第3話 新桜祭


 空に巻き上げられた美郷が狗賓共々消えると同時に、どう、と大きく風が鳴いた。

「美郷!!」

 美郷を追って広場を走り、再び展望台に駆け上った怜路は突風に目を細める。ちっ、と舌打ちして、美郷の消えた空を睨んだ。

「鈍くせえ癖に無茶しやがってバカタレが」

 美郷の名誉のために付け加えておけば、美郷が「鈍くさい」のはあくまで怜路基準であり、一般人と比べれば美郷も機敏な方である。ともあれ、どうしたものか辻本と相談しようと、怜路が展望台を降りようとした時だった。

 ひょう、と一陣、花冷えの夜にそぐわぬ柔らかな風が怜路の頬を掠めた。風に乗った薄紅がひとひら、怜路を誘うように目の前を舞って桜林の闇に吸い込まれてゆく。怜路はそれに従い、闇へ向けて展望台を蹴った。

「辻本サン! ちょいコッチ来てくれ!!」

 声だけ残し、怜路は器用に桜の枝の隙間をすり抜け着地する。視線を上げた先に、淡く白色に光る影があった。怜路は迷わず駆け寄る。

「……美郷!」

 色とりどり、形様々な満開の桜の枝をしとねにして、見事な桜の大樹を刺繍した打掛を羽織った美郷が横たわっている。声を掛けながら近付いた怜路に、その整った日本人形のような面がわずかに眉をしかめた。

「ん……」

 ぴくりと美郷が身じろぎした瞬間、美郷を中心につむじ風が巻き起こる。ぶわりと大量の花吹雪が怜路の視界を覆い、一瞬で幻のように消えた。ゆっくりと美郷が起きあがる。その姿は消えたときと同じ作業着にジャンパー姿で、見事な桜の打掛は影も形もない。

「怜路」

 片手で目元を押さえながら、顔を上げた美郷が呼んだ。

「どうにか帰って来れたよ。あー、良かった……!」

 怜路をみとめ、周囲を見回し、おそらく狗賓共々一度は異界へとばされてしまったらしい美郷が安堵の息を吐いた。そのまま再び桜の寝床にひっくり返りそうな貧乏下宿人を、怜路はアホかと引っ張り起こす。

「一人で営業終了してんじゃねーよ。何だこの桜の山は」

「ああ、あの狗賓が今まで盗んできた桜の枝だね。おれにくれたのかな」

「盗品貰っても面倒なだけじゃねーのか。……つか、何だその花簪。お前、向こうで何して来た」

 美郷の髪には、満開の花の房をいくつか付けた桜の枝が挿してある。美郷の顔立ちには似合うが、格好とは絶望的に似合わないそれに、怜路は口元をひん曲げた。

「ああ、えーと。愛でてた桜が枯れて落ち込んでた姫君を、舞で慰めてきました?」

 若干照れくさそうに頭を掻いて、その拍子に触れた花簪を慌てて美郷がむしり取る。

「そりゃあまた、風雅なこって」

 どうやら怜路には逆立ちしてもできない解決法で、花盗人を説得して来たらしい。

 ライトアップの灯りを目指して公園の遊歩道に出ると、山頂広場から駆け下りた辻本がこちらへ向かってくる姿が見えた。




「結局その御龍姫いうんは、安芸鷹田あきたかた市の御龍山ごりゅうさんの姫神で間違いなァでしょう。あの山には桜の花と大火の伝承も残っとりますし、室町時代にあの地方を与えられた領主が、龍神を請うたら湧水が出たいう伝承もあります。向こうの市の方に確認しましたら、確かに御龍山にあった桜の古木が鹿にやられて枯れとったようですしな」

 市役所の片隅にある、古く小狭い特自災害の事務室にて、事務机に指を組んだ係長の芳田よしだがそうまとめた。係長机の傍らに立ち、話を聞いていた美郷と辻本はそれに頷く。

「それで、今後の対策は何か決まったんですか?」

 御龍山があるのは隣市であったため、調査や今後の対応については向こうの市の担当者と係長級で協議をしてもらっていた。現場仕事が立て込んで、協議は参加できなかった美郷の問いに、辻本が答えた。

「うん、御龍山の近くにある神楽団が、西行桜を元にした演目を作ってくれることになったんよ。毎年この時期に、町おこしを兼ねて御龍山麓の神社で桜祭りをして、その時に奉納してくれるそうじゃけ、御龍姫が気に入ってくれたらそれで解決なんじゃけど。その辺はまた宮澤君にも仲介してもらって、話を進めていけたらと思って」

 辻本の言葉に、はい、と美郷は頷く。桜のない場所で桜祭りも不思議な話に見えるだろうが、神を慰め、喜ばせるための祭りと神楽だ。由緒正しい形の「祭り」が、この時代にひとつ誕生したことは純粋に凄いと美郷は感じる。

「良かった。桜のない桜祭りですけど、これで御龍姫も寂しい思いをせずに済みますね」

「そのことですが、どうも枯れた桜の大木も、ように死んでしもうたわけじゃあないようでしてな」

 安堵の息を吐いた美郷に付け加えたのは、係長の芳田だった。

「まだ根本の方は生きとるいうことで、上の枯れた部分は切り倒して何か材木として利用して、根本から生えるヒコバエを挿し木にして、並木になるように植樹をしようかという話も出とります」

「ああ、それはエエですね。そうしたら御龍姫も、また桜の世話をしながら一年を過ごせるようになりますし」

 隣市の積極的な態度に、辻本も顔を綻ばせる。

「今度は鹿除けの柵が要りますね。奴ら、新芽とか大好きですし……」

 美郷の下宿する狩野家の周囲もたくさんの鹿が生息している。家庭菜園や庭木を幾度も毟られたことのある美郷は、しみじみと実感を込めて腕を組んだ。

「しかし、これでまあ、多少不細工な樹ができてしもうたですが、頃合い良うに満開で尾関山の桜祭りもできそうですなあ」

 尾関山の桜祭りは明日が前夜祭、明後日の日曜日が本番だ。連れなど怜路しかいないが、野郎二人で花見も遠慮がなくて良いかもしれない。

 事務室の窓越しに眺める空は美しい薄青色で、折からの強風に吹かれた薄紅の花弁が、どこからやってきたのか窓の外を横切る。天気予報は週末まで晴れだ。今年は自分も桜を楽しもうと、美郷は週末の予定を考え始めた。

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花盗人の頼み事 歌峰由子 @althlod

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