第5話 首吊りアクロバット
「この現場で看過できないのが、結び目Aと結び目Bの違いだ」
「Aはごく普通の結び方で、Bがゴルジイ結びでしたね」
「そう。ゴルジイ結びはさっきやってみせたように、両端で結ばないと意味をなさない。片側だけゴルジイ結びにしたところで、紐は解けないのだ。だから、片方だけあの結び方がしてあったという点に、わたしには引っかかっていた。なぜ、横管だけがゴルジイ結びなのか。なぜ、マイラの顔のすぐ横は普通の結び方だったのかとね」
老人は組紐でゴルジイ結びをしてみせた。
「AとBとの結び目の使い分け。そしてこれまで明らかにしてきた男たちの動機。なあ、あんた。マイラを亡き者にするのにもっとも安全な方法は、事故死か自殺を偽装することじゃないかね」
老人は喉をミルクで湿した。
「そうですね。でもマイラが自殺する理由がありませんね」
「だが事故か自殺かに見せかけることは可能だったんだ。この二つの結び目によってね」
老人はそう言って、これまで見たこともない複雑な瘤を作り始めた。
「マイラは貪欲な女だった。アクロバットだって次々に開発した。マイラはゴルジイの結び目のトリックを見て、あれは自分が使ったほうが客に受けると考えたんだ。まあ、もしかしたら、男達の方からそのように進言したのかもしれないがね。マイラは、夫はともかく、他の二人とちょくちょく飲みに出かけていたが、それは、マイラと飲んでいないほかの男達が、マイラに気づかれないように、計画の準備をするために、仕組んでいたものとわたしは睨んでいる。それほど周到なプランAだったのさ。
今回の計画を知らされていなかったのは、鍵係のペルクと、喜劇役者の小男サムだな。あいつらには、秘密を守っておくことなんてできない。
残りの連中は、証言を口裏を合わせることや計画の準備に携わるなどの協力していた。この業界はみな家族みたいなものだからね。計画を知って裏切るとなると、もうその世界にはいられなくなる。マイラ一人のために家族に不和が訪れのだから、これを共同で排除すべし、とね。
とにかく評判の『マイラの高速回転アクロバット』のフィニッシュに、首吊り脱出を組み込もうとした。ゴルジイは結び方を教えることは拒否して、自分でそれを結ぶと言い張った。結び方は財産だからな。かくして、ゴルジイが楽屋の横管にゴルジイ結びをして、時間があるときに、マイラの首にもゴルジイ結びをして、首吊りからパッと抜ける。というのを繰り返していたのさ。ここまで仕込んでおけば、あとは簡単だ。
事件の夜、同じようにアクロバットの練習をするともちかけて、ゴルジイがマイラの首に縄をかける。ただし、ゴルジイ結びじゃなく普通の結び方でね。顔のすぐ横だからマイラからは結び目を見ることができない。いつものように脚立を蹴って、縄抜けしようとしたマイラはそのまま縊死。警察には、『首吊りアクロバットの練習中に結び方を間違えたようだ。一人のときには練習するなといってあったの』にと泣けばいい。と、これがプランAで、その決行の夜、闖入者が現れたのさ」
「それが、舞台大工」
「マイラが一人になったとき、何か脅かすような道具をもって現れたんだろう。ハンマーが一番上にあったというからそれかもしれない。大体、重たいハンマーを道具箱の一番上に置く大工がどこにいるものかね。襲われたマイラを助けるためにブリンカーホッフが登場し、おそらく殺した。どうせ殺すとはいっても、部外者の手にかかるのは我慢ならなかったのさ。その直後に劇場に潜んでいた残りの二人が、異変を察知して楽屋に到着した。マイラには状況を把握する暇はなかっただろう。とっさにタオルでマイラの顔をふさいで窒息させたが、この時は気絶ですんだ。怪力で首を折ったりさせていないから、タオルを抑えたのはカウボーイだったかもしれない。
それから善後策を話し合った。目の前には大工の死体と、殺すべき女がいた。なら、大工が女を殺したという筋書きがいけないという理由はないだろう?
急遽プランBが立案された。
気絶しているマイラを椅子に座らせて一人が抑え、あとの二人で大工の死体の手を使ってマイラの首をしめたのさ。指の痕が残ることくらい承知さ。ただ、マイラの前から首を絞めさせるのは、互いの体が邪魔でうまくいかなかった。だから、マイラの首を後ろにのけぞらせて、大工の死体を背後から覆いかぶせるようにして、首を絞めさせた。このほうがずっとうまく力がはいるからね。三人の男の共同作業で、大工の指のあとがついたマイラの死体ができあがった。このとき、三人も動転していて、親指の位置まで気は回っていなかっただろう。
あとは、犯人が自分の指のあとを消そうと考えて、縄を巻いて、ゴルジイにしか結べない結び方Bが残されている横管を使って、首吊りにすれば、疑いはそちらに向くと考えたと思わせることにした。当然、大工が結び方を知っているはずはないから、マイラの首の結び目Aは普通の結び方になったわけだよ。重要だったのは、そういう手がかりの瑣末な点ではなく、犯人が犯行後にこうした工作を行って逃げたと思わせることだったのさ。自殺に見せかけようするなら、手足をタオルで結んだり脚立を遠くにおいておくのは余計だった。だが、そういう余計なことをすれば、犯人が動揺していることまで演出できると考えたのさ」
ポリーはあまりに異常な現場の様子をポカンと口を開いたまま聞いていた。
それにしても、短編推理小説からこのような推理を組み立てる老人とは一体、何者なのだろう。ポリーは改めて老人を見つめた。老人は少し顔を赤らめて、怒ったような顔になった。
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