第4話
雑草の群れに挟まれた道路。誰もが自転車から降りて移動する坂道。中学の同級生が経営している中華料理店。愛実と俺の家を繋ぐ道は、数年前と比べて変わっていないように見える。でも、きっとそうじゃない。小学生のときはこんな時間に通らなかったので、暗くて見えないだけなのだ。
道の端々をぼんやりと眺めながら、さっきの会話について考えてみる。
桐谷蒼真。とんでもない野郎だと噂は聞いていたが、まさか目をつけられる日が来るとは思いもしなかった。
愛実を助けようと息巻いたは良いものの、下手に桐谷とぶつかれば余計にややこしくなってしまう。ともかく、俺一人の力で解決できる問題ではなさそうだ。
そうして悩んでいるうちに、『浜中』と渋い字で書かれた表札が視界に入ってきた。窓からは光と影と、甘い醤油の香りが漏れている。
一度桐谷のことを忘れ、笑顔を作って家の扉を開いた。
「ただいま」
「お兄ちゃんお帰り」
脱いだ革靴を揃えていると、エプロン姿の妹が元気に出迎えてくれた。
名前は
無邪気で明るく、天真爛漫という言葉がよく似合う。
茜は昔から何かあるたびに「お兄ちゃんお兄ちゃん」と言いながら俺に付いてきて、名前を呼んだり褒めてやったりすると、にぱーっと可愛い笑顔を見せてくれる。
簡潔に説明すると、超可愛い生き物だ。
うちは両親が共働きな上にあまり家に帰ってこないので、家事は俺か茜がすることになるのだが、
「今日は肉じゃが、味噌汁、ほうれん草のおひたしだよ。味噌汁温めなおすから早く着替えてきて。あと洗濯機回すから、洗い物は忘れず入れておいてね」
「あー……いっつも言ってる気がするんだけど、やっぱお前に負担がかかりすぎてると思うんだ。もちろん、色々やってくれるのは嬉しいんだぞ? ただ無理はしてほしくないし、ちゃんと俺を頼ってほしいんだ」
「確かにいっつも言ってるけど、私が好きでやってるんだから大丈夫だって。家事大好きだもん。それにお兄ちゃんはもう高校生でしょ? 色々と忙しくなるだろうし、近いうちにアルバイトだって始めるんだよね? その分私が家事をやるから、それでおあいこっ」
「『おあいこっ』じゃねーよ。どう考えたってそっちに負担がかかりすぎてるだろ。確かにバイトが始まったら帰る時間も遅くなる。それでも洗濯くらいなら出来るだろうし、何より俺が申し訳ないんだよ」
「だから心配しすぎだって。と、に、か、く! 家のことは私がちゃんとやっておくから安心して」
「それが安心出来ねえんだって」
この通り、茜が全てやってしまう。兎にも角にも世話焼きなのだ。
真面目なのは良いことだが、これはこれで心配になってしまう。かといって、本人がやりたいと言っているものを無理矢理取り上げるわけにもいかない。それが日常生活に必要なものであれば尚更だ。
無論正しく生きるに越したことはない。しかし正しいからこそ、それに背く行為が悪に思えてしまい、お手上げ状態になってしまう。
「はあ……分かったよ。でも辛いときはちゃんと俺に頼るんだぞ?」
ロクな反論ができない俺は忠告の皮を被った捨て台詞を言った。茜はそれを聞いて、しめたとばかりに笑顔を見せる。
「うんっ、お兄ちゃんありがとう。お腹空いたし早くご飯食べよ」
「……おう」
黒星を突きつけるような天使の笑みで、今日も今日とて撃沈。勝負あり。ダメダメなお兄ちゃんでごめんよ。
手洗いうがいを済ませたあとで、俺と茜はリビングに集まった。テレビをつける。寂しさを紛らわせるため、リモコンのチャンネル切り替えボタンを何度も押し、雑に明るいバラエティ番組に切り替える。テーブルを挟むようにしてそれぞれの椅子に座ったところで、俺たち二人の夕飯は始まる。
茜の料理はほっぺたが落ちるほど美味しい。結構な量を盛り付けられていたはずの皿は、洗ったあと同然につるりとしている。
「ご馳走様でした。今日も美味かった」
俺は箸を置いて両手を合わせた。
「はい、お粗末様でした」
無邪気に笑う茜を見ていると、何だか心が浄化されていくような気がする。優しく家庭的な上に努力家で、贔屓目込みだが世界一可愛い。これをエンジェルと言わずして何と言う。妹でなければ間違いなく惚れていたと断言できる。
緊張の糸が緩みきり、全身が一気に重くなった。桜との気を遣う会話、桐谷との因縁、そして愛実との再会。様々な感情を煉りあわせたような、どこか日常からかけ離れた重力だ。
「よし、さっさと風呂入って寝よ」
石のような体を引きずって風呂へと向かい、入浴を五分で済ませ、そのまま歯を磨き、自室へ向かうために再びリビングを通過する。
途中、ポニーテールをリズミカルに揺らしながら皿を洗う茜の姿があったので、邪魔しない程度に声をかけた。
「悪い、今日は疲れたからもう寝るわ。おやすみ」
「早っ⁉ もうお風呂入ったの⁉ まあいいや、それじゃあおやすみ」
俺は自室に入り、充電切れといわんばかりにベッドへ倒れ込む。柔らかいベッドとお気に入りの枕は、俺の体重を優しく受け止めてくれる。
気弱で、ちびで、いじめられっ子で、かつての親友だった愛実が、何かでかくなって帰ってきた。しかも彼女の驚き様を見るに、同じ高校に入ったのは偶然だったらしい。えらいことである。
明日は愛実と何を話そう。色々と話したいことはあるが、まずは桐谷の件をどうするかを話しておかなければ。
疲れとは裏腹に目が冴えている。これは現実なのかという疑いと興奮が、心臓を打ち鳴らしているようだ。
考えきれない数の物事を考えながら、俺は静かに眠りについた。
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