エピローグ 恋、はじめました。

 バスが揺れる。見知った街中からだんだん離れ、高速道路に乗ってやっと到着したのは、大きなグラウンドだった。

 インターハイに出場するサッカー部の応援に、学校が有志を募ってM県にまで応援に来たのだ。今回は学校の応援団がサッカー部に行けることになったので、わたしたちもそれに混ぜてもらう形で、一緒に参加することになったんだ。


「すごいね、滝くん二年連続インハイにレギュラーで出場するんでしょう!?」

「今回はスカウトの人も来てるんだって!」

「すっごい!!」


 わたしたちと同じく応援団に混ざっている滝くんのファンの声はけたたましく、思わず沙羅ちゃんを見たけれど、沙羅ちゃんは苦笑して首を振っているだけだった。あの子たちに目を付けられないよう、わたしと蝉川くんの件で滝くんと交流を持つようになった今でも、沙羅ちゃんと滝くんはよきクラスメイトのままだった。


「沙羅ちゃん、いいの?」

「別にいいよー。こういうのって、私ひとりでどうこうできるものでもないし。それより、泉ちゃんは蝉川くんに渡したいものあるんでしょう? ちゃんと持ってきてる?」

「うん……持ってきてるけど、渡せるタイミングあるのかなあ」


 わたしは持ってきている鞄をぎゅっと抱き締めながら背中を丸める。持ってきているのは神社で買ってきた【必勝祈願】のお守り。ふたつも持ってきてもしょうがないよねと、ひとつだけ持ってきた。

 ゴミ捨て場で、するつもりもなかった告白をしてから、インターハイまで、特にそれらしいことはなかった。

 夏休みに入っちゃったんだから、学校には用事がないと行かない。蝉川くんはサッカー部の練習があるし、わたしはわたしで夏休みの貸し出し期間中の当番に出ていたけれど、全然会わなかった。

 ただ好きと言っただけ。向こうもそうだったと答えただけ。

 そもそもわたしには「付き合ってください」と言えるような度胸はなかったし、試合前だから追い込みの練習が増えて忙しい蝉川くんにそれ以上なにも言うことはできずに、今日を迎えてしまった。

 辿り着いたグラウンドの周りも、応援に来た人や物見遊山でサッカーを見に来た人、地元テレビ局やスポーツ紙のカメラを持った人たちで溢れている。それらを横目で見ながら、わたしはきょろきょろとした。

 まだ試合までに時間があるけれど、それまでにお守りを渡さないと意味がない。

 絵美ちゃんはわたしの挙動不審さに笑いながら肩を叩く。


「大丈夫だって。お守り渡すくらいのタイミングはあるからさ。今はアップのためにグラウンドの周りを走ってる頃じゃないかな。もうそろそろ戻ってくるから、そのときにでも渡しなよ」


 新聞部でいつに取材に行けば大丈夫か事前に打ち合わせしているんだろう。絵美ちゃんは本当に詳しい。わたしは頷きながら待っていたら、だんだん見慣れたユニフォームの集団が走ってくるのが見えてきた。

 知っている顔も多いけれど、試合前のせいなのか集中していて、皆顔が真剣そのものだ。その空気を壊してしまいそうで、なかなか声をかけづらい。わたしがひるんでいる間に、絵美ちゃんがぐいっとわたしの腕を取って、その集団のほうへと歩いて行った。


「はあい、新聞部でーす。試合前に突撃インタビューに来ましたんでよろしくお願いしまーす」

「え、絵美ちゃんってば……!」


 新聞部がぎょろっとこちらに視線を合わせるのに、わたしは必死で唇を噛んで悲鳴をこらえる。怖い怖い怖い、試合前のピリピリしている男子、本当に怖いっ。

 わたしがプルプルと震えている中、見慣れた金髪が揺れてひょっこりと顔を出した。


「あーっ、泉! 応援来てくれたんだ。わざわざM県までありがとうなっ」

「えっと……うん、言わなくってごめんなさい……応援団に入れたから、そこでバスに乗せてもらって……」

「そっかそっか」


 蝉川くんがにこにこしながら頷くのに、わたしはたまりかねて縮こまる中、絵美ちゃんはキャプテンさんにインタビューに行く前に、どんと背中を大きく叩いた。

 向こうのほうでは苦笑して沙羅ちゃんが待っている。多分本当は絵美ちゃんに着いていって、ひと言くらい滝くんに応援の言葉をかけたいところだろうけど、これだけギャラリーたくさんいる上に、滝くんのファンの子たちが黄色い声上げている中で行くのは難しいんだろう。さっきから滝くんに対して黄色い声が上がっているけれど、それを当の本人は無視している。

