いつかまた会える?
誰もいない講堂の舞台で、おれはヨウコを待っていた。果たして待ち人はすぐに来る。聞き慣れた声が、後ろから聞こえた。
「コウ、待った?」
「今来たとこだ、って言や良いのか? 無理があるぞ、このシチュエーション。普通に部室でよかっただろ」
「こう言うのはさ、舞台監督のカイリに従わないと。2人は気を利かせて、部室にいてくれてるの。だからふたりきりだね、コウ」
「……あぁ、そうだな」
「うん。だからこれで、誰の目も気にせずにエチュードできるね」
「まぁ、そうだな」
誰もいない舞台に、ヨウコと2人きり。オーディエンスは誰もいない。
何度も言うけれど。これはもう、エチュードでも何でもない。
「なぁ、ヨウコ」
「なにかな、コウ」
「本当は、何て呼べば良いんだ。ヨウコじゃないんだろ?」
「……コウは知ってるでしょ? 最後に、私の名前を呼んでほしいな。それが私の望みなんだからさ」
いたずらっぽく笑うヨウコ。いや、ヨウコの中のあいつ。おれはその名を知っている。それが誰なのか、わかっている。
「……あの時の記憶が、まだ戻らないんだ。あの事故の記憶が。だからお前があいつだって言われても、おれにはまだ信じられないんだ」
「よっぽど辛かったんだね。だからきっと、記憶がないんだよ」
そうかも知れない。未だに記憶は戻らないし、きっともう二度と戻らない。確証はないが、そんな気がした。おれが言葉に詰まっていると、目の前のこいつが続ける。ゆっくりとした口調で。
「でもね、記憶はそのままで良いと思うよ。戻ったって仕方ない。だって、時間は戻らないんだし」
「そう、かもな……」
「その方がいいよ。私が消えた後、きっと本物のヨウコが戻ってくる。下手に記憶があると、混乱するでしょ?」
「いや、どっちにしろ混乱するだろ。今までずっと、お前と一緒だったんだぞ。小学校の時から今までずっと。そんなお前がいなくなって……中身が入れ替わったとして。そうなれば、混乱しないはずがねーだろ。そもそもヨウコが戻ってくるって、ヨウコには記憶があるのか? ずっと眠ってたままなんだろ?」
「大丈夫だよ。ヨウコは眠っていたけれど、全部知っているから。コウがずっと、私たちのために動いてくれていたことも。演劇部の楽しい思い出も。みんなとの大切な会話も。全部知ってるから。私がずっと、心の中でヨウコに語りかけていたから。だから、きっと大丈夫だよ」
きっと大丈夫。そう笑うあいつ。確証なんてない。だけど。こいつが言うならそうなのかも知れない。そんな風に思えるほど、それは不思議と説得力のある言葉だった。
「ヨウコは、知ってるのか。おれとお前が過ごしたこの10年間を。どうして今まで、一度も表に出てこなかったんだ?」
「出てこなかったんじゃないよ。出てこられなかったんだ。全部、私のせいだから」
「どういうことだよ、説明してくれ」
「……約束したんだよ。幼い頃、ヨウコと私は。さっき言ったじゃん? 私の魂みたいなものが宙に浮かんだ時。ヨウコが手を伸ばして助けてくれたって」
「あぁ、聞いた」
「私たちは仲がとても良かった。だから何かあったらお互いを助けようね、って約束をしてた。それでヨウコは私を助けてくれたんだけど、私の魂は少し特殊だったの」
特殊? 意味がわからない。おれは怪訝な顔をして意味を問う。
「端的に言うとね。私の魂は霊的な力が強いの。そういう家系に生まれたの。だから今までの幽霊たちはさ。みんな私に取り憑いてたんだよ。幽霊に取り憑かれる幽霊って、なんか間抜けな感じがするけどね」
「いや待てよ。それ、答えになってねーぞ。どうしてヨウコはずっと眠ってたままだった? どうして一度も出てこなかった?」
