第5話
「お兄ちゃん行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「ちゃんとお弁当は入れた? 財布持ってる? 忘れ物の確認をするなら今のうちだよ。あっ、あと電車の定期券も忘れずにね」
「オカンかよ。心配しなくても大丈夫だって」
朝食を食べ終えた俺は、朝から忙しなく皿を洗う茜に挨拶を返した。高校は中学と違って距離があるので、茜より早めに出発しなければならない。
名前も知らない山々の向こうで、太陽が申し訳程度の日差しを放っている。
「さっぶ。夏に本気出せよな」
鍵をポケットにしまったところで、冬の名残を感じさせる冷たい風に体を震わせた。しかもただ冷たいだけではなく、乾燥で肌の水分を奪っていくというはた迷惑なオプション付き。地球温暖化とやらは本当に進んでいるのだろうか。
こすり合わせた手で門扉を閉めると、
「おいすー」
毎朝恒例の陽気な声が耳に入ってきた。
「おはよう日葵」
癖毛の目立つショートヘア。高校生にしては大きな胸と、それを見せびらかすように前が開かれたブレザー。校則に引っ掛かっていないかが心配になる、短いスカートとフラワーモチーフのピアス。俺の友人の中でも特に派手な印象のある彼女は、
桜と仲が良いらしく、お互いに家へと遊びに向かうところをちょくちょく見かける。生真面目と不真面目が揃って何をしているのかは謎ではあるが。
車二台がすれ違えるかどうかという狭い通路の中、俺たちは並んで歩きはじめた。
「毎朝毎朝家の前で待っててくれてるけど、先に行ってても良いんだぞ?」
「一人で登校とか寂しいじゃん。華奈子は家遠いし。てかなんで華奈っちも恭輔も阿賀野君も一組であたしだけ五組なのさ。あたしだけ仲間外れみたいじゃん!」
「気持ちは分かるが、俺じゃなくて教師に言えよ。つーか、お前なら友達ぐらいすぐ作れるだろ」
日葵は誰かがポイ捨てしたであろうコーヒーの空き缶を蹴って遊んでいる。が、すぐに飽きてしまったらしく、「必殺ツルツルシュゥゥゥーッ‼」明後日の方向に勢いよく蹴り飛ばした。間抜けな音が住宅街に反響する。
俺はその空き缶を拾い、
「ゴミはゴミ箱。町を汚すんじゃねぇ」「ありがと恭輔。マジエキサイティング」「意味合ってねえし、反省しろ」
公園のゴミ箱に捨てなおした。
「んでまあ、怒られるのやだから話戻すけど、実際友達はできた。超頑張った。だけど初日のプレッシャーがね、そりゃあもうえぐいわけっすよ。中学からの友達いないし、誰も自分から自己紹介しないし、みんなめっちゃピシッと制服着てるし。何なんあの気まずさ」
日葵は口を尖らせながら熱弁する。
修也なんて一週間ちょっと経った今でも、「恭輔が同じクラスで良かった」と俺の存在を菩薩か何かみたいにありがたむのだ。もし俺や桜がいなかったらどうなっていたかは想像に難くない。
「一週間後にゃ見る影もないけどな」
日葵の乱れた制服を見て言った。
ひん曲がったバネが反発しないわけもなく、「るっせーカタブツこっち見んな。ファッションは自由ですぅ、自由権なんですぅー」と言い返される。
「いや制服の意義を考えろよ……。そういやあれだ。制服で思い出したんだけどさ、お前はバイト決まったのか?」
日葵もアルバイトを始めるつもりだったことを思い出し、話のネタ程度に話題を振ってみた。
「お前は、ってことは……ええええっ! まさかもう決めたの⁉」
すると、日葵は早朝バズーカでも食らったかのようなオーバーアクションで驚いた。海外ドラマに出てくるお調子者キャラのような、いつも通りのテンションだ。
「俺はもう決めたぞ」
「え、ええっ、マジぃ? 決めんの早くね」
日葵は珍しくうろたえた声を上げ、近くのバス停へと目を逸らす。俺たちは大通りの赤信号で止まった。
「いつもは何でもかんでも躊躇なく決めるくせに」
「……ま、あたしも決めてるんだけどね。ぬひひ」
「ん? おい」