 絵美ちゃんはインタビュー用にボイスレコーダーのスイッチを入れながらすれ違い様にわたしに言う。


「ほら、沙羅と違ってあんたはちゃんと言えるんだから、ちゃんと言うの。あと渡すもんちゃんと渡しなさい。もうすぐ試合なんだから」

「は、はい……」


 そのままキャプテンさんと話し込みはじめた絵美ちゃんをよそに、わたしは縮こまりながら蝉川くんと向かい合っていた。


「えっと……この間神社に行ってきて、買ってきたの……」

「へえ?」


 きょとんとしながら蝉川くんがこちらに向いてくるのに縮こまる。

 も、もう時間だってないし、監督さんやマネージャーさんも時間を気にしはじめたし、わたしひとりがうじうじしていてもしょうがない。

 意を決して鞄に手を突っ込むと、お守りを紙袋ごと差し出した。


「あ、あの……これ……受け取って……!」

「えっ……これってお守り?」


 これ以上は恥ずかし過ぎて、わたしはしゃべることもできずに首を縦に振ること以外できなかった。

 ただ蝉川くんは、わたしの差し出したお守りを受け取ると、満面の笑みを浮かべるのだ。


「ありがとうな、絶対に勝つ」

「う、うん……」


 途端にサッカー部から口笛が飛び、わたしはますますいたたまれなくなって、そのまま沙羅ちゃんのほうへと逃げ出してしまった。こちらに蝉川くんはにこにこしながら手を振ってるものの、わたしは小さく振り返すことしかできなかった。

 取材も済んだ絵美ちゃんは、さっさとわたしたちのほうに戻ってきて、一緒に応援団のほうへと移動する。

 絵美ちゃんは意外そうな顔でわたしのほうを見ていた。


「あらら、いつの間に泉、蝉川から呼び捨てされるようになってたの?」

「えっと……ちょっと前から……」

「ふうん。あんたも名前で呼んであげればいいのに。ちょっと前までは「レンくん」「レンくん」と呼んでて、最初はいったいどんな罰ゲームさせられてるんだろうと思ってたけど、見てたらなあんか微笑ましかったからねえ」

「やめて絵美ちゃん。それはわたしの黒歴史」


 いたたまれなくなって、タオルでボスンと顔を隠す。日当たりがいいから、試合観戦中は絶対にタオルを首から外すなと言われている。

 今日も炎天下だから、観戦中もペットボトルのドリンクは欠かせない。この中で試合に出るんだから、サッカー部の皆も大変だ。

 ……毎朝毎朝、それこそテスト期間中以外はずっと練習してたんだから。勝って欲しいなあ。お守りが効くとか効かないとか関係なく。

 わたしたちがそれぞれ席に座り、応援団の人に応援の説明を受けている間に、ホイッスルが鳴り響く。

 試合がはじまったんだ。


****


 よりによって初戦で去年の優勝校に当たったもんだから、いったいどうなるのかなんて、最後の最後まで試合の行方はわからなかった。最終的にはPK戦になってしまったけれど、結果的に軍配が上がったのはうちの学校だった。

 声が枯れるまで応援して、点が入ったときは一生懸命手を叩いて応援していたので、最後の最後に勝ったときは、皆で抱き合って喜び合っていた。

 いっつもネット越しだったから、試合がどうなっているのかわかりづらかったけれど、今日はグラウンドで少し高めの位置から応援できたのもよかった。上から見たほうが、ちょっと遠くって応援が届いているのかわからないけれど、試合の様子はよく見える。

 蝉川くんはボールを繋ぐポジションで、ストライカーの滝くんまでボールを届ける役割だけれど、あっちこっちからやってくる妨害を綺麗に避けてボールを繋いでいくのは、見ながらハラハラしていた。

 いつもお調子者で、その場を明るくする彼しか知らなかったわたしにとって、こんなに格好いい彼のことを、誰も知らないんだなあと、ほんのりと寂しく思ってしまった。

 選手は宿を取っているからいいけれど、バスで応援に来た組はそろそろ帰らないといけない。帰り際に少しでも声をかけられないかなと思っていたら、試合が終わったサッカー部がぞろぞろとグラウンド裏に出てきたのが見えた。

