竹屋の渡しに魅せられて
烏川 ハル
「ある男の独白」そして「娘たちの会話」
(1)ある男の独白(前編)
その絵を私が見かけたのは、デパートの片隅だった。
一種の画廊のようなコーナーなのだろうか。そこには、多くの絵が飾られていた。
ただし、画家直筆の生の絵ではなく、どれも有名な作品の複製画らしい。まあ『有名』と言っても、美術や芸術に疎い私だから、知らないものばかりだったのだが。
「そういえば……。一昔前に、海だかイルカだかの絵が流行ったことあったな」
ふと、そんなことを思う。その時だって私は、特に興味もなかった。ただ生ぬるい目で、ブームを横から眺めるだけだった。
そんな私が。
なぜだか今、一枚の絵に――画廊コーナーの外からでも見える位置に提示されていた作品に――、不思議と、惹き寄せられているのだった。
パッと見た感じ、暗い絵だ。夜の川辺を描いており、人も灯りも少ない。
二、三人、いや、せいぜい数人か。髪型や服装は、江戸時代っぽくも見えるくらいに昔風だ。
川だから街灯とは言わないのだろうが、そんな感じの灯りが、ポツンと一つ。
灯りと同じ色でたくさん描かれている小物は、対岸の光とそれが川面に照らし出されている様子を表現しているのか。あるいは、運動会で飾られる万国旗のように空中で掲げられた装飾品なのか。後者だとしたら、祭りか何か、開催されているのだろうか。その割に、人々の活気が足りない気もするのだが……。
「『竹屋の渡し』か……」
いつのまにか絵に近づいていた私は、そのタイトルを口にする。
説明によれば、隅田川にあった渡し場を描いたものらしい。
なるほど、渡し場なのだろう。それらしき建物――船宿――が、右半分に大きく描かれている。小屋には、先ほどの『街灯』とは別に、灯りもついているようだった。
だが、渡し船屋そのものよりも。
店に被さるようにして存在を主張している、一本の大木。その木が、私は気になった。
たまたま大木の枝だけが描かれているのか、あるいは、全体として斜めに成長してしまった木なのか。
描かれた木は、川に向かって伸びていた。まるで川の水を求めるかのように。まるで自分も川を渡りたいと言っているかのように。
しかも、枯れ木でもなく、青々とした葉に満ちた木でもなく。
大きく自己主張するかのように、美しい花を咲かせていた。少し形が違う花であるのに、夜景に映えるその姿は、私に『夜桜』という言葉を思い起こさせるくらいだった。
ただし、桜の花見とは違って、騒々しい見物人たちなど存在しない。ただ、数名の落ち着いた人達ばかりが、一緒に描かれているだけ……。
その光景は、私を虜にした。
そして私は、その絵を――複製画を――購入したのだった。
――――――――――――
(2)ある男の独白(後編)
私自身は、そんな世代ではないが。
遠縁の子供たちの話によると、最近の若者の間では、アニメや漫画といった二次元のキャラクターを立体化したものが、人気あるらしい。
それを買っていって、家で一人でこっそり、下から眺めるのだという。アニメや漫画では描かれない部分を、必死に覗き込もうとするのだという。
その話を聞いた時、私には、まるで理解できなかった。これが新人類というものか、と呆れてしまった。
しかし、今。
そうした『新人類』たちに、私は謝りたいと思う。今なら私も、少しは彼らの気持ちがわかるような気がするからだ。
「これで、よし!」
購入した『竹屋の渡し』を、私は、寝室の壁に飾ることにした。
それも、ベッドの真上だ。横になれば、下から見上げることが出来る位置だ。
そう、下から。
私は、この絵で描かれた花を、是非、真下から眺めたいのだ。
もちろん、これが『絵』である以上、本当に『真下』から見ることは不可能。それは理解しているのだが……。
枕の下に絵や写真を入れて眠ると夢に出てくる、という話もある。
では、枕の上に絵を飾れば……。どうなるのだろう?
答えは、すぐに判明した。
その夜、私は『竹屋の渡し』の夢を見たからだ。
「ついに来た! ここが……!」
感激して叫びながら。
私は、これが明晰夢というやつか、と冷静に考えていた。夢の中にいる私が「これは夢です」と自覚していたのだ。
ともかく。
夢であれ、何であれ。
今、私は『竹屋の渡し』の中にいる。
目の前には、絵で見た渡し船屋があった。
やはり祭りでも開かれていたのだろうか。川の方からは、それなりに賑やかな声も聞こえる。あるいは、祭りなどではなく、これが平常運転なのかもしれない。
灯りがついていた以上は当然なのだが、まだ船宿は営業中。中からは、店の者と客が談笑する声も聞こえてくる。
そうした『声』は、それこそ現実世界の花見の見物客と比べたら、はるかに大人しいレベルだ。むしろ、これくらいなら、心地よいBGMとなる。
そして。
私は、視線を上に向けた。
「おお!」
咲き誇る花々。
やはり、真下から見た方が、もっと美しい。いや、一番美しい。
しかも。
心をくすぐるかのような、ほのかに甘い匂いも、夜風に乗って漂ってくる。
ああ、これが、この花の香りだったのか!
さすがに、これは『絵』では、わからなかった!
私は、夢見心地だった。
夢の中の住人が、夢の中という自覚を持ちながら『夢見心地』なんて言うのは、何か間違っているのかもしれない。
それでも。
私は、うっとりとして、その『花』を見上げていた。
いつまでも、いつまでも。
この夢が覚めないで欲しい、と願いながら……。
――――――――――――
(3)娘たちの会話
「健作おじさん、本当に、どこ行っちゃったのかしら?」
「これだけ長いこと行方不明なら……。もう、帰ってこないのでしょうね」
少女たちは、やや億劫そうな顔で、そんな言葉を交わしていた。
会話に出てきた『健作おじさん』は、二人にとって、遠い親戚だ。だが彼には身寄りがなく、物理的に一番近所ということで――それでも長いこと電車に揺られる必要があるのだが――、二人は今、彼の家に来ているのだった。
消息不明の、遠縁のおじさん。その寝室で、遺品――というには少し早いが――を物色する少女たち。二人は、まるで謀ったかのように同時に、壁の絵へ視線を向けた。
「健作おじさん……。絵を買う趣味なんて、あったのねえ」
「あら、そうでもないらしわ。だって、これ一枚きりでしょう? 何でも、この絵を買った直後に、消えてしまったのですって」
「ならば、この絵が怪しいってこと?」
「さあ? まさか、呪いの絵とか?」
「ハハハ……。そんな都市伝説みたいな話、知り合いの身に起こったら、それこそ面白いわねえ」
一人は、腹を抱えて笑っているが……。
もう一人は、その笑いに巻き込まれることもなく、静かに壁の絵を眺めていた。
「ねえ、見て。この絵の中の人……。なんだか、おじさんに似てる、って思わない?」
「えっ、どれ?」
「ほら、これ。古風な建物の前というか、おっきな木の下というか……。ここ!」
「うーん。そもそも、これ、男の人なのかしら? 私には、女の人にも見えるけど……」
絵の中で描かれた人間は、何を思っているのか。
適当に想像しながら、二人は、その絵を眺めるのだった。
(完)
竹屋の渡しに魅せられて 烏川 ハル @haru_karasugawa
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