」
僕の返事を待たずしてお父様が部屋に入ってくる。返事が帰ってこないと分かっていながら入っていいか、などと聞いてくる辺り、僕の臆病な性格は父譲りらしい。
「その、旅が延期になったな。残念だが」
本当は僕が居なくなるのが遅くなって面倒くさいと思っている癖に。臭い物には蓋をしたいという考えだ。あぁ、確かに残念だろう。僕はまだここにいるんだから。
「それで、だな。少し話をしないか、アル」
黙っている僕を見て、会話の意思があると思ったのだろうか。だとしたらそれは全くの見当違いだ、僕は話なんかしたくない。僕をこの街から追い出そうとする人間との話なんて。さっさとここから去ってしまって解放されたいというのが僕の本音だ。
「その、本当にもしもの話で……真に受けないで欲しいんだが」
ずっと一人でしゃべり続けている。それに、随分と保険をかけている。これはきっとヤマトさんと話していた話だな。
「アルが旅の延期を希望した、とかそんなことがあったりするのかな、なんて」
当たりだ。遠回りな話し方をしているが、要するに僕に早く出ていくよう説得しに来た訳だ。それも当然か。僕は、この街にとっての害であり、災いなのだから。
「違うよ」
「うん、うん。そうだよな。でも、まあ、なんだ。勇者のお供になるのは俺が決めた事だから、不満とか」
「僕は旅に出たいと思ってるよ」
「そ、そっか。すまん」
いつも演説で見せているあの自信満々な姿はどこに行ったのか。あの調子で僕にはっきりと『お前のせいで旅を延期にさせるなど言語道断』と言えばいいものを。きっと心の中では絶対に僕が怯えて我儘を言ったと思っているだろうな。
「オースティン、すぐ謝るのは悪い癖ですよ」
ドアの前で話を聞いていたのか、割って入ってきた女性。オリビア・ネルソン、僕の母親だ。この国の王妃でもある。お母様は優しい人だ。僕が旅に出ることを危ないからと反対してくれたし、いつも気にかけてくれる。
「アル、いいのよ気にしなくて」
頭を撫でてくる。嬉しくない訳ではない。けれど、僕はこの優しさも素直に受け取ることが出来ない。すぐに手から頭を離してしまう。
「あ……」
見なくても悲しい顔をしているのが分かる。正直、心苦しい。けれど、僕にはこの優しさが耐えられないのだ。僕なんかを大切にするより、お兄様を大切にした方がずっと良い。僕は魔力だけの木偶の坊だ。他の王としての佇まいも、勉強も、何も出来ない。
「アル、何かあったらいつでも私達を頼ってね」
「そうだぞ。アルは俺達の大切な息子なんだから」
その言葉に鳥肌が立ち、嫌悪感に耐えられなくなった。
「出かけてくる」
「あ、アル」
二人を置いて、部屋を出る。家族。親。息子。全部嫌いな言葉だ。産まれながらにして僕を縛るものは、全て嫌いだ。平凡な家庭の、平凡な才能の、平凡な子供。それが僕の夢だ。王族のくせに贅沢だろうか。でも、王族として産まれてもいいことなんて何も無かった。しかもよりにもよって余計な魔力を持ってしまっている。一番嫌なのはそれだ。これさえ無ければ、王族としてもまだマシに生きれたかも知れないのに。あぁ、こんな力なんて無ければなぁ。
無駄に長い廊下を歩いていく。家が広すぎるのも嬉しくはない。広いと言っても僕の部屋は一つだけだし、殆ど入ったことのない部屋ばかり。それに、広くたって何にも使わないし、僕は狭い部屋の方が落ち着く。
城から出るためには通らなくてはならない廊下だが、絶対に使用人達とはすれ違ってしまう。これも嫌な点の一つだ。すれ違うとおはようございます、と声をかけてくる。僕もどうも、と一応返しはする。問題はその目だ。使用人達はどんなお客様にもにこやかに対応する。それは勿論僕ら王族にだってそうだ。でも僕の時だけはは話が違う。出会うだけで虫の居所が悪そうな微妙な表情をし、過ぎ去れば他の使用人と僕を見ながらコソコソ内緒話。そもそも僕を遠巻きに見てくるし、かと言って直接何かを言ってきたことはない。やましい話をしている証拠だ。
すれ違う度に向けられるこの視線。僕を憐れみ、蔑み、忌み嫌うその表情。何故なんだ。いや、理由は分かっている。そうだ、僕が僕である限りこの苦痛は終わらないんだ。そう考えると、黒い感情が僕の中でどんどん成長していく。あぁ、もう耐えられない。ここにいる事が苦しい。辛い。
