【7】救出された男の子
「本当になんと言ってお礼を申し上げてよいのやら」
11月の暑さの残る午後の気だるい研究室内に、長身の男性が身を半分に折るようにしてペコペコと頭を下げているのは、実に不思議な光景である。
立場上、人には滅多に頭を下げないであろう男性(警視総監と紹介されなければ、誰も信じないであろう)が、人一倍低姿勢で、研究室内にいる全員に頭を下げて回っている。
その理由を理解するまでには、相当の時間を要した。研究室の扉を叩くやいなや、ひっきりなしに謝罪と握手を繰り返す警視総監が、最後に紹介するに至った男の子を見るまで、全員はその行動に呆然としていた。
「あの男の子、警視総監のお孫さんなんですか!?」
真っ先に叫んだのは、雛川である。
いくら雛川が敏腕エリート刑事であろうとも、神奈川県警の1刑事である。警視庁のトップである警視総監は顔は遠くから見たことはあるものの、人と人の間からほんのわずかに見える程度の距離からでしか見たことはない。もちろん、テレビモニター越しに見る顔と実物とでは雰囲気はがらりと変わる。
白髪の少し薄くなった髪の毛をオールバックにした頭頂部を、余すところなく披露し、低姿勢をさらに低くしているのだから、背の小さな雛川が余計に身を縮こませても仕方がない。
普段威厳が服を着て歩いているような初老の男性が、自分の胸の下くらいの小さな女性ー雛川や、相葉刑事。さらに冷静で顔色の変わらない三隅や、興奮の冷めやらない松野の手を握って今にも泣きそうになっている姿は、おそらくここでしか見られない行動であろう。
特に、魁斗の前に来た警視総監は
「
と、それまで耐えていた涙を、その眼力の強い目から一気に吹き出してしまった。
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「いや…俺…私はなんにも。たまたまあの場に居合わせて、運良くご
あまり恐縮されるのが好きではない魁斗は、10分もの間自分の手を握ったまま離さない初老の男性に、いよいようんざり、といった表情である。
涙の止まらない祖父の涙を止めたのは、30分遅れで研究室へとやってきた男の子の一言であった。
「もう、それくらいにしてあげなよ、お祖父さま。皆さん、お困りのご様子じゃないですか」
妙に大人びた言動の少年は、どう見ても幼稚園児。
前日に銀行の金庫室に閉じ込められていたときに、泣きべそをかいていた6歳児とは到底思えないほど、
120cmほどの身長の少年が、
「研究室の皆さま、お忙しいところ本当に申し訳ございません。祖父がちゃんと自己紹介もしていないようで」
と少年は祖父を
「ご紹介が遅れました。僕の名前は【
と自己紹介を簡潔に済ませた。
身のこなしも言葉遣いも丁寧で、大人顔負け、といった様子だ。
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「まあまあ、立ち話もなんですから。ささ、こちらで紅茶などいかがでしょう」
と、三隅が全員に声を掛けたところで、ようやく研究室内の全員が一息ついた。
「ありがとうございます。さ、お祖父さま、席にお座りください」
6歳の少年は祖父を先にソファーに座らせると、自身も身も軽やかにソファーに着席し、エージェントスミスの用意した紅茶を音もなく飲み干した。
「私もわけが分からないんです。なぜ、孫…凛が誘拐されるのに至ったのか。行き帰りもしっかり車の迎えがあれば、幼稚園も比較的厳重な警護のある施設に預けておりますので。なにより、犯人側からは一切の身代金の要求もなく、それどころか、凛が私の孫であることすら知らなかったようで」
五稜塚警視総監は、少年の母親よりも泣き腫らした目で、力なくうなだれていた。
救いなのは、誘拐された張本人ー少年に少しも怖がる様子がないことである。6歳という右も左も分からない年齢で、ましてや周囲に守られるべき立場である幼稚園児が、見ず知らずの大人に瀕死の状態に追い詰められる、などという酷い目に遭わされたのだ。怖がるなという方が無理からぬこと。トラウマが残っていないのは、奇跡とでも言えよう。
昼過ぎにやってきた五稜塚一家3人は、夕方過ぎにある大学の最終授業の予鈴が鳴り終わるまで、研究室のソファーの上で談笑をするまで回復していた。
普段忙しい警視総監と、雛川と圭二両名のスマートフォンが一斉に鳴り始めたところで、和やかな
「すっかり長居をしてしまった。あ、これ。つまらないもの…とお渡しするのは失礼ですよね。私の1番お気に入りの和菓子店のわらび餅です」
と、五稜塚警視総監が思い出したように、ソファーの上に置いたままにしてあったお茶菓子を三隅へと手渡し、出て行くところであった。
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「ところで…」
研究室の最後に出て行く少年が、魁斗を振り返って、真っ直ぐに見据えてきた。
「僕の居場所は、どうやって突き止めたんです?」
と、大きな瞳をさらに大きく見開いて、魁斗の瞳を見上げてくる少年に、魁斗はわずかながらの恐怖心を抱いた。畏怖という方が近いのかもしれない。
「ん?」
少年は魁斗の半分しかない身の丈を十分に伸ばすようにして背伸びをし、
「ですから、どんな方法で僕の居場所を特定できたんですか?」
魁斗は一瞬で全身が総毛立つのを感じた。
しかし、魁斗が返答しようとした瞬間、外に置いてあった例のいわくつきの車がクラクションを鳴らした。いわくつきの車は、72時間に1回は魁斗が清めないといけないことになっているので、痺れを切らせた車が合図をしたようである。
「魁斗お兄さん、またお話ししましょうね♪」
6歳の少年は満面の笑みで魁斗を迎え、先に出て行った祖父と母親の後を楽しげに追いかけていった。
その少年の足取りより軽快に、魁斗の腹の虫が鳴り始めた。
「腹………減った………」
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捏造探偵 0 月冴(つきさゆ) @Tsukisayu
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