第6話 結末

「だが、警察は大工に目をむけるどころか、エラリー君が親指の向きを、さも大事であるかのように騒ぎ立て、その結果、理論的に、犯人はブリンカーホッフでしかありえないと断定しそうになった。これは、全くの計算違いだった。指の痕が、それほど重大な意味をもつなどということを、そこにいた三人は始めて気づかされた。なかでも、犯人にされると知ったブリンカーホッフにしてみたら、パニックになりかねない状況さ。だが、咄嗟の機転で、ブリンカーホッフは『自白してしまおう』と決断したのだ」

「でも、なぜです? 証拠は親指の痕だけで、しかもそれは別人のものだと分かっているのに」

「まさに、だからこそさ。警察は残念ながら、事件から半日の段階で、外部犯の線を完全に捨てていた。もしその場で『自分は犯人ではない』と言い張れば、他の団員への追求が緩むこともなく、一旦は忘れられていた外部のものの犯行の可能性が浮上し、周辺の調査などが行われるかもしれない。すると、大工の死体、どこに隠したかは知らないが、なるべく腐敗しやすいところを選んでいるだろうね、が発見されないとも限らない。

 確かに自分はマイラ殺しに加担していた。だが証拠は指の痕だけだった。だからこそ警察は、この自白のみで逮捕したのだからね。ここで捕まっておけば捜査をが止まる。そのあと裁判で無罪を勝ち取れば、もう二度と、マイラ殺しで裁かれることはない。そしてそのころには、真犯人役の大工の死体は朽ち果てているだろう」

 しばしの沈黙がテーブルに降りた。午後の日差しがウインドウ越しにポリーの顔を照らした。

「さっきあんたが言ったように、頭に血が上って後先考えずに行動するような、短絡的な男ではなかったのさ。ブリンカーホッフという男はね」

 ポリーは、老人の説明を頭の中でゆっくりと反芻した。

「ところで、劇場支配人ジョー・ケリーは一体なんの役にたったんですか?『陽動』とかおっしゃっていましたけど」

「ああ。ああいう場合、一座の人間関係の聞き取りがあるのは定石だ。一人一人聞かれると話に齟齬が起こる可能性もある。だから酔っ払いが一人居て、適度に情報を統制しながら、さも内情をぶっちゃけているんだという、いわばスポークスマンが必要だったのさ。あそこで三人の敵対関係が刷り込まれれば共謀を疑われることはまずないだろうし、マイラの性向にしても誇張気味に煽っておけば、契約に伴う金銭関係の問題は浮かんではこないからね。全く、あの劇場支配人はとんだ食わせ物だったな」

「それで、ブリンカーホッフはどうやって、自白を撤回するのでしょう?」

「さあてね。興行師のブレグマンあたりがよい弁護士をつけてくれるだろうから上手くやるんだろうが、おそらく『マイラの不貞が日々ひどくなり、いつか殺してやろうという思いが募って、アクロバットの練習中に幾度も殺意を抱いていた。あの夜もそんな気持ちで朦朧としたまま劇場を出たから、よく覚えていない』とでもいって、ブレグマンなどがそれを裏付ける証言をすればいい。実際、翌日の公園を舞台袖で見ているブリンカーホッフは鬼気迫る形相だったようだしね。

 とにかく、この事件は『異常』だったよ。それに、これほど警察がコケにされた事件も類を見ないんじゃないかな」

 老人はそういうと、袂からチラシと、新しい組紐を取り出して、テーブルに置いた。

「これは、旅行のお土産だ。復帰祝いにと思ってね。それとこのチラシだが、エラリー・クイーンの小説は、実際にエラリー君が関わった事件が元になっているのは知ってるだろう。アトラス一座にもモデルがある。その一座が今度、イギリス公演をやるんだそうだ。いや、あんたはきっと、インタビューでもしてみたいんじゃないかと思ってね」

 老人はそういうと、くつくつと笑って席を立った。

ポリーは、傾きかけた日差しを浴びながら、今の話をレビュー記事にしてしまおうと考えていた。(完)

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ゴルジアン・ノット事件 ―隅の老人、首吊りアクロバットの冒険を検証する 新出既出 @shinnsyutukisyutu

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