僕は走った。運動は苦手だし、体力も無いけど、城を出るまで全力で走った。ここが毒霧の満ちた沼地に思える程息苦しい。こんな場所から早く逃げ出したいんだ。そう思って必死に駆けた。
「痛っ」
「うっ」
必死に走っていたせいで、前から来ていた人に気付かずぶつかってしまった。僕は勢い余って派手に転んでしまう。
「ご、ごめんなさい」
取り敢えず謝っておく。こういうふとしたところが親に似ていて嫌になる。
「……廊下を走るなど、王家の者のやることか」
この声。一番会いたくない相手だ。普段ならわざわざ道を遠回りしているのに、こうなってしまっては話さざるを得ない。最悪だ。本当についていない。
「ごめんなさい、お兄様」
兄のエルク。第一王子のエルクだ。物心ついた頃から仲は良くない。一方的に目の敵にされ、やりたくもない王位継承者争いをさせられる相手だ。
「全く、身の振り方には気をつけろ」
いつものように小言を言われる。
僕らネルソン家は魔法に長けた一族として積極的に戦に赴き、リザード王国を率いてきた。今ではもう最前線に立つようなことは無いが、魔法の資質が王の資質と扱われるような風潮がある。
魔力が多い家系の中で、たまたま僕はさらに飛び抜けて高い適正を持って生まれた。ただ、それだけの存在。それ以外には何も無い。
だが兄はその一点が気に入らないようだ。兄ははっきり言って優秀だ。堂々としているし、頭が良く、努力家だ。王になるべき人間だと思う。ただ、ただ一つだけ欠点があるとすれば、それは魔法の素質。その部分だけは僕に偏り、お兄様は魔法の勉強こそ僕と同じようにしているものの、からっきしだ。そもそもの魔力量故に向いていないのだろう。簡単な初級魔法でもすぐガス欠になる。
何故僕が王位継承候補に入っているかと言うと、この国の王は魔法使いであるべきと言う古い考えが今もなお根強く残っているからだ。つまり、兄にとっての僕は王になるために邪魔になる存在。王に相応しいのは彼なのに、僕の意思とは関係なく僕は兄の王道を阻んでいるのだ。
「……ごめんなさい」
「ウジウジするな。王になるかもしれないという自覚を持て」
どうして僕にそんなことを言うのだろう。勝手にライバルにされても困る。僕はお兄様とは対等ではない。その間には天と地程の差があるのだ。
「はい、分かりました」
口先だけではそう言ってまた走り出す。僕はこうやっていつも嫌なものから逃げ出して生きている。どこに行っても自分自身のレッテルが僕の前に立ちはだかり、そして逃げる。そして次はこの街から逃げ出そうとしている。自分でも馬鹿らしいと思う。けれど、他に道なんてない。こんな人生、嫌だな。
広い庭を抜け、ようやく街へ出てきた。そろそろ日が傾き夕方になる頃合いだ。夜になる前に戻らなければいけないが、今は戻りたくない。しばらく外にいよう。
城の前の門番が僕をジロジロ見ている。それが気持ち悪くて、また走り出す。もっと遠くへ行こう。本当は誰も僕のことを知らないような場所へ行きたいが、子供な上、立場上監視の目もある。やはり街から出るには勇者に便乗するしかない。
本来ならば、今日がその日だった。なのに、今朝急に旅を延期すると言い出し、お父様が簡単にそれを承諾してしまった。せっかくの希望が落とされたあの時の絶望感は、誰にも理解出来ないだろう。そうだ、ここから出さえすれば解放されたのに。どうして、どうしてなんだ。理由もはっきりしないし、延期と言ってもいつ出発になるか分からない。もしかしたら、旅自体が中止になったりもするのか……? それだけは嫌だ。でも、あり得る。打倒魔王は人類の悲願ではあるけど、急務ではない。あぁ、辞めてくれ。嫌だ。早く僕を許してくれ。この広い監獄から出してくれ。
歩いていると、当然街の人とすれ違う。談笑しながら歩く人、笑いながら歩く人、コソコソ話しながら歩く人。今の人、僕とすれ違った瞬間話し始めた気がする。嫌だなぁ。僕を憎んでいるのかな。それはそうだ。きっとそうだ。今の人も、僕を見ていた気がする。あの人もあの人も、あの人もそうだ。僕を見ている。この忌子を魔王に捧げよと主張ししている。怖い。辛い。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。僕を見ないでくれ。やめて。こわい。いやだ!!
