朝、学校、HRまで――

古城ろっく@感想大感謝祭!!

朝、学校、HRまで――

 恋をするということは、素敵なことである。

 少し遅い思春期を自覚した少年、御堂 空みどう そらは、そう感じていた。


 中学3年生になった空の生活は、2年生のころと大して変わらなかった。受験生だからといって勉強に励むこともなければ、将来の夢を今から決めることもない。

 ただ、違ったことがあるとしたら、それは自転車。

「エスケープ。おはよう」

 マンションの駐輪所に止めてある、鮮やかな水色のクロスバイク。細いタイヤと、まっすぐなハンドルが特徴の自転車に、空は嬉しそうに語り掛けた。……当然、自転車からの返事はない。

 それでも独り言を続ける空は、まるで小さな子供が人形に話しかけるような、無邪気な目をしていた。

「今日も学校まで、よろしくね」

 ズボンの裾を、右側だけ大きくまくる。こうしないと、変速ギアに引っかかってしまうのだ。

足を振り上げて、高いサドルにまたがり、低いハンドルを握る。教科書でいっぱいのスクールバッグが、背中にのしかかってきて重い。学校指定のヘルメットは、こうして前を向こうとすると視界が悪いのが弱点だ。あと、蒸れる。

 それでも、空は上機嫌だった。大好きな自転車に乗っている時間は、彼にとって最高の瞬間だから。

 彼は、自転車に恋をしていた。



「――お前は本当に自転車バカになってきたな」

 ホームルーム前の教室で、空にそう言ったのは、クラスメイトの少女だ。

 諫早 茜いさはや あかね。何を隠そう、空より自転車に詳しい友人である。

「茜のおかげだね」

「アタイかよ?……ま、確かにお前に自転車を教えたのはアタイかもしれないけど」

「うん。この前のサイクリングも、楽しかったよ」

 最近、二人きりで出かけることが多くなっていた。というのも、自転車で数十キロ……場合によっては百キロメートル以上も走りたがる物好きなど、この学校では空と茜しかいない。

「――ったく、たまには空がプランを決めろよ」

「え?僕が?……うーん。それじゃあ、次はどこに行こうかな」

「どこでもいいぜ。アタイは」

 ぶっきらぼうに言った茜は、空の隣の席に座った。そこは茜の席ではないが、ちょうど空いているので座ったというところだろう。

 スカートがしわになることも気にせず座った彼女は、足を組んで椅子にもたれかかる。背が高くて脚の長い彼女がそうすると、学校の椅子は前脚を上げて傾いた。

「あ、危ないよ」

「ん?ああ、大丈夫だって。このくらいじゃ椅子も壊れないから」

 そう言って、まるでロッキングチェアを揺らすようにもてあそぶ茜。頭の上のひっつめ髪も、風もない中ぴょこぴょこと揺れる。

「……茜って、子供っぽいところがあるよね」

「あ?」

 茜が、空をじろりと睨んだ。

「わわわっ、ごめんごめん。でも、なんだかそうやって椅子でバランスとるの、小学校の頃に流行ったりしなかった?どこまで後ろに倒せるか、なんて競ったりして」

「……いや、アタイの通ってた小学校では、それはなかったな」

「そっか」


空は時々、茜の視線が怖くなる。初めて会った頃は、「ああ、生まれつき目つきがキツい人なのかな」程度にしか思ってなかったし、よく話すようになってからは、全然怖くなくなった。

なのに、どうしてだろう?最近は、茜に見つめられると怖くなるのだ。ぞくりと鳥肌が立ち、胸が締め付けられる。しかし、凍り付くような寒さはない。むしろ、熱くなるような感覚。

(まあ、気のせいなんだろうけどさ)

 と、空は思うことにした。顔を背けてため息をつき、再び茜のいるほうに顔を向ける――


「っ!?」


 すると、茜は空の顔を覗き込むように、そこにしゃがんでいた。

「な、なななななに?茜」

 今度は自分が椅子ごとひっくり返りそうになる。しかし、そんな空の態度に首をかしげながらも、茜は本来の要件を告げた。

「いや、さっきの話……椅子をどこまで傾けられるかを競ってたって言ったよな?その時さ。空も参加したのか?」

「え?いや、僕は眺めてただけだよ。怖いから」

「そうだよな。空だもんな」

 茜はため息をついて、再び椅子を手繰り寄せた。今度は前後を逆にして、両足で背もたれを挟み込むようにして座る。背もたれの上に肘を乗せ、頬杖をつきながら、

「お前さ。いつから『勝負嫌い』になったんだ?」

 空に対して、そんなことを訊く。

「え?」

「いや、お前さ。いつもアタイが『競争しようぜ』って言うと、必ず断るよな。自転車にしてもそうだけど、テストで点数見せ合うとか、ゲームで対戦モードプレイするとかでもさ。こないだの小テストなんて、お前が勝ってたのに見せなかっただろ?」

「み、見たの?」

「ああ。普通に見えてたぞ。あれで見えてないつもりだったのかよ。無防備だな」

「……茜に言われたくないけどね」

「ん?どういうことだ?」

 スカートの中はハーフパンツだったとしても、その隙間から見える場合があるからね。と言おうとした空は、言葉を飲み込んだ。代わりの言葉として、あるいは本題として、


「僕の勝負嫌いは――えっと、昔から、かな」

 あいまいな返事を返す。

「昔から?何かあったのか?」

「ううん。何もなかったけど、なんとなく。勝って嬉しいとか、負けて悔しいとか、そういうのが僕には分からないんだ」

「ふーん。アタイは好きだけどな。そういうの」

「だろうね。ことあるごとに話題ふってくるというか、喧嘩売ってくるというか……」

「アタイは不良かよ」

 茜のツッコミに、空は苦笑いで応対した。


 始業のチャイムが鳴り、先生が入ってくる。

「ああ、今日こそ松山は遅刻だったな」

 茜がそう言って、席を立つ。ちなみに松山とは、先ほどから茜が勝手に拝借している席の、本来の持ち主である。

「それじゃ、次のサイクリングは空が予定を立てるってことで。期待してんぜ」

 そう言い残した彼女は、さばさばと自分の席に戻っていった。

(次のサイクリングか……どうしよう)

 課題がひとつ増えた空は、頭を悩ませる。

 サイクリングなのだから、それなりに遠い距離に目的地を設定した方が良いだろう。とはいえ、目的地がただ遠いだけのつまらない場所だと、それは残念な結果を招きかねない。

 途中のルートも重要だった。きれいな舗装路の方が、車体的には好ましい。とはいえアップダウンもない直線ばかりだと面白みもなく、信号ばかりが多い道は疲れる。

 どこに行ったら、茜は楽しんでくれるだろう。

 どの道を通れば、茜を退屈させないだろう。

 大切な友達である茜のことを考えながら、頭を抱える。


 難しい。

 でも、楽しい。

(やっぱり、自転車って、ドキドキする)


 最近、空は恋をしている。相手は自転車だ。

 まるでデートのプランを立てるときのように、空は舞い上がっていた。

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