第6話

 学校に着き、教室前で日葵と別れた俺は、真面目に授業を聞いていた。


 俺は桜に「勉強熱心ですね」と嫌味のような賛辞を頂くほどには集中して授業を受けている。

 理由は単純である。勉強への姿勢は成績に直結する上、集中するといい感じにエネルギーが消費され、茜の弁当をより美味しく食べられるからだ。授業中にパラパラ漫画書いてるような幼馴染とは違うんだよ。


 授業も終わりお昼休み。「飯だああああぁぁ!」とお調子者な男子の魂の叫びがこだまする中、弁当片手に修也の席へと移動する。

 彼は『激安』とシールの貼られた弁当屋の弁当をカバンから出し、呑気そうな笑顔で手招きしてきた。


「修也、飯食おうぜ飯」

「早く食べよう。お腹が空いて倒れそうだよ」


 修也の隣の席に座り、妹の愛情が詰まったお弁当を開く。玉子焼きやハンバーグといったシンプルながら王道なおかず達が顔を見せ、俺の腹の虫を刺激してくる。今日も世界一美味そうだ。


「恭輔の家は妹さんがお弁当を作ってるんだっけ? とても料理上手だよね」


 修也は自分の弁当など見向きもせず、キラキラした眼差しで俺の弁当を見つめてきた。……これはまずい。


「なんたって茜は自慢の妹だからな。あと、そんなにジロジロ見てもあげねぇぞ」

「ダメかぁー……一口だけダメ?」


 一口、一口だけっ。修也は人差し指を立てて食い下がる。

 少女漫画のようにキラキラ輝く瞳に騙されてはいけない。こいつは華奢な見た目とは裏腹に、ブラックホールのような底なしの胃袋を持っているのだ。前に焼きそばパンをあげたことがあったが、俺はその日の出来事をを未だに後悔している。

 まあ、そのわりには体が弱いらしく、度々トイレに駆け込んでいるところを見かけるわけだが。


「一口で全部食うような奴に一口をあげるかよ、全部食われるに決まってんだろ」

「中学のときはくれたことあったのになぁ」

「あんときゃ日直当番を手伝ってくれたから特別だ。茜の弁当はそこまで安くねぇ」


 今にも涎をたらしそうな修也に当然の理論を説いていると、教室の扉がノックされ、開かれた。


「浜中君はいるかしら」


 氷のように透き通った声が響き、それまで賑やかだった教室が秒で静まり返った。目隠ししていても分かる。この謎のプレッシャーは愛実のそれだ。

 俺はおもむろに立ち上がる。刺さりまくる視線に耐えながら、机の間をかき分けて扉の前まで向かった。


「どうした」

「今日の放課後は空いているかしら? 少し話があるの」


 マナーモードと化した教室に、毅然モードの愛実の声が響き渡った。

 話というのはきっと昨日の件だろう。一応予定はないこともないが、そこまで時間もかからないはずだ。


「一応予定はあるが、別に急ぎの用事ってわけでもない。構わないぞ」

「ありがとう。それじゃあ放課後、一年三組の教室前まで来てちょうだいね」


 では、失礼。愛実はそれだけ言うと、女優のように髪をかき上げ、すまし顔で教室を出て行った。

 さて、


「……」「……」「……」


 まるでテスト中かのように教室が静まり返っている。皆が俺という人間を見、一部は露骨に目を逸らす。昨日の悪目立ちとセットで強烈なダブルパンチが襲ってくる中、俺は腰を低くして席に戻る。

 みんな俺を見るなよ。俺が悪いことしたみたいじゃないか。


「えーっと……昨日の件かな」


 地獄のような沈黙の中、声を発したのは修也だった。穏やかな雰囲気の彼に続き、周りもぽつぽつと喋りだす。


「こういう雰囲気苦手だろうに、マジでありがとな」頭を下げ、修也の弁当箱に感謝のタコウインナーを数匹突っ込む。「まあ、十中八九そうだろうな。俺からも話したかったし丁度良い」


