最後のエチュード
そしてヨウコは大きく深呼吸をすると。
ようし、と呟いて教室の前へと進んだ。そこで待つコマも、準備完了と言った面持ち。すぐ近くに控えるカイリが、スタートの合図を無言で出した。
そして最後のエチュードが始まる。
「……どう言う事ですか、先輩?」
「あのね、コマちゃん。よく聞いてね」
本名を言われて、わずかにコマがたじろいだ。今まであえて、役名は付けてなかった。だからだろう、コマはこれが本当にエチュードなのか、という表情を僅かに見せる。それほどまでに、ヨウコの顔は真剣そのもの。
「私はね、幽霊なの」
「……幽霊?」
「そう、幽霊。私はもう、死んでるんだ」
ゆっくりと目を閉じて。たっぷりと一呼吸置いて。ヨウコはさらりとした口調で続ける。
「10年前に、不幸な交通事故が起きてね。私はそこで死んじゃったの。でもね、その時もう1人、事故で重傷を負った子がいたの」
「10年前の、事故……? そこで死んじゃったんですか、先輩?」
「うん。残念だけどね。それでね、私は死んじゃって、気がつけば身体が宙に浮いちゃってて。見下ろしてみると、自分と、そのもう1人が道路に倒れてたんだ」
「それで……、どうなったんです?」
「不思議なんだけどね。その時に、私の心がそのもう1人の身体の中に入っちゃったんだ。取り憑いた、って言えばいいのかな。その子の名前が、ヨウコって言うの」
自分の名をはっきりと告げるヨウコ。それを聞いてコマも、これがただのエチュードではないかも知れないことを悟ったようだ。
何かがおかしい。いつもの様子じゃない。そんな風に、コマの顔が不安げに歪む。
「どうしてそんなことが……。あたし、信じられません。信じたくないです。先輩が死んでしまっているなんて」
「私も信じられなかったよ。その時にはね、もう私の身体はダメになっちゃってて。浮かんでる自分がどんどん、空に吸い込まれて行って。でもその時に手を伸ばして助けてくれたのが、ヨウコだったんだ」
「……やっぱり、信じられない。どうしてそんな事を、今あたしに教えてくれたんです?」
少しタメを作って。その後、はっきりとした声色でヨウコは言った。何かを決意した、そんな声で。
「もう、限界なんだ。私はヨウコに助けてもらったけど、代わりにヨウコの心が眠ってしまった。自分の身体なのにだよ。このままじゃ眠ったままのヨウコが、本当に消えて居なくなっちゃうから。私はあくまで、ヨウコの身体を借りていただけ。だから返さないと。そう思ったの」
「先輩は? 今まであたしと遊んでくれた、先輩はどうなるんですか? 消えちゃうんですか? もう会えないんですか?」
「うん、ごめんね。だから、コマちゃんにお礼をと思って。これがきっと、最後のエチュードだし」
「最後のエチュード……? 先輩、何言ってるんですか? 嘘、ですよね? だって今まさにエチュードしてるんですよ! そんなこと言われたら、もうエチュードじゃなくなっちゃう!」
小さくヨウコは笑った。確かに、もうエチュードじゃなくなっちゃったね。そう付け加えて。
「コマちゃん。色々ありがとね」
「待って下さい、そんなの聞きたくありません! だってそれを聞けば、もう先輩と会えなくなる気がする……」
「ううん、言わせて。今まで私と居てくれて、」
「待って、待って下さい先輩! 先輩が本気で、本当に言ってるのなら! あたし1人で聞ける話じゃないっ! カイリ先輩! すぐ来てくださいっ!」
一見すれば、エチュードはかなりの盛り上がりを見せている。でも違う。もうエチュードでもなんでもない。これは全て真実。誰ももう、演技をしていない。
傍に控えていたカイリが加わる。もう、この物語の終わりが近いのかも知れない。
「……ヨウコ。これ、どう言う事?」
「カイリ先輩っ! ヨウコ先輩が、ヨウコ先輩が……!」
「コマ、落ち着いて。ヨウコ、説明してくれる?」
「カイリ、ごめんね。私、実は幽霊なんだ。ヨウコの身体をずっと借りていたんだけど、もう返さないといけない時が来たから。だから最後に、みんなにお礼を言いたくて。消えちゃう前に、ありがとうを言いたくて」
「……そう。そんな感じはしてた」
