最終話 ご注文はアイスティーで
コッコッコッ……そう高くないヒールが鳴らす音が、木製の街中に響く。
スーツは着ていない。あれを着たのは入社直後の数日間だけだ。
このはじめて訪れた場所で、どこか休めるところはないかと探す。有名チェーンの喫茶店が目にはいる。
古風な街並みにあわせた外装は、普段みるそれと違う雰囲気をみせていた。
「……ちょうど、ニ年前だ。戻ってきたのは」
爽やかだが少し強い風がふき、いまが四月であることを告げる。
二十三歳の四月。
かつて予想したように、タイムリープ前と一緒の年齢になり、同じ瞬間が訪れたとき。タイムリープのはじまりと同様、唐突にこの世界へと戻ってきたのだった。
『……っ! もし、かして』
まばたきの間に変わった視界。街路樹に囲まれた道から、ふっと目の前がドアになった。
ドアはすでに開いている途中で、ほんとうに元の世界に戻ったのではと思考が追いついた時には、立ち尽くす私にお母さんが怪訝そうな顔をむけていた。
『
『う、うん。……ただいま』
少し疲れた様子のお母さん。そうだ、いつも何かに疲れているようで、この表情を変えたいと思っていたんだ。
けれど今は懐かしく感じる。
おそるおそる中へと足を進める。
リビングのドアを開ければ、ほとんど誰も観ていないテレビを中心に家族がいた。
『
『あーおかえりー』
愛加があくびをしながら私に声をかける。
スマホゲームをしながら、無言で顔をあげ視線をよこす一希。
十七歳である一希は、高校の制服に身をつつんだままだ。男子生徒用の制服に。
『私。帰って、きたんだ。そっか……ああ、うあぁぁん!』
『な、なに? どうしたの心理!?』
あの世界から帰ってきたのが寂しかったのか、この世界のみんなに会えて安心したのか。自分でもよく分からない。
けれど私は涙を止めようとはせず、ただ子供のように心のままに泣きじゃくった。
『っ……ただいま!』
もう一度、はっきりと声をあげた。
自分の考えを、この世界でお母さんに伝えたいと思って言えなかった全てを伝えたあの世界。最初は気まずくもあったけれど、何度か本音を伝えるうちにお母さんも私を頼ってくれるようになった。
愛加と一希の存在が変わってしまったあの世界。けれど出来る限り二人のお姉ちゃんとして生きようと接し、すごく仲のいい三姉妹だった。
おかめちゃんが生きていて、ヒカルとも過ごせたあの世界。高校で別れても連絡をとりあい、気のおけない、たくさん報告しあえる幼なじみとして遊んだ日々は楽しかった。
それらは全て、夢だったのか。
「そんなわけない。あれが現実じゃないわけがないよ。まだ、きっとどこかにあるんだ……あの世界も」
私がここにいるということは、タイムリープしたパラレルワールドでの私の存在はどうなっているのだろう?
消えたのか、そもそも存在しなかったことになっているのか。タイムリープしているという記憶をもった意識だけがこの世界へ戻り、私は向こうでも存在しているのか。
「気にはなるけど、それはどれでもいいかな。私は向こうでやれることを全力でしてきたし……もちろん後悔してる事もあるし、悲しくも寂しくもあるけれど」
喫茶店へと向かい、押したドアのベルが爽やかに鳴る。
ふと、昨日読んだマンガにでてきた単語が頭にうかぶ。
「確か……クラインの壺、だったかな」
小難しい説明だったからほとんど理解はできてない。ただ、入口からぐるりと一周し、その入口が出口になっているあの妙な図が印象的だった。
離れているようで、繋がっているようで、交差しているようで。
少し……ほんの少しだけ、この世界とタイムリープした世界のように見えたんだ。
「いらっしゃいませ。ご注文お決まりならどうぞー」
「はい。じゃあ――」
大学生らしき店員さんに呼ばれ、注文カウンターまでいく。
特にこれといって飲みたいものはない。やや暑いので、無難にアイスコーヒーを頼もうと口を開く。
瞬間、私の視界が勝手に動きだした。
実際には私は動いていないのに、アイスコーヒーを注文している私の視界が、流れこんできたのだ。
「え……?」
「お客さま? ご注文はお決まりですか?」
はっと我にかえり強くまばたきをする。
店員さんが首を小さく傾げていた。
やはり私はまだなにも頼んでいない。
なら今のは――……別の私?
もしかしたら別の世界の私だったのかもしれない。うん、それがいい。
アイスコーヒーへと向けかけた指を、その下へと降ろす。
「かしこまりました、店内でお召し上がりですね」
会計もすませ空いているカウンター席に座る。
窓から入る光が画面に当たらぬよう、向きを調整してパソコンをたちあげる。
何件かのメールがきていた。クライアントからの依頼や、修正についてや支払いについてなど。私、いやイラストレーター
この世界でも、いろんな人との繋がりがある。タイムリープした世界では、会うことのなかった人たちもいる。
さっきアイスコーヒーを頼んだ私は、どの世界の私だったのだろう。
「よし、返信も終わり。今日は甘いものでも買って帰ろうかな」
半分ほど中身が残っているコップに手をかけ引き寄せる。
手の中のアイスティー。
溶けてきた氷が、カラリと小さな音をたてた。
― 終 ―
連載完結いたしました。
中編、もしくは短編という短い物語でしたが最後までお付き合いくださり、本当に嬉しいです。
みなさまの選択がより良い未来を選びますように。
また別の物語でお会いしましょう。ご愛読ありがとうございました!
バタフライ・クライン 朝山なの @asayama_nano_90
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