「私のせいなんだよ。私の魂が強かったから。だから本来のヨウコの魂とひっくり返っちゃったし、私が霊に好かれるから取り憑かれることにもなった。それに……、ヨウコは優しいから。私をずっと、ここに居させてくれた。私はそれに10年も甘えてた。でも、」
一旦言葉を区切るあいつ。ひとつ深呼吸をする。そして噛みしめるように。愛おしむように。あいつは言葉を継ぐ。
「ヨウコも強くなったんだよ。この10年で、私と一緒に強くなれた。だからもう、私はヨウコの人生に必要ない。それにコウもいるもん。もう大丈夫だよね」
不意に、あの頃の記憶が少しだけ、ほんの少しだけ甦る。幼い頃のヨウコの記憶だ。
あいつは引っ込み思案で、伏目がちで、自分に自信がなさそうで。いつも遅れて後を付いてくるような、そんなヤツだった気がする。
今のヨウコとは別人だ。いや、本当に別人なのだから不思議ではないのか。
だから。そんなヨウコをこいつがきっと、励まし続けていたのだろう。10年間ずっと。心の中のヨウコを、勇気付けていたのだろう。
そしてその役目は終わった。きっとそういう事なのだろうと、そう思う。
「コウ、ヨウコをよろしくね」
「おれひとりじゃ、何もできない。居てくれないのかよ、ヨウコの中に。お前が居ないと、おれは……」
「コウなら大丈夫だよ。だっていろんな幽霊たちの願いを叶えてくれてたじゃん。ありがとね、いつも私たちを元に戻してくれて」
「やめてくれ。おれは何もしてねーよ」
「いっぱい助けてくれたよ。本当にありがとう。私たちのこと、いつも助けてくれて。本当に嬉しかったよ」
あぁ。もうこれで行ってしまうんだな。せっかく劇の練習をしたのに、本番を待たずして。こいつはここで納得したんだ。もうそれを止める術はない。自ら成仏しようとする幽霊を、止める権利なんて誰にもない。
鼻の奥がツンとする。いやダメだ、このエチュードに涙なんて必要ない。そう自分に言い聞かせる。
「私ね。子供の頃からコウのこと、大好きだったよ。本当に大好きだった。ありがとね、コウ」
あの頃のおれは、何を考えていたのだろう。遥か昔。小学生のころ。
きっと、恋も愛も知らないころ。
「……ねぇ、コウ」
「なんだ?」
「最後に、握手をしよう」
手を差し出すあいつ。それは晴れやかな、何かに満足したような笑顔で。綺麗な笑顔すぎて、見ているだけで切なくなる。
「……そして出来ることなら、どうか。私の事を忘れないで」
この手を握ったら、きっと。
こいつとの最初で最後のエチュードが、終わりを告げるのだろう。
でも。それがわかっていても。
おれはその手を握り返した。強く、強く握り返す。今までの想いと、感謝を込めて。
「……忘れねーよ。忘れられる訳ないだろ。おれもずっと好きだった。お前がいなくなった後、どうすればいいか本当にわかんねーけどさ。でもおれはまた、ヨウコのそばに居続ける。お前のこと、忘れないためにもな」
「いつかまた会える?」
「来世か、その次か。いつになるかわかんねーけどさ。また会おうな」
「最後に、私の望みを叶えてくれる? 私の名前、呼んで欲しいな」
上目遣いで、そう問われる。おれの視界はぼやける。こいつの名前を呼んだら、そこで決まってしまうのだろう。
でも。他ならぬこいつの願いだから。今まで自分がそうして来たように、叶えてやらないとダメだと、そう思った。そして。
──さよならの時間が、決まった。
「……いつか。いつか必ずまた会おうな、コヨミ」
「……うん! またね、コウ!」
泣き笑いの表情だった。コヨミの、その最後の顔は。
おれはきっと忘れない。
いつまでも、いつまでも。
幼馴染だった、この幽霊のこと。
──憑かれやすい彼女のことを。
【終わり】
憑かれやすい彼女 薮坂 @yabusaka
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