第7話 友達嬢(上)
ライバル店も巻き込んでの横の繋がりが強い地方都市のネオン街で、キャバクラのキャストをしていた
しかしこの日は違った。まずは落ち込んでいる私の話を聞いて欲しかった。だから個室居酒屋にいる。祥子との食事で既に夕食は済ませた私なので、食事は主に玲香が食べていて、私は酒を飲むだけだ。
「そっかぁ。振られちゃったんだぁ」
なんこつの唐揚げを口の中に放り込んだ玲香は、ハイボールをぐっと煽った。私は今、どんな表情をしているだろうか。三十二歳にして破局も随分久しぶりで、玲香に情けない顔を見せていないだろうか? いや、間違いなく見せているだろう。
玲香は二十六歳で、どちらかと言うと実年齢よりは若く見える。キャスト当時から化粧は濃くなく、どこかの会社の綺麗な事務員のようにも見えた。キャバクラのキャストとしては地味な部類だったのかもしれないが、豪華さがないことで反って敷居が低く、接しやすかった。
「あまり驚いてないな」
「そう?」
「あぁ。もしかしてなにか情報持ってるんじゃないか?」
あまりにも玲香の反応が薄かったのでそんなことを聞いてみたのだが、途端に玲香はばつが悪そうな苦笑いを浮かべた。やはりなにか情報を持っているようだ。さすがは元キャストで、その情報網は辞めた今でも健在だ。
「聞いちゃう?」
「あぁ」
「ショックを受けるかもよ?」
「それでも聞く」
すると玲香は「ふふ」と一度笑って、ハイボールを煽った。そしてそのジョッキを置いてから話し始めた。
「祥子さんが以前に働いてたキャバクラに、今私の友達がキャストで働いてるから聞いたんだけど」
「ん? 祥子の今のスナックじゃなくて、前のキャバクラの方?」
「うん」
なぜだ? 祥子は玲香のように他のライバル店に客として出入りはしない。そもそもスナックに移ったのが引き抜きだからだ。それ故に玲香が、祥子の以前に働いていた店から情報を得られることが解せない。
「キャバクラを辞める前からそこのボーイとできてたんだって」
「は!?」
これには驚いてしまい、私は目も口も丸くした。核心を言った玲香だが、まだこの話を続けることには抵抗がありそうな難しい表情をしている。しかし私が目で先を続けろと訴えるので、玲香は重い口を開いた。
「そのボーイと結婚をするから夜の仕事からは抜けるみたい」
「ちょ、ちょ! 同じ店のボーイとの交際はご法度だろ?」
「そうだよ。けど、どいつもこいつも隠れてよろしくやってるよ」
信じられない思いだが、同時に、そういうことは青年会のメンバーから聞いたことがあったと思い出す。しかし自分と交際をしていたはずの祥子がそうだったとはまったくの盲点で、私が受けた衝撃は大きい。
「既にそのボーイも店を辞めて、昼間の仕事を始めたんだって」
「と言うことは、俺は……? 二重交際?」
「ううん。多重交際」
「うわ……」
「本命がそのボーイ君で、色恋営業を吹っかけたお客さんのカレシが多数います。ドンッ」
最後の効果音は余計だが、こうしておちゃらけた態度でも取らないとなかなか話しにくいのだろう。玲香の明るい性格を表していると思う。そしてここで漸く私は、色恋営業を仕掛けられた客の一人だったのかと理解し、どんどん惨めな思いになる。
「まぁ、まぁ、そんなに落ち込まないで」
「あぁ……」
とは言うものの振られたばかりで、しかも事実を知らされたばかりで気分は上がらない。そもそも玲香は、そんな情報を持っているなら早くに言ってくれれば良かったのにとも思うが、しかしその考えは彼女の優しさだとすぐに理解して消えた。
「ケンちゃんはケンちゃんでいいとこがいっぱいあるんだから、次を考えればいいよ」
「次って?」
すると玲香はジョッキをテーブルに置いて、その大きな黒目を上に向けた。細い首筋に襟元から覗かせる鎖骨が綺麗で、私は初めて玲香に女性としての魅力を感じたかもしれない。尤も、長く友達関係でいたからやはり込み上げてくるものはないが。それでも現役当時、可愛いと綺麗を併せ持った容姿も含めて、それなりに人気があったことは納得する。