 わたしがそわそわしているのに、沙羅ちゃんは苦笑して言う。


「ちょっとくらいだったら大丈夫だよ。バスがそろそろ動くってなったら連絡するから、早く言っておいで」

「うん……あの……沙羅ちゃんは大丈夫?」


 向こうのほうでいつもの仏頂面で滝くんが蝉川くんとなにやらしゃべっているのが見えたので、わたしは言ってみる。途端に沙羅ちゃんは顔を真っ赤にして首を横に振る。


「こんなところで声をかけたら、きっと迷惑になっちゃうから、止めとく」

「そう? じゃあちょっと行ってくるね」


 人気者を好きになると、大変だなあ。わたしはそう思いながら、走っていった。


「せ、蝉川くん……!」


 震える声で呼んだら、蝉川くんはぱっとこちらを向いて、他のサッカー部員に手を振ってこっちまで走ってきた。


「おう、勝ったぞ!」

「あ、あの……おめでとう! すっごく、本当にすっごくって……!」


 一生懸命褒めようとしているのに、興奮しているのかちっとも言葉にならない。わたしがふがふがとしていると、蝉川くんはすっと笑顔になり、わたしの頭を掻き混ぜた。

 今、汗かいてるから、頭なんて触って欲しくないのに。


「あ、あの……! わたし、汗かいてるから……!」

「いや、俺もさっきまで試合してたんだから、汗無茶苦茶かいてんぞ。まだシャワーも浴びてねえし」

「べ、別に気にしてないけど、でも……」

「うん、ありがとな。泉。見に来てんのに格好悪いところなんて見せられなかったし」


 そうしみじみと言う蝉川くんに、わたしはされるがままになりながら、きょとんとする。

 本当に見ているだけだったのに、それだけでも蝉川くんの力になれてたんだったら、それは嬉しいことだな。そう思っていたら、なんとなく口に出ていた。


「あ、あの……もし、次も勝てたら、わたしでよかったら、なにかひとつくらいは叶えるよ?」

「え」


 そこで蝉川くんは止まる。そしてきょろきょろと辺りを見回してから、もう一度わたしのほうに視線を向ける。

 え……わたし、なにか変なこと言ったっけ。そう思っていたら、さっきまでいつもよりも大人っぽい顔をしていた蝉川くんは、どっと顔を火照らせていた。


「ばっ……馬鹿……っ、お前、本当に迂闊というかなんというか……もうちょっと自分を大事に……」

「え? 蝉川くん、わたしに変なことするの?」

「し、しないけど……! あーうーうー……」


 蝉川くんは口をふがふがとさせたあと、観念したようにひとつだけ言う。


「……じゃあ、せめて。次の試合で勝ったら、その蝉川くんってもう辞めろよ。前みたいにレンでいいよ」

「……え」

「一応さ、俺らも付き合ってるんだし……俺も試合のせいで、なかなかそれっぽいことできないけどさ。なんか他人行儀みたいでやだ」

「え……」


 わたしが固まっているのに、蝉川くんはわたしの目の前でひらひらと手を振る。


「おーい、泉?」

「……えっと、わたしたち、付き合っているってこと、なんだよね?」

「この間、告白したじゃん!」


 ゴミ捨て場のあれを思い出して、わたしはますますいたたまれなくなって、縮こまる。

 ちゃんと、伝わってたんだと、今更ながら思いながら、小さく頷いた。


「わ……かった……名前、練習しておく」

「照れるなよぉ、俺だって泉にそんな顔されたら、こっちにも移るからぁ」


 ふたり揃って、顔を真っ赤にさせて、なにをやってるんだろうと思っていたら、流れを断ち切るようにわたしのスマホが鳴った。

 メッセージアプリで、沙羅ちゃんから【そろそろバス出発するよ】と入っていたので、我に返って蝉川くんに頭を下げる。


「ご、ごめん。もうすぐバス出ちゃうから!」

「お、おう。泉。明日な」


 明日、試合に勝ったら名前を呼ばないといけないんだ。

 ……勝って欲しいなと思うけれど、ちゃんと名前を呼ぶことができるのかな。わたしは蝉川くんに小さく手を振ってから、バスの停まっている駐車場まで走っていった。


****


 インターハイ二日目。その日は負ければおしまい、勝手も二連戦と慌ただしい日だ。

 わたしはそわそわとしながら、観戦席に座る。今回は試合前に蝉川くんに会うこともできず、ただ沙羅ちゃんと絵美ちゃんと一緒に試合開始前を待つことしかできない。

 応援団の人たちに「今回の試合は重要だから、昨日以上に声を上げて!」「負けそうになっても絶対に溜息つかないで!」と諸注意をされながら、わたしは小さくなって座っている。

 隣に座っている沙羅ちゃんが、心配そうに声をかけてくれる。


「泉ちゃん、大丈夫? まだ試合はじまってもいないんだけど」

「う、うん……勝つよね。勝つよね……?」

「んー、去年優勝校に勝ってるんだし、弾みは付いていると思うよ。ただ、インターハイにまで上がってきた学校で弱いところなんていないから。人事を尽くした以上は、あとは天命を待つしかないでしょ」