かと思ったのも束の間、日葵は白い歯を見せ、大きな目を細めて、特徴的な笑い声と共に自称小悪魔スマイルを浮かべた。前言撤回。いつも通りの自称小悪魔系女子だった。
青信号に切り替わった。さっきより少し大股で、日葵は大通りを横切った。俺も足早についていく。
本当は幼馴染らしく「お前の嘘は俺には通用しねえよ」なんて言ってやりたいところなのだが、日葵の頭は年中無休でエイプリルフールなので、発言の真偽が未だに分からない。
対して日葵は俺のことなら何でもお見通し。去年の夏に「あっ今、風鈴の音で癒されたい、とか思ったでしょ」と言われたときにはエスパーを疑った。……今でも若干疑っている。
世の中には手品師なんてのがいるが、千人に一人くらいは本物のエスパーが紛れ込んでいるんじゃないか。
「お前の冗談分かるようで分からないんだっての。んで、どこでバイトすんだ」
「まあまあ離れたところにカフェ・グロリオサって店があんの知ってる? あのホットケーキ美味しいとこ。あそこの店長知り合いだから行きやすいんだよねぇ。あんたこそどこなのさ」
彼女は整えられた癖毛を指で弄りながら、さも当然のように俺と同じ場所を答えた。
「ちょっ、マジかよ⁉ 俺もそこでバイトするつもりなんだけど」
当然ながら俺は驚く。そりゃそうだ。偶然バイト先が一致するなど、これこそとんだ冗談だろう。
青い木々に挟まれた坂道を下り、住宅街の外に出る。一面を埋め尽くす田んぼと山を、錆びたガードレールが忠実に守っている。大型トラックとバスが、兄弟のように連なって走っている。
「あんたも⁉ あっ、でも丁度良いじゃん。なんと今ならぁ、ウルトラ可愛い幼馴染と一緒に働けるぞぉー」
気持ち悪い猫撫で声を上げ、両手のピースで猫ひげを作って決めポーズ。おまけにペロッと舌まで出して。
ウルトラ可愛いとかアホだろう。いや、黙ってさえいれば顔は悪くないし、スタイルも良いのだが……。何だろう、こいつには何かが足りない。
「ハイハイ世界一可愛いですよ。でも実際、条件は悪くなかったよな」
「でしょでしょ。店長めっちゃ良い人だしさ、あそこで一緒にバイトしようよ。旅は道連れ情けなしってことで」
「ただのスケープゴートじゃねぇか」
日葵は俺の対応をスルーし、夏の日差しのような笑みを浮かべた。
彼女と同じ場所で働く場面を想像してみる。……やっぱりうぜぇ。まあ、知り合いがいるのは心強いけど。
「ま、今日の放課後にでも応募するか。つーかお前も同じバイト先を選んでたなんてな。俺の部屋に監視カメラでも仕掛けてたのかよ」
「それはこっちのセリフじゃい。でもま、なんだかんだ言ってあたしたち気ぃ合うからねぇ。好きな物も似た感じじゃん? はちみつレモン作り溜め仲間とか他にいないっしょ」
日葵は写真撮影にゲーム、はちみつレモン作りと幅広い趣味を持っているが、そのうちの一つ、はちみつレモン作りは俺たちの共通の趣味だ。
中学に入った辺りだったか。はちみつレモン作りにはまっていた俺に影響されたらしく、日葵もはちみつレモンを作り始めるようになった。最初の方こそ失敗続きだったものの、覚えの早い彼女はあっという間に俺に追いついた。今では日葵のほうが美味しいものを作れるのでは、と危惧しているほどだ。
日葵とは幼稚園からの付き合いなのだが、疎遠になっていた時期もあった。にもかかわらず良い友人関係を築けているのは、趣味をはじめとした様々な部分で気が合うからなのだろう。性格は真逆だというのに不思議なものだ。
まさかバイト先まで被るとは思っていなかったけど。
「そういや、今回のはちみつレモンは会心の出来だとか言ってたよな。また味見させてくれよ」
「ぬっふっふ。構わぬ、有難く頂くが良いぞよ。んで今回の調合はねぇ――」
行きつけの本屋の角を曲がり、俺たちは駅に入った。
ごく普通の朝日に、ごく普通の会話。目の前に広がるのは、ごく普通の日常である。
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