「桐谷蒼真、だよね。恭輔は知らないかもだけど、あいつ紫陽市に住んでるんだよ」


 修也は小声で話す。

 紫陽市しようしというのは、修也や桜が住んでいる地域の名称で、姉裳市の隣町である。ただし交通機関が少ない上、自転車で移動しようにも嫌がらせみたいに坂道が続いているので、隣といえど移動は一苦労である。俺の家から修也の家まで、徒歩だと四十分強。ちょっとした運動にはなる。


「そうなのか?」

「うん。違う小学校だったから詳しくは知らないんだけど、五年生になった辺りから『桐谷蒼真っていう不良がいる』って噂が流れ始めたんだ。今でこそみんな知ってるけど……色んなやつらと喧嘩をしまくるうちに、最強伝説が広まっていったって感じらしくて」

「いや最強伝説って……そんなやつに目ぇつけられたってのかよ。しかもあれだろ、ちゃんと登校してるかはしらんが、ここに在学してんだろ? たまったもんじゃねぇな」


 軽く絶望する俺を、修也は不安そうな眼差しで見つめる。

 今女子の間で流行りらしい砂糖顔とでもいうのだろうか。この前テレビで見た俳優もこんな顔立ちだった気がする。見ているとどこか癒されるこの顔を、俺はせめてもの慰めとした。何だか冥途の土産みたいだ。


「話し合い、僕も行こうか? 地元の噂くらいなら教えてあげられると思うよ」

「大丈夫だ。お前だって昨日のあれに首突っ込むのは嫌だろ?」

「いや……確かに、そうだね」思うところがあるらしい。修也は少し唸ったあと、歯切れ悪く答える。「まあ、恭輔が大丈夫ならいいんだけどさ」


 修也は誤魔化すようにしてほうれん草を食べ始めた。すっきりしないな、などと考えつつ俺もブロッコリーを噛み砕く。ともかく、心配されているということだけは痛いほど伝わってきた。


 居心地の悪い昼休みと、気に食わない教師の授業を乗り越え、迎えた放課後。俺は言われた通りに三組の教室の前へと向かった。

 ホームルーム直後の廊下でも当然注目を浴びたが、立ち止まってまでジロジロ見てくるような生徒は一部だけだった。その一部の生徒も、教室から愛実が現れた瞬間にそそくさと退散した。


「ごめんなさい、待たせちゃったわね。ここで話すのもなんだし、とりあえず教室に入りましょうか」


 促されるまま三組の教室に入る。人払いは事前に済ませてくれているらしく、教室を見回しても他の生徒はいなかった。まあ、愛実といるのが気まずいから勝手に出ていったってだけかもしれないが。

 適当な机を向かい合わせる形でくっつける。カバンを机に置き、それぞれが席に座ると、愛実はゆっくりと口を開いた。


「分かっているとは思うけど、恭輔君を呼んだ理由は桐谷の件よ」

「だろうな。俺も話しておくべきだって思ってた。んで、こっちはこっちで色々考えてはいたんだが、俺のほうから桐谷に関わりにいくわけにもいかないだろ」

「ええ。だから貴方にお願いがあるのよ」


 愛実は膝に手を当て、真剣そのものといった表情でこちらを見据える。一瞬にして張り詰めた緊張感に、俺も思わず姿勢を正した。


「なんだ」

「私と恋人になってほしいの」

「……へ?」


 真面目以外に言い表せない雰囲気の愛実から、衝撃の一言。聞き間違いかと思った俺は「今なんて?」と訊き直す。


「私と恋人になってほしいの」


 衝撃の二言目。混乱はますます深まったが、俺の耳はまだまだ若いという点だけは安心できた。


「マジか、マジだったわ。てか何がどうなってそうなる」

「恋人とは言っても、ただのフリよ。私と貴方が付き合っているという噂を聞けば、流石に諦めざるを得ないと思ったの。お父様に言おうかとも考えたけど、あまりお父様に心配をかけたくないし、事が大きくなってしまうわ。図々しいお願いだというのは分かっているの。でも恭輔君以外に頼れる人がいなくて……」