 そこでドライな分析をする絵美ちゃんに、沙羅ちゃんは「絵美ちゃんっ……!」と悲鳴を上げるので、わたしは「ははは……」と乾いた声を上げる。

 やがて、選手は入場してきた。ホイッスルが鳴り響いて、いよいよ試合がはじまる。

 どうも先行を取れたのはうちの学校らしいんだけれど、どうも昨日よりも動きがぎこちないような気がするのに、わたしは「あれ?」と言いながらグラウンドを見下ろす。


「あちゃあ……うちの学校とは相性が悪いところみたいだね。相手校」


 絵美ちゃんがそう呟くのに、わたしはポカンとした顔で彼女を見る。絵美ちゃんは今までの取材メモを見ながら言う。


「うちの学校は機動力……パス回しとかボール運びが速いって意味ね……が物を言うチーム編成なんだけれど、対戦校は守備力が固いんだよ。優勝校はどちらかというとパワータイプ、フォワードにボールを集めて、点をどんどん取るってスタイルだったから、相手校からボールを奪えたら反撃もできたんだけどね。昨日と同じ戦術は使えないって話……ええっと、意味わかる?」


 絵美ちゃんが聞いてくれて、わたしは「なんとなく……」と頷いた。全部は意味がわからなかったけど、要はボールをゴールまで運ぶことができないってことなんだろう。

 応援団が「声出してー!!」と号令をかけるので、わたしたちは必死で「頑張れー!!」と声を上げるものの、試合運びはなかなか上手くいかない。

 とうとう前半はどちらも攻めきれずに、0対0のまま終わってしまった。

 後半に入ってからも、一進一退の試合運びで、どちらもなかなかゴールまで相手を切り崩すことができずにやきもきする展開が続く。

 やがて、うちの学校の監督が審判さんになにかしら言いに行ったと思ったら、選手交代のハンドサインが出た。


「え……?」


 交代させられたのは、蝉川くんだったのだ。

 わたしがおろおろしながら見下ろす。ここからだったら、彼がどんな顔でベンチに入っていくのかが見えない。交替で出て行った人は、たしか朝練で見たことがある人だったと思う。

 わたしがショックを受けているせいか、沙羅ちゃんはわたしの肩に抱き着きながら言う。


「多分、今の状況変えるために交代したのであって、蝉川くんが悪い訳じゃないと思うよ?」

「うん……わかってる……うん」

「大丈夫だって、試合の流れが変わったら、戻ってくるでしょ」


 絵美ちゃんにもそうフォローされたけれど、それでもわたしの意識はベンチのほうに向いてしまって、昨日ほど真面目に試合を見ていられなかった。

 結局試合自体には勝てたけれど、ベンチに引っ込められた蝉川くんが戻ってくることはなかった。

 皆観客席から移動しつつ、「次の試合は昼から……!」と応援団の説明を聞き、お弁当をもらったものの、わたしは落ち着かずにいる。

 今、蝉川くんはどうしているんだろう。試合に引っ込められるところを見たけど……うーんと、うーんと。

 ひとりでそわそわしていたら、「こら、泉」と絵美ちゃんから声をかけられる。


「お昼をちゃっちゃか済ませたら探しに行けばいいでしょ。でも試合が終わったあとの運動部って、本当に気が立ってるから。そこで行かないほうがいいよ」

「うん……でも」

「まあ、心配な気もわかるけどね。ここで下手に刺激しないほうがいいでしょ。無難なこと言っておきなよ」

「うん……」


 絵美ちゃんはそう言ってくれるものの、わたしはどうすればいいのかわからない。

 慰めるのも変だし、でも声をどうかければいいのか……。でも。ひとりでぐるぐる悩みながら、お弁当を食べる。

 出来合いのお弁当はご飯が多い上に脂っこい。おまけに味付けも濃いから、半分食べたところでお腹いっぱいになってしまい、それ以上食べきれなかった。

 もったいないなと思いながらも、夏場に長いこと放置する訳にもいかないしと、お弁当箱を持って蝉川くんを探しに出かけることにした。

 サッカー部はどこで食事を摂っているんだろう。お弁当とか差し入れとか配られているのかな。そう思いながらグラウンドの周りを歩いていたら、うちの学校のロゴの入ったTシャツとジャージを穿いている子が目に入った。たしかサッカー部のマネージャーさんだ。