「まぁ、まずは枕営業で寄ってきたセフレのキャストを全部切って、」
「う……」
「次に、色恋営業で寄ってきたキープキャストも全部切って、」
「う……」
玲香の言うことはつまり、私こそネオン街から足を洗えと言っているようなものではないか。そんなことを考えていると、私は玲香に思考を読まれた。よほどわかりやすい表情をしていたのだろう。
「別にキャバクラ通いが悪いとは言わないよ?」
「え? そうなの?」
「うん。青年会のこともあってケンちゃんは仕事の付き合いでお店に行ってるって理由もあるから」
「じゃぁどういうことだ?」
「店の中だけで楽しめばいいんだよ」
「店の中だけ?」
「うん。指名もすればいいし、飲み仲間とのグループ同伴もすればいい。ただ、ヤリモクとか色恋とかを期待せずに、飲むのを楽しめばいい」
それだとキャバクラの存在意義とは何になるのだ? 恋人気分や女としての魅力を売りにしながら酒の接待をするのがキャバクラではないのか? そんな疑問を抱いていると、玲香は言うのだ。
「それだけでも随分楽しんできたじゃん」
「え? 俺が?」
「うん、うん」
すると玲香は満面の笑みになって、自分の顔を指さした。――あぁ、そうか。
確かに玲香がキャストをしていた時は、彼女に限ってだがそういう楽しみ方をしていた。たまたま青年会のメンバーとキャバクラ後にガールズバーで飲んでいた時に、仕事を上がったキャスト同士で同じ店にやって来た玲香と出くわした。それで一緒に飲み始めたのが、店の外でも交流を持つようになったきっかけだ。
それ以降、同伴もすればアフターもするし、玲香の出勤日じゃない日に完全プライベートで一緒に飲んだことも多々あった。そして互いに気を使わず居心地がいいから、玲香がキャストを辞めた今でもこの関係が続いている。
「それがいいところなんだよ」
「俺の?」
「うん、うん。好感度高いよ? けど他の女の子には手を出し過ぎだから、あくまで私との付き合いの中だけの話だけど」
「どういうことだ?」
「私のことは酔わせてホテルに連れ込もうとかしないじゃん?」
「まぁ、確かに。居心地がいいから長く付き合いたくて、そういうつまらないことで関係を壊すのに抵抗があるんだよ」
「そう! それ! それだよ!」
今度は玲香が目を丸くした。どこか得意げな表情にも見え、そして綺麗な指をピンと立てて私に向けている。
「そういう下心がないのが安心できるし、ケンちゃんと飲んでると楽しいから、私はアフターでもプライベートでもケンちゃんといるのが好きだったんだよ。それが辞めた今では完全にプライベートだから、好きで一緒にいるの」
それなりに人気のあった元キャストだから、それが本心ならどれだけ嬉しいことか。しかしキャストは客を持ち上げて金を使わせるためにそういうことが日常的に口を吐く。ただ玲香は既にネオン街から去った、今では一般企業の会社員だ。
「まぁ、キャストがそういうのを求めても、お客さんはやっぱり男だからシモのことばかり考えてる人が大半だけどね。て言うか、大半どころか九割方?」
クスクスと笑ってそんなことを言う玲香は、枝豆を口に放った。しかし玲香の意見を聞いてわかった気がする。つまり玲香が言うように安心できる客ほど、キャストからは重宝されるのだと。そうでなければただのカモだ。
「うふふん」
すると玲香が不敵に笑った。私は少し緊張して玲香の次の言葉を待った。
「もしケンちゃんがセフレや色恋の女の子を全員切ることができたら、私のところに来てもいいぞ?」
今日何度目だろう? 私の思考は停止した。
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