第9話【Nightingale&Chatelaine Ⅵ】
「まったく…師の前で居眠りとは!」
師匠は呆れた顔で弟子を見た。
身体能力はチンパンジーなみ。
自分に興味のない話をすると、このように寝てしまう。しかし、一度言いつけられた師匠の身のまわりの世話や、魔法に関する教示はすぐに覚えてけして忘れない。
「自分で拾っておきながら、まったく…お前は、どんな魔法使いになるのであろうな。この私にも皆目見当が・・」
「師匠!」
眠っていたモートが目を開けた。
この弟子は、師匠が感慨に耽る間も与えてはくれないようだ。
「目を覚ましたか」
「はい!おかげ様で、すっかり体力も戻りましてございます!」
ものの3分も、寝てなどいないはずだった。
不完全なものとはいえ、あの神獣の龍を相手にしたのだ。
普通の人間ならば忽ち毒気にあてられ、暫く体は動かないはずだった。
驚異的な回復力だった。
「ん?師匠、俺の顔になにかついてますか?」
涎でも垂れていないかと、モートは自分で自分の口元をごしごしと肘で拭う。
「いや…お前は動物園の猿でなくて本当によかったな!」
この国には野生の猿は生息していない。
「檻の中で暮らす猿よりも、師匠の弟子の俺の方がましですからね!」
そう言って屈託のない笑顔を見せる。
「ましって…お前」
「ところで師匠…すみませんでした」
そこでモートは急に思い出したように、師匠に詫びた。
「俺がうまく立ち回れないばかりに…師匠の大事な御屋敷の玄関を破されてしまいました。俺がもっと機敏に動ければ」
「気に病むことはない」
そう言って項垂れる弟子の頭に、師匠の手が優しく添えられた。
「弟子の命がこうして無事なのだ!それより価値のある屋敷などあるものか!」
そう言って師匠は振り向いた。
贅を尽くしたマナーハウスの玄関は、見るも無惨に破壊されていた。
「あああ」
それを見た師匠は腰から砕け落ちた。
「この年代の木材と石…それからチャーム…リノベーションするなら、同年代に建てられたネス湖の別荘を解体して…く!しかしあれは、さる魔術師が18世紀に建てた由緒正しき…くうっ!」
めちゃくちゃ残念がっている。
「あの、師匠?」
「気に病むでない!」
バンシーの目に涙が光る。
「おのれ! Y Ddraig Goch!」
師匠が叫んだY Ddraig Gochとは、モートには見知らぬ異国の言葉に聞こえた。
ウェールズ語で Y Ddraig Goch,。
ウェールズの赤い龍。
ア ズライグ ゴッホは、国旗にも描かれた、ウェールズの象徴たるドラゴンを意味する言葉だ。
ウェールズ語で龍は、ドラゴンではなく今もドライグと呼ばれていた。
英国ではウェルシュ ドラゴン。
ウェールズのドラゴンとも呼ばれる。
ウェールズの民は、かつて執拗な英国の侵攻を受け続けた。たとえ王家が幾度滅亡しても、独自の言語を持ち、龍の描かれた旗を降ろすことはなかった。
「おのれ!ウェールズの龍!誇り高き英国のゴールをば抉じ開けるとは!」
師匠…ゴールではなく玄関です。
「待っておれよ!いずれ…その太腹に風穴空けてくれようぞ!」
アーサー王の伝説のマギノビオンには、こう綴られている。
後のブリテンの王ユーサー ペンドラゴンは、サクソンとの戦いに於いて、絶望的な劣勢を強いられていた。
その戦い最中、アイリッシュ海の方角へと向かう赤い彗星を見た。
「あれは天翔る龍の姿です」
傍らにいた魔術師マーリンは、それが吉兆であると彼に伝えた。
後にサクソンに勝利した英雄ペンドラゴンは龍の名の語源ともなった。
以来赤い龍は、ウェールズの民にとって常に不屈の象徴であった。
モートが先ほど屋敷で見た姿そのままに、ペンドラゴンはウェールズ語で【龍の頭】という意味もある。
神話に綴られた赤い彗星のように、龍が消えた大空に師匠は拳を突き出した。雄々しい師匠の姿。そうかと思えば。
「おっと…これは失敬!貴女様の龍を悪く言うつもりは毛頭ございません!」
急に手にした小瓶に向かってへこへこと頭を下げ始めた。
師匠は、端から見ると本当に頭のおかしな、気の触れた男にしか見えなかった。
師匠が手にした ガラスの小瓶。
そこには貴婦人の姿はなく、ただ婦人の持物だったという金色の鎖が、眠れる龍そのままに底に踞るだけだった。
「師匠、質問があります!」
モートは師匠に訊ねた。
