第4話 鍵とアリバイと男の消滅
「この事件には、ちぐはぐなことが多すぎた。わたしは読んでいて五里霧中の感に囚われたものさ。いつもなら検視審問や裁判を傍聴に出かけたり、近所をうろつきまわってみたりするところだが、これは小説だからな。歯痒くてならなかった。
まず引っかかったのは、鍵の件だ。鍵係のペルク老人は殺害のあった日の夜、居残り練習をするというブリンカーホッフとマイラに、鍵をかけて帰るよう頼んで、先に帰ったと供述した。その後、ブリンカーホッフがマイラを残して劇場を出る。興行師のブレグマンとの約束があるからとね。そして、マイラは劇所を出ることはなかった。では、誰が劇場の鍵を閉めたのか?」
「それは、ブリンカーホッフがマイラを殺害した後に…」
「鍵係のペルク老人は、早朝、ブリンカーホッフはお巡りと一緒に、ペルク老人を待っていたのを、ヘンだと思わなかっただろうか」
「自分が先に帰ったのが知れると叱られるって言っていましたね。だから、待っていてくれたのは、ペルクにはよかったのかもしれませんけど… 夫が出てすぐにマイラが中から鍵をかけたと思ったかもしれませんね」
「室内から鍵は見つかっていない。殺された死体が楽屋に残されていたとすれば、鍵は犯人が閉めて持ち去って捨てた。と考えるのが一般的だ。だが誰一人鍵の所在を問題にしなかった。終盤、エラリーが『ペルク老人にただひとつ確認したいことがある』と言っていたのがおそらくそれだろうが、それきりになってしまっている」
「でも、実際はブリンカーホッフが持っていて、処分したということでしょうね」
「その考え方はブリンカーホッフの自供があって、そこから導き出される可能性のひとつにすぎない」
老人は巨大な結び目を一つこしらえた。
「次に当夜、反目しあっていた三人の男だけに、こぞってアリバイがなかったことも引っかかる。クイーン警視は、この三人全員に動機があると考えていた。色恋沙汰でいがみ合う男同士の殺意が、自分だけを愛さない女に向く、というのも、まあ、なくはないだろう。彼ら三人はマイラを恨む気持ちを共有していた」
ポリーは老人の方へ膝をつめた。
「三人にアリバイがないのは、三人が一緒にいたからだと考えることはできないかね。互いが互いにアリバイを証言するしかない状況にあって、それを証言できないのだとね」
「あなたは一体、なにを考えているのです?」
「それから、ブリンカーホッフの供述では、殺害は計画的だったはずだ。妻の不貞に耐えかねて、その日の夜を選んだのだ。なのになぜ、あのような衝動的な殺害方法をとってしまったのか」
「根が衝動的な男だったんじゃないんでしょうか。カッとして、頭に血が上って…」
「無論、ブリンカーホッフはそのとき、逆さまだったさ」
老人は、紐の端と端を結んで大きな輪をこしらえた。
「それから動機。女と金さ。この事件に金の方は出てきていないようだが、むしろこちらの方が根深いとわたしは思うよ。マイラは間違いなくやり手だった。一座の名前を当世風なものにしたり、新しいアクロバットを率先して開発して披露したり、団員の待遇改善にも尽力していたというじゃないか。マイラあってのアトラス一座だったのさ。みんなに愛されて、チヤホヤされてね。興行主だって、劇場支配人だって、「条件」ってやつをあまり好き勝手されるのはおもしろくないものだと思わないかね。新しいアクロバットの練習を持ちかけた夜、興行主は「契約」についての相談をマイラにではなく、ブリンカーホッフにしようとしている。それまではマイラが交渉ごとを行っていたと思わせる節がありながらだよ。これが意味するところは何か」
組紐の大きな輪の中ほどに、ゴツゴツした結び目がもうひとつできた。
「三つ目。この話のなかに一度だけ取り上げられて、それきり触れられない不在の男がいる。そいつは、夕方までアトラス一座の共同楽屋におり、その後どこにいったのか全く書かれていない。押入れに、おがくずと、道具箱が残っており、そこには鉄の重たいハンマーが一番上に載っていた。あの舞台大工というのは一体どこにいったのかな」
「まさか、あなたは」
老人がこれまでにできた結び目を強くしごいた。すると魔法のように結び目が消えて、ほっそりとした組紐がしなった。
「でも、結び目のB。横管の結び目はゴルジイが考え出した結び方でした。いくら舞台大工だからって、簡単に盗めるとは思いません」
「そのとおりだよ。あれはゴルジイにしか結べないんだ」
「え? でもブリンカーホッフが結んだって…」
「やつにあれが結べるものか。あのゴツゴツした巨大な指ではね。だが、公判では、結べるものを結べないふりをしているだけだといわれるだろう。しかし、結局あいつは無罪になるのさ。なにしろ、指の痕があわないのだから」
「そ、それではあなたが真犯人だというのは…」
「興行を見ていてマイラの虜になり関係を迫って断られたことに逆上し、今日はマイラが居残るという話を作業中に聞いて押入れかどこかに潜んで待ち、マイラを扼殺した後で、たまたま残されていた横管のゴルジイ結びを利用してマイラを吊るして置けば、疑いがそちらに向くと踏んで首吊りに仕立て、マイラが預かっていた鍵で鍵を閉めて逃亡した男。舞台大工が真犯人という筋書きだったのさ」
「ま、まさかそんな…」
ポリーは、あまりに意外な指摘に、しばらく呆然としていた。老人は紐をぶんぶんと回して色の変化を楽しんでいるように見えた。
「と、いうのが彼らのプランBだったということさ。だが無能な警察のせいでプランCに変更しなければならなくなった」
しばらくして、老人がそうつぶやいた。ポリーは目を白黒させた。
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