 今にも消え入りそうな声で、愛実はとつとつと答える。


 こんなので諦めるかは分からないが、もし天下の水橋財閥を怒らせたとなったらどえらいことになってしまう。そうなると収拾がつかないことは、他でもない彼女自身が一番分かっているのだろう。

 せっかく受験戦争を乗り越えたってのに謎の力で即廃校、なんて笑えない冗談だ。というかこれを冗談で済ませなければならない。


「ただのフリか、それならそうと最初から言ってくれよ。びっくりしたじゃねえか」

「回りくどくてごめんなさい。阿賀野君、だったかしら? 彼が突き飛ばされたときの貴方の目が、怖くて……その、大丈夫なのか心配で、上手く言い出せなくて」


 これまた予想外の言葉にぎくりとした。


「……昨日はちょっと感情的になっちまっただけだ、気なんて遣うな。つーか俺も当事者だし、放っておくのも無責任だろ。まあ、なんだ、俺で良けりゃあ恋人になる」


 異性と簡単に付き合うのはチャラ男みたいで嫌なのだが、現状他に良い手段が思いつかない。それにここまで頼ってくれているのだ。友人として何が出来るのか分からないが、暴力沙汰に発展したときの盾くらいにはなれるだろう。


「助けてくれるの?」


 潤んだ目でこちらを見つめてくる愛実。見る人が見れば卒倒するほどに可愛いその顔に、不覚にも少しドキリとしてしまった。

 こうもルックスが良いと、変な男に付きまとわれたり、知らないところで妬みを買ったりしてしまうのだろう。桜もそうだが美人は大変そうだ。


「こんな嘘吐くかよ。俺に出来ることなら協力するから、何かあったらどんどん言ってくれ」

「よ、よかった。本当にありがとう」


 そうやって何度もお礼を言う愛実は、嵐の後の晴天のような笑顔を浮かべていた。元気が出たようで何よりだ。


「それじゃあ今日から私たちは恋人のフリね! 早速電話番号を交換しておきましょう。あと、メールアドレスも教えてほしいわ」


 そして元気になった途端グイグイ来た。テンションの高さがよく分かる。

 俺はメモ帳のページを一枚破り、そこに電話番号とメールアドレスを殴り書くと、目に星を浮かべる愛実に手渡した。


「恋人っつっても何すりゃいいのか分かんねえんだが……とりあえず、登下校には俺がついていくってことで大丈夫か? ボディーガードをつけてほしい、なんて家の人にいきなり言ったら、事件のこと勘ぐられちまうだろうからさ」

「そうしてもらえると嬉しいわ。あと、召使いたちから見ても、友人である貴方と私が一緒に登校するのは不自然じゃないはずよね。波風を立てないよう、召使いの前では友人を貫きましょう。目的はあくまでも噂を流すことだから」

「もし噂について家の人に訊かれても、『ただの噂だ』っつってしらばっくれりゃいいわけだな。了解。悪いけど今日バイトの応募があるからそろそろ……ってか今日の帰りはどうしよう」

「あっ、今日は召使いに迎えに来てもらうよう頼んでいるわ。だって、ほら、断られても仕方ないって思ってたから……。って用事があるのよね、引き留めちゃってごめんなさい」


 愛実は俺のメモをカバンにしまうと、思い出したかのように謝った。


「ははっ、今日も謝ってら。そんじゃあ、また明日の朝な」

「それじゃあまた明日ね」


 俺たちは笑顔で手を振りあった。

 また明日、か。懐かしい気持ちをカバンと一緒に背負い、俺は猛ダッシュで学校を出た。


 今日から愛実が俺の彼女。この町に戻ってきたこともそうだが、未だに実感が湧かない。昔みたく一緒に過ごしているうちに慣れていくのだろうか。

 とにかく今は愛実を守ることに集中しよう。アルバイトもそうだが、これから忙しくなりそうだ。



 こうして、俺と愛実の恋人生活が始まった。偽だけど。

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