「あんなのが王子なんて……」
「近くに居るだけで嫌だわ」
「早く消えてくれれば良いのに」
僕を蔑む言葉が聞こえてくる気がする。周囲の人間全てが僕を睨んでいる気がする。
気付けば僕は、悪寒が止まらなくなったこの身体を力一杯抱きしめながら、夕方の街を駆けていた。今何処にいるかも分からない。ただひたすら誰も僕を知らない場所へ向かって走っていく。、でもそんな安寧の地は存在しない。鳴り止まない弾圧の言葉が、刃物となって僕に突き刺さる。この箱庭に僕の居場所は無いと、一種の諦観が心によぎる。だからといって外へ出る唯一の方法は閉ざされた。じゃあどうしろって言うんだよ。僕にどうしろって言うんだよ。なぁ。神様!!僕はどうすればいいんだよ!!
いつのまにか日が落ち、街はオレンジに染まっている。かなり城から離れた場所まで来てしまっていた。もう帰らないといけない……でも、帰りたくない。このままここにいても、誰かが僕を探しにやってくるだろうな。僕に逃げ場はない。その事実を改めて突き付けられ、吐き気を催す。気分が悪くなり、体が重い。真っ直ぐ歩くことも出来ない。
「アル」
僕は駄目なんだ。どう転んだって現状を抜け出すことは出来ないんだ。そういう星の元に生まれてしまったんだ。
「アル、どうした? 大丈夫か?」
誰かに肩を叩かれる。自分の世界に没頭していたせいで過剰に驚いてしまう。
「あ……」
「体調が良くないのか? もう夜だし、城に帰った方が……」
ヤマト。勇者の家系の男。僕をこの街から連れ出してくれる筈だった、最後の希望だった人。
「どうして旅を延期したんですか」
そうだ。この人が急に出発を取りやめなければ、今頃街の外に出られているのに。仲間である僕にも話すべきなのに、その理由を話してくれない。今の僕からすれば、その全てが僕を陥れる為の罠にしか見えてこないのだ。父が?兄が?街の人が?誰が原因かは知らない。でも、僕がそのせいでここにいなければならないという事実は揺るがない。
感情が抑えきれない。それに呼応するように、体の内を渦巻くエネルギーが外へ出たいと暴れ出す。これはまずい。まずいと思っているのに、勢いを制御できない。
「ねぇ、どうしてなんですか……」
「ア、アル、どうしちゃったんだ。なんか、怖いぞ」
「僕は早くこの街から出て行きたいのに……どうして、どうして」
いけない……これ以上自分を見失ってはいけない。宮廷魔導師に散々注意されてきたことだ。でも、それが出来るほど、僕は立派な人間じゃかった。
「どうして……どうして、どうして!!」
無意識に喋りが荒くなっていく。衝動的に頭を爪で思い切り搔きむしり、地面に膝をつく。自分の行動を、自分で制御出来ていない。駄目だ。これは駄目だ。
「嫌だ、嫌だ!!どうしてみんな僕を、あああ!!」
「アル、落ち着け!な!」
駄目だ。駄目だ。駄目だ。溢れてしまう。僕の感情が、力が。体の中で暴れ回り、この世界を穢す時を今か今かと待ち望んでいる。
あぁ、もう限界だ。耐えきれない。怒り、悲しみ、虚しさ。ありとあらゆる感情が脳内を這いずり回り、溶け合い、混ざり合い……そして、一気に外へ流れ出す。
「あああああああああ!!!」
純粋な力の奔流は、魔方陣の制御を受けないまま空気中へ解き放たれ、破壊のエネルギーとなり前方へ叩きつけられる。
心臓にまで響く衝撃と轟音。目の前で雷が落ちた。僕の力がその本質を保ったまま解放されたことで、稲妻を形作ったのだ。
「きゃああああ!!」
女性の悲鳴。ここは大通りだ、こんな所で落雷が起きれば、驚くに……決まって……。
「ヤマト君! ヤマト君!」
女性が必死の形相で地面に倒れている男に声をかけている。が、男はぴくりとも動かない。
「あ……」
一瞬で理解した。これは自分の仕業だと。僕が無自覚に落としたあの雷によって、人一人の未来が奪われてしまった。なんて事だ。僕のせいで、彼を殺してしまった。まただ。またこの力のせいで、人を殺めてしまった。何処へ行くこともできず、人々に忌み嫌われ、罪なき人を手にかける。そうだ。これが僕なんだ。この世界に産み落とされた癌こそ、僕の正体なんだ。
黒い感情によって自分そのものが深く暗いところへ引きずりこまれていく。力は僕の心も体も乗っ取るつもりだ。完全に暴走してしまっている。お願いします、誰か僕を止めてください。いっそのこと、息の根を止めたって構いません。僕はこれ以上、罪を重ねたくないのです。だからどうか、どうか……。この化け物を、どうか……。
最初の街から出られない! 箱 @cigarbox
★で称える
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