エイフリルフール

春日千夜

エイフリルフール

 四月一日。わたぬきではない。シガツツイタチだ。

 いつもは嫌われ者のはずの嘘が、大人気になる日だ。「今日のBBCは何をやるのかな」って、誰もが期待する。そんな日に、まさかこんな事が起こるなんて、誰が想像しただろう。


 世界から、半濁音が消えた。


 半濁音。これを今説明するのは難しい。なぜならば、すでに存在しないからだ。

 小麦粉を練って焼いた食品は、「ハン」になった。

 卵を使った蒸し菓子は、「フリン」になった。

 ほら、こんな風に説明しようとしても、半濁音が出てこない。音声だけでなく、文字にすらならないんだ。きゃりーはみゅはみゅなど、今頃真っ青になってるだろう。


 半濁音が消えたのは、日本だけではなかった。各国の言語からも、半濁音を現す文字まで綺麗さっはり消えたのだ。

 世界的有名歌手、ホール・マッカートニーの名前は、「aul McCartney」になってしまった。

 フランスの首都、ハリは、「aris」になってしまった。

 もうこうなったら、ホールはオールになるし、ハリはアリだ。名前の呼び方ひとつでも、混乱さが分かってもらえると思う。


 変化に気付いたのは、四月一日を迎えた場所に住む人々からだった。

 世界には時差がある。その変化に気付いた人々は、ネットを通じて世界中に発信した。しかし今日は四月一日。エイフリルフールだ。皆、嘘だと思い、実際に半濁音が消えるまで、誰も動こうとはしなかった。

 特に日本での反応は薄かった。半濁音が消えた事に気がついても、その重要性は分からなかったのだ。半濁音があるのは外来語や擬音、擬態語ぐらいだと、皆、思い込んでいた。それは俺も同じで、ハチンコ屋の看板を見ても「ハが消えるよりずっとマシだな」ぐらいにしか思わなかった。


 俺はいつも通りに出社し、いつも通りに仕事を始める。


「斎藤。資料の2ヘージ目、コヒーしといてくれ」


 ぶっと、斎藤が噴き出し、俺も苦笑いを浮かべる。こんな感じで、日常に入り込んでいる外来語は笑いに変わった。

 そうして時間はあっという間に過ぎ、時刻は十一時半を指そうとした。日本中が待ち望む一大イベントの時間が近づいていた。部長が、おっと声を上げた。


「そろそろじゃないか。生放送、ネットで見れるよな?」

「部長。仕事中ですけど、いいんですか?」

「気にするな。新しい元号が何になるのか、知りたいじゃないか。文書の日付にも関わるから、これも仕事のうちだ」


 そう。今日は平成最後の四月一日。天皇陛下が譲位の意向を示され、来月には皇太子殿下が新天皇として即位されるのだ。

 部長は、テレビ局の動画サイトを開く。俺も含めて、皆で部長のハソコンを見つめた。斎藤が、また噴き出した。


「新元号特別スヘシャルとか……!」


 斎藤の腹筋は、今日一日で相当鍛えられそうだなと、のんきに思いながら、俺たちは官房長官が画面に映り込むのを眺めた。官房長官は、ゆっくり口を開いた。


「えー。それでは、我が国、ニッホンの……ん? ニッホ……ニッホン……!」


 俺たちは、ハッとした。

 日本。漢字で書けば、たったそれだけの文字。だが、ニッホンとニホン、二種類の読み方がある事に気がついたのだ。

 官房長官も、半濁音が消えた影響だと気づいたのだろう。小さく咳払いをすると、平静を装い、話を続けた。


「えー。平成に続く、我が国ニホンの新元号をハッヒョウしま……ハッヒョ……ハッヒョウ……!」


 発表。漢字で書けば、たったそれだけの文字。しかし、そこには半濁音がいた。とんだ伏兵だ。斎藤だけでなく俺たちも、中継画面に映る記者たちも、腹がよじれるほど笑った。

 これほど笑うエイフリルフールが、これまであっただろうか。新元号の記者会見は、爆笑の渦の中で終わった。肝心の新元号が何だったのか、俺たちの記憶には残らなかった。


 こうして世界中を混乱に叩き落とした謎現象だったが、四月二日が訪れると同時に、まるで嘘のように元どおりになった。結局あの日は何だったのか。誰にも何も分からない。しかし、笑いに包まれた新しい元号が作る日本の世の中は、きっと楽しいものになる。俺たちは、そんな希望を胸に抱いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エイフリルフール 春日千夜 @kasuga_chiyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