エンターテインメント

スヴェータ

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 中世フランスが舞台の煌びやかな世界。そのクライマックスにあったのはギロチンだった。周りにはたくさんの人が集まっていて、刃がガタンと落ち、執行人が生首を掴んで掲げると大歓声が沸き起こった。革命の成功。物語は幕を閉じた。


 私はこれを読んだ時、よく中世フランスの人たちは人間の生首ができる瞬間を眺められ、さらには大歓声でもって迎えられるな思った。神経を疑う、と言うべきか。とにかく、時代のせいなのだろうと思っていた。


 しかし、実際行われるとなるとどうか。もちろん抗議を続ける人はいるけれど、この人集り。そして私も、その人集りの一員だ。


 最初の公開処刑はテレビの前で見た。ギロチンではなく絞首刑。見所は、入場シーンと最期の言葉。あの時の死刑囚は堂々と入場し、テキパキと位置につき、最期の言葉を叫んだ。「今行くからね!」。彼は幼児を2人誘拐し、殺害していた。


 あれ以来、私は公開処刑の虜になった。他の何でも味わえないゾクゾク。本当の、人の死。しかも頭のおかしい凶悪犯罪者の死。穏やかさからは程遠い人生の終わりは私にとってはフィクションで、最もリアルな映画を観ている気分だった。


 今、目の前に死刑囚がやって来た。おお、今回は女だ。女はなかなか見られない。しかも記憶に新しい、残忍な死刑囚だ。昨年2月、恋人とその浮気相手を惨たらしく殺した上それを食べたことが病みつきとなり、無関係である職場の同僚も殺して食べた罪で死刑が確定した。


 女は震えてうまく歩けず、刑務官2人に支えられて入場した。そうそう、これこれ。私はこのようなものが見たくてここにいる。死ぬために歩く人間。恐怖に支配された人間。これから肉塊になるしか予定のない人間。しかも元は凶悪犯罪者だ。ゾクゾクするではないか。


 どうにか所定の位置にたどり着き、支えられたまま女は最期の言葉を促された。しかし首を振るばかりで何も言おうとしない。そのまま刑務官が目隠しをしようとした。


 私たち見物人は叫んだ。当然だ。最期の言葉はメインイベント。それがないだなんて冗談じゃない。方々から怒鳴り声があがる。ふざけるな!人殺しのくせに!遺族に詫びろ!甘えるな!


 すると女が何か叫んだ顔をした。私たちはそれを見て黙り、女の声に耳を傾けた。女は泣いていた。ぼろぼろ、ぼろぼろ涙をこぼしながら、私たちに訴えかけた。


「私は人を殺しました。しかも、それを食べました。許されることではありません。せめて死ぬことで償いたいと思います。でも今、私は死ぬ以上の恐怖を味わっています。あなたたちはおかしい。あなたたちは、私よりおかしい!」


 言い終えるとすぐに方々から再び怒鳴り声があがった。女はまた何か叫んだようだったが、もう怒鳴り声が止むことはなかった。刑務官は素早く女の顔に布を被せるとすぐに縄を首に回し、あっという間に吊るしてしまった。女は怒号の中、ゆらゆら、ゆらゆら揺れていた。


 あなたたちは、私よりおかしい。


 人間を食べた女より、働き、納税し、罪も犯さず暮らす私たちの方がおかしい?そんなわけがない。公開処刑は国が決めたこと。国が許したこと。つまり、正しいことだ。犯罪者の死をエンターテインメントにして執行率を上げたことからも、これが間違いではないことは明白だ。


 今となっては、中世フランスの人たちの気持ちがよく分かる。あれは革命だったけれど、処刑はそれ自体が世の中を良くするものだ。だからきっと、彼らは世の中が良くなる瞬間に立ち会いたかったのだ。そしてその喜びを隣の人たちと分かち合いたかったのだ。


 それを実現したのは、公開処刑というエンターテインメントだった。エンターテインメントに時代は関係ない。だってそれは、喜びを与えるものなのだから。

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