「あ、あの……すみません」


 わたしが声をかけたら、彼女は驚いたように振り返った。どうもドリンクをつくって運んでいたらしく、手にはドリンクボトルが大量にあるので、慌てて半分持つ。

 彼女は「ありがとうございます、うちの応援ですか?」と手伝わせてくれた。


「は、はい……蝉川くん、大丈夫ですか?」

「ああー。蝉川くんの」


 そう言って彼女がわたしを見てにこにこと笑うので、わたしは肩をピンっと跳ねさせる。蝉川くんのって、なにがだろう。彼女は続ける。


「蝉川くんは元気だよ」

「あ、あの……今日の試合、蝉川くんは引っ込められたんですけど……」

「大丈夫。ベンチに下げられたから戦力外通知されたって、スポーツしてない人だったら誤解しがちなんだけれど、それはないから。単純に、今回は守備が固過ぎるチームだったから、突破力のある選手に出てもらっただけ。攻撃タイプのチームだったら、蝉川くんみたいな選手じゃなかったら小回りは効かないし、相手を翻弄させられるんだけどね。ああ……ごめんなさい。サッカーのこと、わかりますか?」

「え、ええっと……大丈夫、です。はい」

「でも次の試合では活躍してもらうから。力を中途半端にしか発揮できてないせいで、本人やる気を持て余してるから、話を聞いてあげてほしいなあ」


 マネージャーさんにそう言われて、わたしは頷いていたところで、サッカー部のところに辿り着いた。


「はいお待たせー。ドリンクボトル追加したから取りに来てねー。熱中症になるから、ちゃんと取ってよ」


 途端にお弁当を広げていたサッカー部員たちが「あざーっす」と言いながら次々とドリンクボトルを取りに来る。でも、見慣れた金髪の男子が見当たらない。

 あれ、蝉川くんは? わたしがそう思ってきょろきょろしていたら、「間宮?」とぶっきらぼうな声を投げかけられる。

 滝くんは怪訝な顔でこちらを見下ろすので、わたしは慌てて「は、はい……!」とドリンクボトルを渡すと、彼は「どうも」と言いながら受け取る。


「えっと……マネージャーさんが大変そうだったので、手伝ってました……あの、蝉川くんは?」

「ども。蓮太は今、力を持て余して走ってる。次の試合はあいつと相性いいチームだから、全部出ると思うけど。多分間宮の言うことだったら聞くと思うから、はしゃぎ過ぎだって言ってやってくれ」

「えっと、うん。ありがとう」


 わたしは他の選手さんたちにもドリンクボトルを渡してから、マネージャーさんが乾いたタオルと残ったドリンクボトルを差し出してくれた。


「汗かき過ぎたら下手に体を冷やしても、コンディションによくないから、持って行ってあげて」

「あ、はい……ありがとうございます!」


 私はお弁当と一緒に持って、蝉川くんの走っていると教えてくれたグラウンドの近くを探しはじめた。

 蝉の鳴き声がけたたましい。直射日光で焼けているグラウンドの壁面にへばりついて大丈夫なのかなと思っていたら、リズミカルな足音が聞こえてきた。

 見慣れた金髪が走ってきた。


「あっ、泉……!!」


 こっちにピョーンピョーンと跳びながら寄ってきたので、わたしはびっくりして肩を跳ねさせる。汗の匂いが強く、慌ててタオルとドリンクボトルを一緒に押し付ける。


「あ、汗はかき過ぎてもよくないって、マネージャーさんから聞いたから……!」

「おう、サンキュな」

「う、うん……」


 てっきりもっと落ち込んでいると思っていたのに、思っている以上に元気どころか、元気が有り余っている蝉川くんに、わたしはただ目を白黒としていた。

 普段図書館で見ていた彼は、あくまで彼のいち側面だったんだなあと思わずにはいられなかった。

 近くのベンチに座り、ドリンクボトルを傾けている蝉川くんを眺めていたら、蝉川くんは私が半分残したお弁当を目ざとく見つけた。


「あっ……! もったいない! これ泉のぶんか?」

「えっと……お腹いっぱいになっちゃってどうしようと思って持ち歩いてた」

「いらないならくれ。正直腹八分目にもなってないからさあ」

「えっと……食べ過ぎて怒られない? もっとカロリーのこと気にしろって」

「いや全然。むしろ燃費が悪過ぎるからもっと食えって言われてる。今日はまだもう一試合残してるのに、中途半端にしか全力出してないから、どうにも力が有り余ってる感じがしてさあ……だからちょっとそこを一周してきてたんだし」

「ちょっと……なんだ」


 持久走で走るような距離が「ちょっと」なんて、本当にすごいなあとしみじみと思っていたら、蝉川くんはさっさとわたしからお弁当を取り上げて、それをもりもりと食べはじめた。

 わたしはそれを見ながら「あの……」と聞くと、蝉川くんはちらっとこちらを見てきた。


「あの、わたし、名前で呼んだほうがいいのかな。ほら、試合で勝ったし……で、でも。余計なことだったらどうしようと思って」

「んー、相変わらず泉は余計なことで悩むなあ」


 そうばっさりと切られて、わたしはがっくりと肩を落としてしまう。だって、わたしの前で試合に勝つって言っていた手前だから、もっと落ち込んだりしているんじゃないかって思ったんだけど、蝉川くんちっとも落ち込んでないどころか、監督さんの判断にあっさりと頷いているんだもの。

 わたしがごにょごにょと思っている間に、蝉川くんはざっくりと自分の意見を並べる。


「あれはうちの監督の戦術だろ。単純に俺が全力出しきってないから、欲求不満なままってだけで」


 ベンチから勢いを付けて立ち上げると、こちらににかっと笑って振り返る。


「次の試合では活躍するから、その試合に勝ってからでいいだろ?」

「えっと……うん……」

「そもそも泉は余計なこと気にし過ぎだから、もうちょっと俺を信じてくれよ」

「し、信じてない訳じゃ、ないんだよ……た、ただ……わたしの自信のなさを、あなたのせいには、したくないだけで」


 名前を呼びたい。恥ずかしい。でも呼んでと言われているし、わたしもちゃんと呼んでみたい。

 本当に肝の小さなわたしには、好きな人の名前を呼ぶことだって、一大事業なんだ。わたしはしゅんとしていたら、蝉川くんは肩をぽんと叩いた。


「俺に勝てって必勝祈願くれたじゃん? それでうちの学校もずっと勝ち続けてるじゃん? もうちょっと俺のことも、お前のことも信じてみろって」


 そう言っていると、「蝉川くーん!?」とマネージャーさんの声。ま、まずい。もうそろそろ合同のウォーミングアップの時間なのかも。

 わたしは立ち上がって、「ご、ごめんなさい! 休憩時間奪っちゃって!」とひたすら謝ると、蝉川くんはからからと笑う。


「彼女が必死で応援に来てくれたのは、嬉しいに決まってんだろ? じゃあ待ってろって。絶対に勝ってくるから!」


 そう言って、タオルを首にかけて、ドリンクボトルを持って走り出していく。

 その場には、強い汗の匂いだけが残された。わたしはその中で、ただ頬を抑え込んでいた。やけに頭が火照っているような気がするのは、夏の直射日光だけではないような気がする。

 まだ、わたしの記憶がなくなる前のように、見えないからって距離感を詰めて付き合うことなんてできないし、あんなに気安く名前なんて呼べないのに。それでも蝉川くんはわたしには怖いって思うハードルも簡単に飛び越えてしまう。

 サッカーのことは相変わらず全部わかっている訳ではないけれど、それでも自信満々で、辺りに元気を振り撒いている。

 本当に……本当にすごいなあ。


****


 わたしが応援団のほうに戻ったら、沙羅ちゃんと絵美ちゃんが出迎えてくれた。


「どうだった? 蝉川くん、また余計なこと言わなかった?」

「い、言われてないよ。蝉川くん、本当になにもなかったんだよ?」

「でも。泉ちゃん顔が真っ赤だから」


 沙羅ちゃんにそう指摘されてしまい、わたしは思わず頬に手を当てる。


「……ううん、ただ、格好よかったから」


 そうぼそぼそと言うと、沙羅ちゃんと絵美ちゃんは顔を見合わせてしまった。

 沙羅ちゃんが渋い顔をする中、絵美ちゃんはにやにやと笑っている。


「ほうほう、惚れた弱みって奴だねえ。若いねえ」

「え、絵美ちゃんっ! 本当に、わたしの心配し過ぎだったから……次の試合、楽しみなんだ」

「ふうん……まあ、たしかに今回はうちの学校とも上手い具合に噛み合うチーム編成だから、蝉川も活躍するんじゃないかなあ。うーん、私も今の内にヒーローインタビューしたほうがいいかな? あー、でも今行ったらチームのやる気に水を差しちゃうもんなあ」


