第3話

「終わったぞ、終わった。トゥトゥ、ほらしゃきっとするんだ」

 ジプが背中を叩くと、青年は頭を振って背筋を伸ばした。

 薬草茶を飲ませてやると、ようやく目の焦点がしっかりと定まる。

「よく頑張ったな。……おいおい」

 包帯を巻く手を瞬間止めた。

 ほんの一滴だけ青年の瞳から涙滴が零れ落ちたのを、ジプは見逃さなかったのである。

 いつも彫り終わった後の時間をジプは重視していた。

 オルフを彫った後に出た水は、体と紋の拒絶反応が流させた可能性がある。

「どうした」

 小声で尋ねると、トゥトゥも囁いて答える。

「恥ずかしい」

「何がだ」

「ドクに聞かれた」

「ああ、そういうことか。仕方あるまい、苦手なのだから」

「そういう問題じゃねえよ。俺の、俺の、なんだ」

「沽券にかかわる?」

「おう」

 ジプは包帯をぐっと締め上げながら、笑った。

「お前の方が腕も太いし、筋肉も多い。痛くて当り前さ」

 トゥトゥはぶすっとした顔でそっぽを向いている。

 体に悪い反応が出ていないか念入りに確認した後、ジプはもう一杯だけ薬草茶を飲ませた。

 拒絶の印は出ていない。

 アララファルの雷紋は、下手をすると彫り込んだセムタムの体を焼いてしまう。

 その時は施術した後からうっすらと煙がたなびくのだという。

 幸いにもジプのオルフでそのような事故が起こったことは無いが。

 トゥトゥの体を念入りに検分する。

 微かな震えは、まだ緊張が抜けていないからだろう。

 それ以外の異常は認められない。

「もういいぞ」

 施術台まわりの布を押し分けてトゥトゥがよろよろと出て行く。

 顔を出した途端に、

「あっ、トゥトゥ! ちょっと大丈夫なの、凄い声だったけど」

「どうってことないさ」

 ジプはトゥトゥの後を追って、顔を出した。

「もしかして、とても大きいオルフだったの?」

「いや――」

「そう、ドクター・アムのものより複雑な文様になっているんだ。トゥトゥのが腕が太いからな。ああ、すまないが先ほどの薬草を持ってきてくれないだろうか」

 ドクター・アムは疑問をさし挟むことなく、作業場の隅に置かれた籠の方へ歩いて行った。

 とても素直で良い女の子、いや大人アカトだ。

 その姿が離れたのを見送って、トゥトゥは身を屈めてひそやかに言う。

「今あんたなんつった? 揃いの紋にしてくれって頼んだじゃねえか」

「どうせドクター・アムから質問攻めにあって、お前が恥ずかしくなるだろうと思っていたのさ。揃いの紋ではあるが、お前のはひと手間加えてある」

「どこを」

「サメの歯が一本だけ、雷によって砕かれた意匠に変わっているのだ。彫るのは複雑で痛い」

「あっ、やっぱりわざと痛くしてたんじゃねえかよ!」

「一生恥じてもいいのか? あの子は絶対に、お前のオルフをしっかり観察するぞ。私にはわかる。突き詰めようとするものは機会に貪欲なのだ。あれだけ悲鳴を上げたのに同じ紋では、がっかりされてしまうだろう?」

 意地悪く笑って見せたジプに、トゥトゥはぐいと背筋を伸ばしてすごんだ。

「ふん」

 ドクの何がわかる、とトゥトゥは態度で語っている。

 わざとジプが薬草漬けの包帯をつつくと、トゥトゥの歯の間から鋭い息が漏れた。

 おまえの事ならわかるさ、とジプは思う。

「誇り高く見せてやれ。この痛みに耐えたのだと」

「くそ。……ありがとうアエラニ。追加で支払うか?」

「いや、ひとつ貸しとしよう」

 トゥトゥは片方の眉をちょいと上げた。

「お前が常連だと、面白いオルフが彫れそうだ。また黄金の鱗でも仕入れてくれよ」

「おい、そいつぁ貸しひとつじゃ割に合わねえぞ」

 左手で頬をぽりぽり掻きながら、呆れたという気配を隠そうともせずにトゥトゥがぼやいた。

「そういう巡り合わせだよ、お前は」

 ジプは前掛けを外し、風を通すため施術台に広げて置いた。

 雨はすっかり上がって、強い陽の光が梢を透かして降ってくる。

 作業場の片隅で、薬草の籠を見ながら仲良く話し合っているふたりの輪郭が、ふわりと柔らかい陽光に浮かんでいた。

 祝福あれとジプは願う。

 天の龍に、海の龍に、島々の龍に、そして海の幼子セムタムたちに、変わらぬ祝福があらんことを。


(了)

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アルマナイマ博物誌 雷鳴を彫る 東洋 夏 @summer_east

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