「知ってたの、カイリ?」
「ううん、知らなかったけど。でも納得はできる。あなたは昔のヨウコと全然違う。それに時々、知らない人になっていた。今思えば、取り憑いていたあなたに、さらに別の幽霊が取り憑いていたってことなのね」
「カイリ先輩……?」
「コマ、仕方ないよ。これはあの子が決めたことだから、わたし達はそれを受け入れよう。心置きなく、成仏させてあげよう」
「そんな……、あたしには出来ません。ヨウコ先輩ともう会えないなんて! 先輩は何の取り柄もなかったあたしを、演劇部に誘ってくれて、あたしに自信をくれたっ! だからあたしの今がある。ヨウコ先輩がいなかったら……」
「コマちゃん、心配しないで。中身の私がいなくなるだけ。私がいなくなっても、ヨウコはいなくならないよ。ヨウコは良い子だよ。私を助けて、ずっとここに居させてくれたんだし。だからきっとコマちゃんとも、仲良くなれると思うな」
泣かないでよ、寂しくなっちゃうじゃんか。そう困った顔で笑いながら、ヨウコは続ける。
「ありがとね、コマちゃん。私の事、そこまで思ってくれて。私は先輩として誇らしいよ」
コマの嗚咽が聞こえた。演技だとしたら凄いことだ。いや違う。やっぱりもう、誰も演技をしていない。おれはそう確信した。
「……話はわかった。わたしにも一言、言わせてほしい」
カイリはヨウコに向き直る。そしてゆっくりと。まるで慈しむように。ヨウコに言葉をかける。きっと親友に、ありったけの感謝の気持ちを込めているのだろう。
「ありがとう。あなたのおかげで、わたしは楽しかった。本当は、あなたと卒業したかったけど。またそれは叶わないのね」
「ごめんね、カイリ。ううん、ありがとうだね。カイリが演劇部に誘ってくれなかったら、こんなに楽しい高校生活にならなかったよ。カイリは私の、自慢の親友だよ。ほんとにありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。こんなこと言って良いかわからないけど。元気でね、親友」
「ありがとう。カイリも、元気でね」
「ほら、コマも最後に挨拶して。最後の挨拶を」
「……先輩、ほんとうに、ありがとうございました……。あたし、先輩のこと、ずっと忘れません……っ」
「うん、ありがとう。それじゃ、もう行くね」
「……待って。まだ忘れてることがあるでしょう」
そう言ったカイリは、ゆっくりとした動作で。ポケットからスマホを取り出した。
慣れた手つきでどこかの番号を選択する。途端に、何故かおれのスマホが鳴った。反射的に、それに出てしまう。
「もしもし、コウ? わたしだけど」
電話をしながら目配せをするカイリ。その目は、エチュードはまだ続いていると言いたげだ。もう誰も演技なんてしてないのに。エチュードはもう終わっているのに。カイリは、おれをそれに参加させるつもりだろう。
やめてくれ。そんな気分じゃないんだ。
そう思うが、おれは結局なにも言えない。電話を耳に当てたまま、黙ることしか出来ないでいた。
カイリはおれの思いを知っている。なのに知らないフリをして。セリフを続けた。
「ねぇコウ、お願いがあるんだけど。今から、講堂の舞台に来てくれないかな。あの子が、コウに話したいことがあるって。だから今すぐに、講堂の舞台まで走って。もう一度いうけど、今すぐにだよ」
きっとカイリはヨウコの最後の舞台を、お膳立てしようとしているのだろう。これが最後だから。親友にできる最後のことだから。
だからこんなに回りくどいことをしてまでも。ヨウコとおれの、2人の時間を作ろうとしているのだろう。
だからおれは。わかった、とだけ返した。それはきっと。おれにしかできないことだから。
「コウに連絡した。舞台で待たせてる。これが本当の望みでしょう? コウに、ありがとうを言うことが」
「……うん。コウにも、お礼を言いたかったんだ。ありがとね、カイリ」
それを聞いて、おれは教室を出る。そして走る。講堂の舞台へと。これがヨウコと過ごす、最後の時になることを感じで。
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