 絵美ちゃんがすっかりと新聞記者顔負けの新聞部の顔になってしまっている中でも、わたしの顔の火照りは抑えることができずにいた。

 わたしがぽっぽと顔を火照らせている中、沙羅ちゃんはやんわりと言う。


「と、とにかく、私たちも早く席に戻ろう。次の対戦校もすごいところみたいだし、応援頑張らないと」

「頑張るのは選手なんだけれど、そうだねえ」


 沙羅ちゃんと絵美ちゃんがそう言っている間に、応援団の人が皆に声をかけているのが目に入った。


「それじゃあ、次の試合が入りますので入場しまーす! 応援の声出しお願いします!」


 日がさっきよりも高くなり、空もつるりとした青空で、雲ひとつ見当たらない。そんな炎天下の中試合なのだから、きっと選手は大変だ。

 わたしたちもペットボトル片手に応援しないとと、応援団の諸注意を聞きながら、再びグラウンドの観客席へと向かったのだ。

 席に着いてから、絵美ちゃんはメモ帳に目を通す。


「次の学校はうちとも相性がいいね。攻撃特化のチームだから、余計にボールとボールの繋ぎが重要になる。それこそ蝉川のポジションが一番重要になるね……ええっと、泉と沙羅はサッカーのルールどこまでわかってるんだっけ?」

「ええっと……点を取るのがストライカーで、攻撃に入るのがフォワード、守備がディフェンス、ボールを中継するのがミッドフィルダーで、ゴールを守っているのが、ゴールキーパーだっけ……?」


 サッカーの場合は、ゴールに点を入れる人、ゴールを守る人が目立ってしまうから、サッカーファンじゃなかったらどうしても中継点のほうにまで視界が入らない。

 でも蝉川くんのポジションはその中継点なのだから、どうしても視界で追いかけてしまうし、そのおかげでサッカーを見る目も変わったように思える。

 わたしがごにょごにょと言っていると、絵美ちゃんはしみじみと「愛だねえ」と茶化す。

 一方沙羅ちゃんはルールを全部把握している訳じゃないから、きょとんとして言う。


「ええっと……うちの学校、防御特化のチームは不得手で、どうして攻撃特化のチームには強いの? 普通、攻撃特化のチームの場合のほうが、強敵そうだし、防御特化のチームのほうが、ボールさえ取ってしまったらなんとかなりそうだと思うんだけど……?」

「うーんと。どう説明すればいいかな。防御特化のチームの場合、それぞれの選手にマークが付いてしまって、動きが分断されてしまって、ゴールまでボールが回せないんだけど……そうだねえ。例えば野外炊飯で薪を燃やす場合って、薪に直接火を付けないよね?」


 絵美ちゃんはどうにかサッカーのわからない沙羅ちゃんにも説明しようと、たとえ話に苦戦している。一応学校の合宿で何回かは体験しているから、そっちのほうはわかったので、沙羅ちゃんは「うん、そうだね」と頷いた。


「それって、薪に直接火を付けても、火が広がらないからなんだよね。だから先に火を広げるために、新聞紙だったり小枝だったりを加えないといけない。でも新聞紙も小枝もすぐに燃え尽きてしまうから、長いこと火は保てない。点を取るとなったら、敵陣地を突破して、ゴールポスト前でストライカーにボールを回さなかったら点を入れられない。うちの学校は機動力中心だから、攻撃的なチームの場合は翻弄できるけれど、それぞれの動きを分断されちゃうのには弱いんだよ。いくらストライカーだけすごくってもそれだけじゃ点が取れない、キーパーやディフェンスだけじゃそもそも点は入れられない、ミッドフィルダーはその間を繋がないといけないポジションなんだよね」

「ああ……だから分断されないようにしないといけなかったんだ」

「うん、そういうこと。でも今回はチーム編成も変わらないと思うよ。まあ……試合って、今までの練習だけじゃなくって、いろんな要素が絡んでくるから、ひとつの要素だけ拾ってこうだって一概には言えないんだけどね」


 そうこう言っている間に、選手が入場してきた。上から見下ろすけれど、その中にはたしかに蝉川くんもいた。手を振っても見えないだろうから、代わりに首にかけたタオルをぎゅっと握りしめる。

 勝って欲しいなんてプレッシャーをかけることはできないけれど、負けないで欲しい。

 手を組んで祈っている間に、ホイッスルが鳴り響いた。

 分厚い歓声と一緒に、試合がはじまったのだ。


****


 前回の優勝校に勝ったからと言って、インターハイに来た学校で弱いところなんかいない。

 絵美ちゃんが言っていた通り、試合は一進一退を極まっていた。

 また、PK戦に入ってしまったら、今回は分が悪い。もうさっきの試合が原因で消耗戦を演じてしまったから、うちのチームではPK戦に打ち勝てるだけの地力が残ってないからだ。

 タイマーを見たら、残り時間はたったの3分。その間も、フィールドには恐ろしいスピードでボールが跳んでいっている。うちの学校も相手の学校もボールの奪い合いを繰り返している中、ボールの奪い合いを制したのは。

