小説・ガンプラ・沖縄旅行

烏川 ハル

小学生の頃……

   

 アニメ新世紀宣言。

 そんな素敵なイベントが開かれていた、と知ったのは、のちに、アニメ雑誌を読むようになってからだった。

 では1981年2月22日。

 小学生の私は何をしていたのか?

 真っ先に思ったのが「ガンプラを作って遊んでいたのだろう」だった。


 そもそも機動戦士ガンダムは、1979年から1980年のアニメ。70年代スーパーロボットの時代に生まれた番組だ。

 当時は私もスーパーロボット派の子供。前年・前々年のダイターン3やザンボット3は、トラウマとなる場面がありながらも、夢中で楽しんだ。合体変形玩具でも遊んだ。

 一方、ガンダムは「ちょっと見たけど、ちゃんと見た記憶はない」という状態。

 ところが、ブームになったあの再放送。今度はテレビにかじりつくように見ていた。最終回なんて、テレビの前にテープレコーダーを置いてしたくらいだ(まだ家庭用ビデオもない頃)。

 ブームに乗ったゲンキンな子供? いや幼少期の一年は大きいので、ちょうどガンダムを楽しめるくらいに成長したのだと思いたい。


 なお、同じく再放送と映画化でヒットした宇宙戦艦ヤマト。私がヤマトを知ったのは、親戚から「中高生でも楽しめるアニメ映画がある」と教えられたから。つまり途中からブームに乗っかった形だった。

 一方、ガンダム。映画化された時点で好きだったはず。「よくわからないけどアニメだから観に行く」ではなく、はっきりと「ガンダムを観に行く!」という意志で映画館へ行ったのだから。

 それでも、まだ『あの日』には間に合わない子供だったのだ。


 朝日ソノラマ文庫から出版されていた小説版も、むさぼるように読んだ。

 まだ『ノベライズ』という概念も知らず、ガンダムの監督が書いたから原作だ、と思っていた。

 正直「子供には難しい」、いや、おませな子供ガキの心をくすぐる描写もたくさん。それはそれで「やっぱり凄い!」と、夢中になったものだった。

 そうやって小説版ガンダムを読んでいたのは、最初の劇場版が公開された後だったはず。だから、これも『あの日』ではなかったのだろう。


 ならばガンプラだ。

 最初に作ったのは、ガンダムとザク。戦わせて遊んだのを覚えている。

 300円だから、当時としても安いオモチャ。大人ならば「同じザクを買って一個小隊を再現!」も可能な価格設定だ。

 少し興味あったが、私には出来なかった。100円のヤマトのシリーズでは同型の敵艦を複数買ったこともあったが、100円と300円の差は子供には大きかったようだ。

 まあ、そんな余裕があったのも、ガンプラ遊びの初期のこと。

 やがて。

 買いたいガンプラを選べない、という時期が来る。

 ガンプラブームだ。

 どこの店に行っても売り切れ続出。「あの店で今日ガンプラが入荷!」という情報が出回ると、近所の子供が店に殺到し行列を作る。

 いつトラックで運ばれてくるのだろう、とワクワクしていると、実は「入荷してあったものを今日販売する」であり「はい、今からガンプラ売ります!」と言われる。

 こうなると、客である子供たちは、店が『ガンプラ』として用意したものを買うのみ。ザクでもグフでもドムでも、とりあえず買わせていただく。

 さすがに1/20の人形――セイラさんとかマチルダさんとか――は売れ残っていたが、それらはガンプラとは認識されていなかったのだろう。モビルスーツ、モビルアーマーなどは子供たちが買い尽くす有様だった。


 そんな過酷なガンプラブームの頃。

 正月の家族旅行で、私は沖縄を訪れた。ごく普通の観光旅行だったが、面白いことが一つ。

 当時、我が家には「旅行では、おみやげと称して、それなりの金額の玩具を買ってもらえる」というルールがあった。それで商店街の小さなオモチャ屋に入ったら……。

 ガンプラがあったのだ!

 それも山のように!

 まさに宝の山、ガンプラ天国!

 親は「こんな安いプラモデルでいいのか?」という目をしたが、懇々と語る私の態度から、いかに貴重なプラモデルが大量に目の前にあるか、理解してくれた。

 いつもは厳しい父が「選べないなら、欲しいの全部でいい」と大盤振る舞い。結局『全部』ではなかったが『それなりの金額』に相当するほど大量に購入。

 店の人が「本土の子供は変だねえ」と言いたげだったのを、今でも覚えている。


 旅行から帰った後は、ガンプラを作り続ける毎日。だから2月22日もガンプラだったはず……。

 だが改めて計算すると、沖縄へ旅行したのは1982年らしい。

 ならば『あの日』ではない。残念。

 よく考えれば、映画公開前にガンプラブームが来るはずもない。ガンプラの発売は1980年だが、ブームはもっと後のようだ。


 それでも、やはり。

 1981年2月22日、何をしていたのか。

 この問いに私は「きっとガンプラを作って遊んでいた」と答えたい。

 まだまだ最初期のガンプラ遊び。

 後に恐るべきブームが来るとも知らずに、平和に穏やかに遊んでいた。

 それが、あの日の私だったと思うのだ。

   

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小説・ガンプラ・沖縄旅行 烏川 ハル @haru_karasugawa

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