「なんだね」
「師匠は俺に、その鎖はシャテレインという身分が高い御婦人が身につける、時計の鎖だと教えて下さいましたよね」
「間違いない!」
師匠は頷いた。
「しかし師匠は先ほど御婦人を呼ぶ時にシャテレインと言われてました。それがこの御婦人のお名前なのですか?」
この貴婦人の鎖その物が怪異であり、とうの昔他界したであろう持主は関係がないのか、モートには疑問だったのだ。
「なるほど」
モートの質問に対して、師匠は意外な言葉を口にした。
「なるほど…モート、確かにお前は魔法使いに向いている。この私が認めよう!」
師匠はいきなり、モートの耳たぶを指でつまんだ。
「ふむ…実にいい耳をしている」
「ひや!し師匠!いきなり何を…ひひひ…くくくすぐったいです!?」
突然ほめられたもつかの間、モートはいきなり耳を掴まれて、思わず妙な声が出てしまう。
「実にいい」
師匠がそう言うには、実は訳があった。
師匠は常にモートに言って聞かせた。
「魔法使いとは、常に秘匿を重んじて生きるものだ!」
「己の名前さえ人に知られてはならん」
師匠のその言葉には理由があった。
魔法使いとは、常に己の魔法の研鑽とその源流の探究に多くの時間を費やす。
常に人とは違う一生を送るものだ。
師匠を見て分かるように、概ね世の政や時流の流れにはあまり関心がない。
師匠の屋敷マニアぶりも、某かの師匠の魔法の気質に起因するものなのだろう。
自己の魔法の探究に日々明け暮れる様は、人間の学者や、求道者の姿にも重なる。
己の力の源が、人が崇め奉る神がもたらすものとは、魔法使いは思わない。
この星や、自然界から涌き出る生命の息吹がそうであるように、自分を魔法使いたらしめている源へ、その魂は向かう。
それは、人の住む現世から遠くはなれた、高次の幽世に存在するものだ。
それが大河や海ならば、何れその場所に辿り着き、その一滴とならんことをと、古来より魔法使いは夢に見た。
万物を構成するのが粒子ならば、魔法の根源の粒子となることを、魔法使いたちは強く望んだ。
しかし、そこに行き着く望みの叶う魔法使いは希であると言われている。
魔法使いの多くが、己の力を神であるかのように過信し、破滅の道を辿ることは少なくなかった。
人より遥かに長い時を生きる魔法使いにも、魂や肉体の寿命はある。
いよいよ成熟した魔法使いが、自らの死を数えるようになると弟子をとる。
本来秘匿を旨とする魔法使いには、些か矛盾ているようにも見える行動だ。
これは己の得た力を正しく受け継ぎ、現世で自らが果たしきれなかった宿命や、そこから派生した使命を、弟子の代へと引き継ぐためであると言われている。
そんな魔法使いには、もう1つ特性として忘れてはならないことがある。
それは聞耳である。
魔法使いと呼ばれる者は、自らの秘密をひたすら守ることに専心し、そして常に自分以外の魔法使いの言動にも聞耳を立てている。
魔法とは使うことよりも、使わせねことが重要だった。もし迂闊に名前など知られたら、魔法使いならばその魔法使いの本質を忽ち理解し、その魔法を根本から封じてしまう。
大袈裟な攻撃の魔法など不要だ。
ナイフ1つでもあれば、相手を容易に倒すことが可能となる。
秘密を知られることは、魔法使いにとって絶対的な服従か、死と同じ意味を持つ。
そうして、私利私欲のために自分の力を蓄え、次々に魔法使いを屈服させ権力を得ようとした魔法使いも過去にいた。
そうした過去の苦い経験もあり、現在の魔法使いは常にお互いを牽制し、お互いの動向に常に聞耳を立てている。
モートの師匠である、スクリーミング ロード リッチ公爵。
彼は人界界では貴族、裏社会では魔払い師、そして魔法使いたちの間では、名うての結界師であると認知されていた。
なぜなら魔法使いの世界では、そのふざけた名前以外、彼のことを詳しく知る者はいなかったからである。
いかなる希代の魔法使いも、彼の結界を突破し、その秘密や容姿すらも知ることが出来る者はいなかった。
彼は魔法使いの間でも、特に秘密のベールに包まれた存在だった。
魔法の格式において結界とは、それほど重要なものであり、そのマスターと呼ばれるスクリーム師匠は文字通り、魔法使いの中でもロードと呼ばれる存在だった。
「モート、オフェンスよりもデイフェンスなのだよ!積極的ディフェンスだ!」
時折、グラマースクールのグラウンドに馬車を停めて、学生たちのフットボールを眺めながら、そんな話をよくした。
今日は買い付けた屋敷の魔払いに、初めて弟子を連れて来た。
予想外のことも起きた。
屋敷の下見に独りで来た時、建物の窓から此方を見ていた貴婦人の体には、確かに蛇が巻きついていた。
「この程度なら弟子の修行にほどよい」
そう思ったが、まんまと計られた。
まさか王家の龍だったとは。
わざと弱体化した姿を見せ、こちらに魔法を使わせるだけ使わせ、その力で復活を果たすとは!屋敷と哀れな御婦人を餌に、引き寄せられたのはこちらだった。
しかし師匠は満足していた。
弟子のモートはまだ未熟な見習い。だから自分の叫びに耐えることは出来ない。
だから彼の身を安じて、一切の音を遮断する結界を施した耳当てを渡した。
しかしモートは聞いていた。
「しかし…師匠は先ほど御婦人を呼ぶ時に、シャテレインと言われてました。それが、この御婦人のお名前なのですか?」
耳当てに阻まれ、本来なら聞こえないはずの自分の言葉を、師が仕掛けた結界を突破してまで聞いていたのだ。
魔法を選別して吸収した。
そう考えてまず、間違いない。
魔法いは眠っている時も、外界からの魔法や他の魔法使いの情報を吸収するものだ。
魔法使いの言葉そのものが呪であり、実は魔法の響きを持つ音の魔法そのものなのだ。
魔法使いと同じ屋敷で、主と寝食をともにすることを許された者は、既に魔法使いの修行を始めている。
寝ていながらでも魔法が身につかぬ者は、既に魔法使いの資質がない。
魔法使いの波動を受けて、日常のバランスを欠くばかりでなく、人によっては精神が崩壊してしまう危険がある。
モートは、興味がない話をするとすぐに寝てしまう。寝ていながらも、自分に必要な糧となることには聞耳を立て吸収していた。
これは成熟した魔法使いの成せる業だ。
「まあ釣り銭分はあったか」
無惨に破壊された屋敷の玄関を眺めながら、師匠は呟いた。
「モート!今夜食事の後で、私の部屋にコニャックの瓶とグラスを2つ運んでくれ」
「はい!ブランデーのグラスですね」
「ああ、ちょっと待て」
師匠が、シャテレインの入ったガラスの小瓶を耳にあてる。
モートには、その瓶の中に一瞬だけ貴婦人の姿が見えた気がした。
彼女は人を憚るように、両手で口を覆うような仕種で、瓶の中から師匠に耳打しているように見えた。
「ブランデーグラスは1つ!もう1つはワイングラスを!コニャックと【Tokaji】とラベルに文字が書かれたワインを… Eszencia文字と裏のラベルの数字は6だぞ!そちらはワインクーラーに氷を詰めて、瓶ごとワインをさして…覚えたかね?」
「はい!問題ありません!」
その酒蔵に眠る酒は、師匠の古い友人だという魔法使いの好みの酒だった。
確か…百年戦争を共に戦った戦友だとか。そんな話を、以前師匠から聞いたことがある。
もっとも、その友人が師匠を訪ねて来たことはこれまで1度もなかった。
「よろしい!お前も今日はたらふく食べて、エールで喉も潤すといい!」
「師匠のコニャックは、いつもの鹿のエンブレムでよろしいのですね」
師匠の好きなコニャックは、鹿のエンブレムが貼られた、英国醸造のアーリー グランデッドとかいう酒だった。
「いや…」
「それでは…十字架の?」
「それはあまり好まない」
師匠は思案した後でモートに言った。
「今宵は金の燕にしておこうか」
モートは屋敷の酒蔵に眠る、金の燕の年代物のコニャックを思い浮かべた。
瓶の中に貴婦人の姿は既になかった。
シャテレインの金の鎖、飾りのブローチの小夜鳴鳥と、空っぽの香水の瓶が、午後の陽射しを浴びて輝いていた。
「師匠はなにか御婦人に敬意をはらい、そのコニャックを選ばれたのだろうか」
モートの頭には疑問が浮かんだ。
訊ねてみたい気がしたが、それより早く師匠がモートに言った。
「モート、先ほどの質問の答えだが」
モートは顔を上げて師匠を見た。
「シャテレインというのは、こちらの御婦人の名前ではない。懐中時計の鎖だ」
「では…なぜ師匠は?」
「シャテレインとは、仏語で懐中時計の鎖だが…もう1つの意味は女主人なのさ」
【スクリーム貴族と魔法使いの弟子】 六葉翼 @miikimiki
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