第2話
廊下にはイベントのような人だかりが出来ていた。騒音の正体はこれだったようだ。
「おいおいマジか! 桐谷が告白したらしいぞ⁉」「心臓に剛毛生えてんじゃね?」「勇者かよ……。光魔法とか使えそうだ」
ギャラリーの話によれば、桐谷という生徒が告白したらしい。まだ入学して間もないというのに随分と行動的なやつだ。
まあ、高校デビューと称して受験勉強の科目にファッションを追加した者を数名知っているので、そいつもその類の生徒なのだろう。
「修也はこの辺で待ってろ。ちょっと様子見てくるわ。おっと、失礼失礼。ちょっと通りますよっと」
人混みが苦手な修也を置いて、紺色の海を平泳ぎの如くかき分ける。抜けた先に立っていたのは、背の高い男子と背の低い女子の対照的な二人だった。
女子のほうはこちらに背を向けているせいで顔が見えないが、雰囲気は大人しそうだ。
それに対し、男子のほうは一目見ただけで誰だか分かった。
あいつは
しかし、聞く話では誰ともつるむことなく常に一人でいるらしい。いわゆる一匹狼というやつだろうか。
「観念して俺と付き合え」
「だから何度も言っているでしょ。私は貴方みたいな不良とは付き合わないわ」
無残にもフラれてやがる。南無。不良がモテる、なんてジンクスが通用しない相手だったようだ。
「どうしたものかしら」
女子がため息を吐きながらと振り返る。その顔は――。
「えっ?」
俺は自分の目を疑った。
砂糖に群がるアリのような野次馬たちをうんざりした目で見渡す彼女の姿には見覚えがある。
ちょっと低めの背。傷一つない白い肌。少し内巻きのセミロングヘア。端麗で、それでいてどこか冷たい、人形のような顔。
見た目こそ成長しているが、その姿はかつての親友に瓜二つだ。
「まさか――」驚きで体が固まる。だが、それに反比例するように脳は動き続ける。「嘘だろ? お前、まさか愛実か⁉」
俺はたまらず声を上げた。
これは夢で、次の瞬間にはベッドにいるんじゃないか? そもそも他人の空似じゃないのか? 一瞬の出来事のはずなのに、時間がとても長く感じる。もはや周りの視線など眼中になかった。
「えっ……もしかして恭輔君? 恭輔君なの⁉」
女の子もまたこちらに気付くと、目を皿のようにした。彼女は確かに『恭輔君』と、そう呼んだ。
「愛実!」
確信を持った俺は、彼女の名前を叫ぶ。
本当に帰ってきたのか⁉
驚きのあまり愛実に向かって駆け出そうとして――はっと我に返った俺は、ようやく周りの状況を理解する。
「あいつ水橋さんを呼び捨てで! しかも下の名前で呼んだ⁉」「てかなんだあいつ、告白に乱入したかと思えば叫びだしてさ。頭のねじ飛んでんじゃないの?」「神聖な告白を邪魔するなんて……闇属性か」
驚きの視線、怒りの視線、困惑の視線。縄張りに迷い込んだ子犬のように、俺は周りから睨まれていた。入学早々やらかしてしまった。
しかしその後悔も空しく、吹雪でも吹いたかのように辺り一帯の空気が冷え込んでいく。そんな状況で俺は喋るに喋れず、周りもまた静まりかえっていた。
桐谷も同じく困惑している様子だったが、ふと目を覚ましたようにくぐもった声を出し、続いて大きな声で叫びだした。
「て、てめぇらさっきから何じろじろ見てんだよ。見世物じゃねーんだ! クソ、てめぇもてめぇで人の邪魔しやがって。またつまらねぇ真似しようもんならタダじゃおかねぇぞ」
桐谷の声にビビった野次馬たちがそそくさと帰りだす。ばつが悪くなったのか、桐谷も廊下を去っていこうとする。が、その道を塞ぐように修也が立ちはだかった。
「待ちなよ。まだ話すことは残ってるだろう?」
「なっ、お前……⁉ うるせぇ邪魔だ!」
桐谷は驚いたあと、邪魔された鬱憤をぶつけるかのように修也を突き飛ばす。
修也が突き飛ばされた先には掃除用ロッカーが置いてあり、激しい衝撃音と共にそれが揺れた。衝撃で扉が開き、箒や塵取りがなだれ落ちる。
桐谷はロッカーの方向を睨みつけると、「……クソが」舌打ちしてどこかへ去っていった。
「あの野郎!」
頭に血が上るのが自分でもわかった。憤怒で拳の血管が浮く。
俺は感情に引っ張られるまま桐谷を追いかけようとするが、それを遮るように腕を掴まれる。振り返ると、愛実が今にも泣きそうな顔で俺にしがみついていた。
「巻き込んでしまってごめんなさい。でも、貴方がまた桐谷君と接触すれば事態が大きくなるわ。それだけは……やめてほしいの」
落ち着いて深呼吸。
許せないのは事実だが、感情だけで動いたってロクな事態にならないんだ。
「えっと、本当に愛実、だよな? ごめん、ついカッとなっちまった。それと告白の邪魔をして悪かった。桐谷にも悪いことをしちまったな」
「いいえ、むしろ感謝しているわ。最近しつこく付きまとわれてたから……。それと、せっかくの再会がこんな形になってしまってごめんなさい」
「そうだったのか。事の発端は桐谷なんだろ? お前が謝る必要はねぇって」
暴力振るった上にストーカーとは、とんでもない野郎だ。あいつ、さっきだって修也を突き飛ばしやがって――修也は無事なのか⁉
「大丈夫か、おい!」
急いでロッカーの手前まで駆け寄る。修也は口を尖らせながら、制服に付いた埃を払っている。
「僕をほったらかして話し込むなんて酷いなぁ」
「悪い、つい」
「ごめんなさいっ」
俺と愛実、二人そろって謝罪。こんな状況で考えることではないが、彼女の「ごめんなさい」という口癖は健在なようで、妙な懐かしさを覚えた。
「なんてね、ただの冗談だよ。別に怪我もしていないし大丈夫さ」
修也はそんな俺たちに笑いかけ、持ち前の能天気さで励ましてくれる。この天然っぷりには振り回されることも多いが、空気を柔らかくすることに長けているのは彼の魅力の一つだ。
散らばった掃除道具を三人がかりで片付けたあと、
「お疲れ様。なんか変な空気になっちゃったけど、今度こそ帰ろっか」
と修也が言った。
「久しぶりに恭輔君と話したいわ」
「そういうの良いね。友人との奇跡の再会、って感じで――っていうか恭輔ってホントに友達いたんだ⁉」
「何でガチな驚き方してんだ」
「いや、『俺にだって友達くらいいるっての』って、てっきり強がってるだけかと思ってたんだ。愛想悪いし、ノリのいいタイプじゃないし、恭輔が話しかける相手って僕くらいしかいないしさ……」
「お前の俺に対する評価はどうなってんだよ……。いや、もう何でも良いや。さっさと行くぞ」
周囲に俺たち以外の生徒はいない。今起きた出来事は幻だったのかとすら思わせるほど、辺りは閑散としている。そんなお祭りの後のような廊下を出て行こうと、俺は出口へと向き直した。
振り向きざまに一瞬見えた愛実の顔は、少しだけ笑っていた気がした。
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