八章 4
*
疲れて祖父母の家に帰った愛莉は、翌朝まで眠った。
目がさめたとき、ふとんのなかによこたわったまま、涙がすべりおちた。
雅人の魂が自分を助けてくれたのだ。その代償に、この世から存在が消えた。そう思った。
だって、今朝は雅人の霊を感じられない。もういなくなってしまったのだとしか考えられない。
雅人が
ただ信じたくなかっただけだ。
その存在を感じなくなって初めて、認めざるを得なくなった。
(雅人くん……)
愛莉は自分の心も死んだような気がした。
体の半分が失われたような、深い喪失感。
泣いていると、祖母がやってきた。
「愛ちゃん。大丈夫なの? ご飯できてるよ。食べる?」
「……いらない」
とはいえ、池にハマって泥だらけのまま寝てしまった。髪のあいだまでジャリジャリして気持ちが悪い。
愛莉はムリして起きあがり、シャワーをあびた。
服も全部、洗濯したが、そのとき、祖母にもらったお守りがなくなっていることに気づいた。昨日、池のなかであばれたときに、なくしたのだろう。
愛莉が着替えて、ろうかに出ると、
「愛ちゃん。大変だよ。今、テレビでね。あの病気のことやってるよ。今朝になって急に三十人も亡くなったんだって。怖いわね。どうなるんだろうねぇ」
祖母の声が茶の間から聞こえる。
空蝉姫のせいだと、愛莉は直感した。
昨夜、あの池のなかで空蝉姫を見たとき、とても強い力を感じた。強い怒りと悲しみ、憎悪を。
おそらく、菅原によって不当に移し身をおこなった人々が、あのとき、全員、殺された。
何もかも終わったのだと、愛莉は悟った。あとは菅原が逮捕されれば……。
二階にあがって、ぼんやりしていると、電話がかかってきた。滝川圭介からだ。
「捜査令状ですが、うまくとれそうにないです。菅原のやつ、いわゆるユーチューバーとして稼いでいるよう偽装していまして。税金対策もしっかりしています。どうも、スキがない」
雅人を殺した男が、このまま、社会に野放しにされる。それは、ゆるしがたかった。
「滝川さん。じつは——」
愛莉は雅人が菅原に殺されたことを告げた。
「あの池をさらえば、雅人の遺体が出てくるはずです。そこから、どうにかして、菅原にむすびつけることができませんか?」
「雅人が殺された? いつですか? 平野さん。あなたは最近まで、雅人に会っているんですよね?」
「じつは、わたし、霊が見えるんです。ふつうの人なら、こんなこと言っても信じてもらえないでしょうが、移し身を体験した滝川さんなら、信じてくださるんじゃないですか?」
圭介は信じてくれた。
どういうふうに仲間を説得してくれたのかわからないが、数日後、蓮池の捜索が始まった。
池の底から、二十さい前後の男性の死体が見つかった。水中にあったから、とっくに白骨化していた。
愛莉が発見者ということになっていた。死体が池からあがるところを、警察官にまじって、特別に見させてもらった。
「雅人ですね。遺族にたのんで毛髪をもらえば、DNA鑑定で親子関係がわかりますから、身元はすぐに判明します」
「そうですか……」
ようやく、雅人は自宅に帰れるのだと愛莉は思った。
こらえようとしても涙があふれた。
「とりあえず、死体が出てこないことには何もできませんから、まだ菅原のことは誰にも告げていませんが、そのうちには必ず、やつを捕まえます」
「お願いします」
しかし、菅原は行方をくらましていた。まだ犯罪者というわけではないから、指名手配もできない。
夏休みが終わり、愛莉はいつもの生活のなかへと帰っていった。
雅人のいない毎日。
雅人のいない世界。
これからの人生を、愛莉はこの世でもっとも愛しい人を失ったまま生きなければならない。
それは長い拷問のようなものだと思った。
電話がかかってきたのは、次の年の夏だ。
「……今夜、あの蓮の咲く池で待っててくれる? いっしょに蛍を見るって約束したろ?」
愛莉はふるえた。
それは、ありえないはずのことだ。
スマホに登録された、その番号。表示される名前……。
もちろん、大学なんか、すっぽかして、祖父母の家のある町へ急いだ。
夜、池のほとりで待っていると、その人は現れた。
以前と同じ姿のまま——
「雅人……? どうして?」
「あのとき、君が空蝉を持ってたからさ。昔は、この池のあたりまで、神社の森が続いてたんだって。ここも死体を埋める範囲内ってこと。だから、移し身の条件が満たされた」
愛莉は雷に打たれたような驚がくを味わった。思いあたったのだ。
(おばあちゃんのくれたお守り!)
池のなかでなくしたお守り。
あの中身を見たことはなかった。だが、古くから、この地方に伝わるお守りだ。その材料は空蝉だったのではないだろうか? 祖母は、たしかに神社から材料をとってきたと言っていた。
この町で生まれた人。
死体を埋めた場所。
そして、蝉のぬけがら。
移し身のすべての条件がそろったのだ。
愛莉は嬉しい奇跡に歓喜の涙を流した。
抱きしめあう、雅人の体は、あたたかい。
「雅人……」
「もう、どこへも行かない」
蝉の鳴き声が降るように二人の上にそそがれる。
それは生きていることの喜びの唄だった。
了
空蝉 涼森巳王(東堂薫) @kaoru-todo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます