第8話 友達嬢(下)
居酒屋を出た後、私は
そして一時を過ぎた平日のネオン街で、私は玲香と肩を並べて歩いた。これからどうしようか? やっているのはガールズバーくらいだが、まだ飲んでもいいし、もう帰ってもいい。そんな気分だ。
「ふぅ、飲んだ、飲んだ」
玲香は両手を天に上げ、伸びをする。ほんのり赤くした頬がネオンで視認できた。玲香はお開きにするような雰囲気を感じさせるのだが、彼女の場合は翌朝が仕事だからそれも納得する。しかし私にはまだ理解できていないこともある。
「これからどうする?」
「ん? まだ飲み足りない?」
上げていた両手を背中に戻した玲香は、少しだけ首を傾げて私に問い掛ける。あんなことを言われたからだろう。今まで意識していなかったにも関わらず、玲香が可愛らしく見えて彼女に女を感じる。振られたばかりのその晩に、私も随分現金なものだと思う。
「そういうわけじゃないけど、居酒屋で話したことが気になって」
「あぁ、なるほど。それなら二人っきりで落ち着ける場所に行ってゆっくり話す?」
誘っているのだろうか? 枕営業をするキャストの中にはこういうことを平気で言う女が多数いる。しかし玲香は既にキャストではない。だからその胸の内が知りたい。
「そうしたい」
「いいよ。どこにでも連れ込んで?」
「いいのか?」
「うん」
さすがにこれには高揚した。やはりそういうことのようだ。――と思った私の考えは、玲香の次の言葉で覆される。
「どこにでもついて行くし、襲われても力じゃ敵わないから抵抗はしない。けど、さっき私が言ったことを解消できないうちに手を出すなら、今晩の一回きりで私が居酒屋で言ったことも無しにして」
つまりそういうことだ。しっかり釘を刺されてしまった。
玲香は私に、自分のところに来るか? と聞いてきた。どれだけ自意識を排除してもそれは私に気があるが故の言葉だろうと思う。しかし順序を間違えれば間違いなく私は幻滅され、そして玲香に切られる。それをしっかりと理解し、私は邪な気持ちを入れ替えた。
と言うことで私は、チェーン店の大衆居酒屋に玲香と入った。探せばこんな時間でもやっている店は確かにあるものだ。飲み足りてはいるが、とりあえずそこで互いに酒を注文し、食べ物は程々に話を始めた。
「俺に気があるのか?」
いくらなんでもこんな切り出し方はなかったなと、口を吐いてから思う。なんとも上から目線で、自意識過剰な奴だと思われそうだ。しかし玲香は屈託のない笑顔を見せてくれた。
「えへへん。そうだよ。祥子さんと別れたから今がチャンスだと思ってる」
「そっか」
笑顔のまま玲香が酒を口に運ぶので、私もつられるように手元の酒を煽った。既にちょうどいい酔い加減なので、今更喉が焼ける感じもしない。しかし安酒なだけあって、あまり美味いとは思えない。
玲香は私が祥子と別れるだけの材料となる情報は予め持っていたのだが、それを使わずに待っていた。前から思っていたがやはり玲香にはあざとさがない。私は玲香のそういうところに好感を持っている。
「俺のカノジョになってくれるのか?」
「だぁかぁらぁ、それはケンちゃんがセフレと色恋営業のキープ嬢を全員切ったら、だって」
途端に膨れっ面になってジトッとした細目を向ける玲香。しかしその表情も心くすぐるものがあり、彼女はこれほど魅力的だったのかと今更ながらに気づく。
「いつから?」
「いつからって……確証はないんだけど、少なくともキャバクラを辞めた頃はそうだったかな。当時のお客さんは全員切って、けどケンちゃんだけは例外にしてたくらいだし」
確かにそうだ。玲香も他のキャストと例外なく、辞めれば途端に客を切る女であった。しかし私との交流は続けていて、しかも元働いていた店に今では客として行くから当時の客と出くわして気まずい思いもしたものだ。
「将来のことも考えた付き合いがしたいか?」
「ん? ケンちゃんは付き合うならそれも考えてくれるの?」
逆質問できた。とは言え、今日振られたばかりの私は振られる直前までそういうことを考えていた。私ももう三十二歳だ。男女交際となれば結婚は意識する。だから私は即答で肯定した。
「あぁ」
「えへへ。それなら嬉しいな」
そう言ってはにかんだ玲香はゴクゴクと手元の酒を喉に通した。そのジョッキを置いたのを見計らって、私は質問を続ける。
「俺のなにを気に入ってくれたんだ?」
「私限定だけど、紳士的なところ。それから仕事の属性がいいから経済力があるところ。将来のことまで考えられるなら、私の知る限りケンちゃんしかいないなと思った」
もう少し中二病的な回答を予想していたが、さすがに二十六歳だ。なかなか現実的な考えだった。例えば行ったことはないが、婚活パーティーとはこういうものだろうか? まるでお見合いをしているみたいだ。
「わかった。全員切る」
「お!」
玲香が期待をこめた反応を示した。その期待を裏切らないように私は言葉を続ける。
「まぁ、これだけ付き合いが長くて、それなりに玲香のことは知ってるんだ。俺としてもパートナーが玲香なら願ってもない。だからセフレや色恋嬢は全員切る」
「やったー!」
両手で拳を握って突き上げた玲香は満面の笑みだ。これほど喜んでもらえたことに私の方こそ嬉しくなる。
「じゃぁ、今晩は連れ込んでもいいか?」
すると上げた拳を途端に下げて、玲香はぷくっと頬を膨らませてしまった。どうやら急ぎ過ぎたようだ。その反省は案の定で、玲香からお咎めが返ってきた。
「まだ切ってないじゃん? さっきも言ったけど、連れ込むのはいいけど、切る前に手を出したらこの話は白紙だからね」
「すまん。やっぱり今日は止めておく。俺の理性がもつわけがない」
「ふふ。わかればよろしい」
「これ飲んだらタクシーで送って行くよ」
「ありがとう」
男の色欲と女の金銭欲にまみれたネオン街。それは地方都市であれ、大都市であれ同じだろう。その中で互いの綱を引き合いながら男女は落としどころを探す。しかしそれは自分の利益ばかりを考えた行為だ。
ただ私が玲香と経験したように真剣な恋も始まる。それは互いを尊重し合ってきたからこそである。尤も玲香の場合は私が女遊びをしている中で、自分だけに限ってと言ったから、少し特殊な部類ではあるのだろう。女遊びをしていることを知っていたのだから、その時点で幻滅しそうなものだが。
ただしかし、それでも私は玲香と結ばれた。こういう結果もあるものだ。客が実際にキャストと結ばれることは極端に少ない世界なので、私の場合は恵まれていたようだ。
玲香とそんな話をした翌日には、私は色恋でキープしていたキャストを全員切った。尤もあくまで色恋営業なので、キャストは恋愛をしている気分を味わわせることに長けていて、それは疑似恋愛であり本物ではない。
それからその日のうちにセックスフレンドとなり果てた枕営業のキャストも全員切った。こうして玲香に対して誠意を見せたわけだが、そうしたのはやはり玲香のことを大事にしたいとの思いがあったからだ。これは彼女との今までの信頼の積み重ねによるものだ。
ただやはり、私は仕事の付き合いでネオン街に繰り出すことはある。しかしそれは玲香が言ったように店の中だけで楽しむようになった。これに関して玲香はさすがに元キャストで、こういう店での付き合いに理解はある。
やがて私は玲香と結婚をすることになるのだが、それはまだ先の話だ。男女の欲にまみれたネオン街ではあるが、間違いなく少数派なのだろうが、私と玲香のように損得勘定抜きで付き合うことが、客とキャストのハッピーエンドなのかもしれない。
―完―
ネオン街のすゝめ 生島いつつ @growth-5
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