 蝉川くんだった。

 わたしはとうとうタオルを振り回して、声が枯れるまで応援していた。声援の声が分厚い。わたしの声なんて届かないかもしれないけれど、それでも叫ばずにはいられなかった。


「頑張れ!」「そのままゴール!」

 「行けぇぇぇぇぇ!!」


 残り時間が、着々と刻まれていく。

 試合終了のホイッスルが鳴り響いたとき、わたしはタオルを握りしめたまま、とうとう泣き出してしまっていた。

 皆がフィールドの中央に集まる中、中央に向かう中、ちらっと見慣れた金髪がこちらのほうを見ると、にっという顔を見せたような気がした。

 ここからじゃフィールドにいる選手の表情なんてよくわからない。きっとフィールドからだって、誰がどこにいるのかなんてわからないはずなのに。

 わたしは試合が終わったのを見てから、そろそろと階段を降りて、応援団の人に声をかけた。


「あの、バスの時間までどれくらいですか?」

「あと三十分で出ますよ。お手洗いはそれまでに済ませてくださいね」

「は、はい……!」


 わたしは沙羅ちゃんと絵美ちゃんのほうを見上げると、ふたり揃って握りこぶしをつくって見せた。


「行ってらっしゃい」

「頑張って」

「う、うん……!」


 階段を降りて、そのままグラウンド内部に入ったものの。

 選手はどこにいるんだろう。次の試合の学校とすれ違いながら、わたしはきょろきょろと辺りを見回す。


「あれ、蝉川くんの?」


 そう声をかけてくれたのは、お昼のときに声をかけてくれたマネージャーさんだ。持っているのは大量の乾いたタオルだ。どこかで洗ってたんだろうか。わたしは「手伝いますか?」と言うと、彼女は「これくらいだったら大丈夫」とやんわりと断った。

 ふたりで歩いて行った先は、ちょうど選手の更衣室前だった。


「蝉川くんに用事? バスの時間は大丈夫?」

「だ、いじょうぶです……あの、サッカー部は?」

「元気が余り過ぎて心配。明日もあるんだから、興奮してないでさっさと着替えて宿に戻ってくれるといいんだけど」

「そ、うですか……」


 マネージャーさんはさっさと更衣室に「遊んでないで早く着替えて荷物空けて!」と大声で怒鳴ったところで、ようやく出てきた。

 シャワーを浴びたらしく、さっきサッカー部のほうに顔を出したときよりもすっきりとしたシャンプーの匂いが漂っている。一部は頭がまだ濡れているのを「ちゃんと乾かすの!」と悲鳴を上げながらマネージャーさんが走っていく中、わたしはようやく彼を見つけた。


「あ……!」

「おお、泉! ほら、言っただろ。勝った勝った」


 ピースサインをしてくるものだから、わたしは顔を真っ赤にして、背筋を伸ばす。

 言わないと。ちゃんと、お祝いしないと。言葉がはくはくとなる中、ようやく言葉を絞り出す。


「お、めでとう……レンくん」


 その言葉に、一瞬レンくんは目を丸くした。

 サッカー部員から口笛が響き、マネージャーさんが「茶化さないの!」とスパンとタオルを投げつけるのが耳に入り、居たたまれない。

 ただ、レンくんは顔に満面の笑みを浮かべて、わたしの肩に手を置いた。


「ああ~! やっと言ってくれた! それ、それがもう一度聞きたかったんだよ!」


 そう言ってくしゃくしゃに笑い出すのだから、わたしはただ目を白黒として彼を見ていた。

 わたしが彼のことを忘れていたとき、いったい彼はどんな顔でわたしを見ていたのだろうと、ここに来てやっと思い至った。

 寂しそうな顔をしていたんだろうか。悲しそうな顔をさせてしまったんだろうか。それとも。こんなに毎日毎日、嬉しそうな顔をして、わたしの隣にいてくれたんだろうか。

 ゴミ捨て場で、記憶を取り戻したときに、彼がポロポロと泣いてしまったことを思い出す。

 名前を呼んで、顔を見て、忘れてしまっても、結局はまた好きになる。

 この人には、ずっとこんな顔をしていて欲しいなあと、ついつい思ってしまったんだ。


「これからも、よろしくな。泉」


 そのまま、わたしは抱き締められる。レンくんは大きくないけれど、着替えたばかりのTシャツに顔がぶつかるほどには、身長差がある。

 またも口笛が聞こえる中、わたしは目を白黒とさせながらも、おずおずと彼のTシャツを掴んでいた。


「……うん、レンくん」


 蝉の鳴き声が、ぐわんぐわんとこだましている。

 まだ、わたしたちの夏は終わってはいない。

 わたしたちのまだまだ青い恋は、はじまったばかりだ。


<了>

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好きな人がいることにした。 石田空 @soraisida

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