湖水地方に建つ寄宿舎で育つ主人公は魔術を使わせてもらえない「落ちこぼれ」。彼女の元にある日宮廷魔術師の男が訪れ、彼女は女王の「娘」であると告げる――
そんな説明をしてみれば、目くるめく絢爛な物語が思い浮かびますが、さにあらず。
主人公は激痛を伴う致死性の遺伝病を患い、死を逃れるために女王の継承権を手に入れねばならないと告げられ、もう一人の女王候補との継承権争いに身を投じることとなります。
彼女に関わる男たちは美しく有能で、それと天秤にかけてもどうしようもないぐらいことごとく女王の思い出に呪縛された者ばかり。女王に重ねられ、戸惑いながらも生きるために柔軟に立ち回る主人公のしなやかさには、そこだ、やれ!という応援を惜しまず捧げたくなります。
そこに隠された秘密もあり、明かされていく経緯はハラハラと息を詰めるようなもの。
舞台は、汽車が走り、また魔術があり、遺伝情報を編集し、データサーバーめいた『門の島』をもつ神聖王国アケイシャ。想像を刺激する単語の使い方には胸を鷲掴みにされること間違いなし。硬質な筆致で綴られる、美しいと悟れるのに、絶対に曇天だと確信できるような風景描写にもまた一見の価値ありです。
(「魅せる世界観×応援したくなる女の子」4選/文=渡来みずね)
生体干渉魔術によって人工的に生み出された、女王の継承者。
王位を継ぐべく育てられた少女と、「失敗作」として女王の血統についてまわる遺伝病と闘いながら生きる少女。
圧倒的存在感を放つ偉大な女王に魅了されていた男たちは、女王の継承者たる少女にかつての女王を重ね合わせる。
そうした周囲の目に対して、ふたりの少女は異なる反応を示す。
主人公は「失敗作」のほう。
生き延びるために本音と戦略を天秤にかけて柔軟な対応をしていく様は、もうひとりの少女にはない強さだ。そこに惹かれた。
女王、魔術、遺伝病。
これらが密接に関わり合う世界観も違和感なく読ませてくれる。
甘くてドキドキする場面もあり、とても楽しい読書時間だった。
落ちこぼれの少女エリファレットの日常が崩壊し、突如として女王位を争うことになる怒濤の時間を描いた小説です。
これほど短い期間に、エリファレットは見知らぬ他人から向けられる愛情・憎悪・殺意・執着……少女の未熟な心ではとても受け止めきれない数々の濃密な感情を押し込められてゆく。
想像するだに気色の悪い状況でしたね。
そしてそのすべての原点として根差す、エリファレットという人間の生への疑惑。
それはエリファレット自身のものでもあり、周囲の男たちから向けられるものでもある。
エリファレットの視点で読んでいくからまだいい。
しかしもしも違ったら?
もしも違ったら、この小説は本当に救いがなかったし、エリファレットはまったくわけのわからない人物であったと思います。
そういうわけで、エリファレットの、揺らぎつつも「生きたい」「私はエリファレット・ヴァイオレットである」という思いに縋るように読み進めました。
彼女の未熟で定まりきらないからこそ柔らかくしなやかに、強かになっていく心が、物語を導いていきます。
死んでも蘇るという究極の柔軟性。
力こそパワーの獣世界から一歩進み出たものすごい自己犠牲も感じたのですが、エリファレットのしなやかさは見事でしたね。
これは揺らぎのある人物でなければたどり着けない結末だと思います。
ともすれば「強く」「強く」「もっと強く」と女たちに要求しまくり、多様性をうたいながらもシャカイの「一貫性ゲーム」で価値判断をする今(というか私には)、エリファレットの在り方、この揺らぎを肯定することは絶対に必要なのだと思わされた次第です。
ところで私も人間なので、ある時間をたいへんに美化して思い返すことがたびたびあります。
そしてしばらく浸ってから、「いやいや……」と思うわけです。
しかし「いやいや……」と我に返ることのないうえに、その美しい「あの頃」を取り戻すために全力を尽くしてしまう無闇に有能な男たちがエリファレットを囲んでいるんですね。これは苦しい。
その「いやいや……」要素として、怒りに満ちたもうひとりの主人公・エグランタインが鮮やかに描き出されています。
彼女が何度ビンタを食らわせても、男たちは我に返らない。
エグランタインの目に、エリファレットでさえも自らを責め苛むものへと迎合してゆく敵のように映ったことは、ものすごく納得感がありました。
彼女は他者の、そして時には自らの身体を傷つけることで主張しつづけたもうひとりの主人公で間違いありません。
エリファレットはエグランタインの敵ではない。
それをわからないエグランタインが悪いのではない。
彼女がラスト間近で発するセリフは、どれも切実で、この物語に登場する男達や、エリファレットの揺らぎをも糾弾する素晴らしいものでした。
そのセリフがなければ、エリファレットも、男たちも救われない。
そしてエグランタイン自身も。
エグランタインのこれから歩む道はまさに荊の道であり、彼女はまたしても自分を傷つけ続けることになる。しかし自らに課した試練であるということが、彼女を真っ直ぐに強くしていく。
荊に身を晒し、己の求める己になろうとしてゆく彼女はとても美しいだろうと思います。
総じて非常にしんどい要素の多いお話ではありましたが、同時に「美しい時」を常に懐古させて、ドキワクと刺激をくれる物語でもありました。
何かというと、魔術の詠唱、描写や設定ですね。
あの頃オタクだった私。中学生の私。いまちょっと恥じらいながらも「やっぱりいいな」と思う私。
全私が鼻息を荒くしていました。
面白かったです。
自分が「誰か」であることって、あまりに当たり前な気がしているけれど、実際はとても相対的なものなのかもしれません。
誰の前にいるかによっても、何をしているかによっても、自分というものは少しずつ形を変え、移ろっていきます。
それなのに自分という存在が一定である気がしているのは、実は不思議なことなのだな、と私はこの作品を読みながら思いました。
もしかしたら自分という不確かな存在を自分自身にしているのは、ささやかだけれどこれ以上ない強い願いなのかもしれない、と。
主人公のエリファレットは、もはや図太いとすら言える安定した人格の持ち主なのですが、自らの出生の秘密に迫るほどに、他者からの「誰か」であれという望みの渦に巻き込まれていきます。それは、エリファレットという個人を腹の立つほどに無視した勝手な願いですが、エリファレットはその「役割」を演じることで己の道を切り開こうとしていきます。
もう、この時点でカッコ良すぎるんですよ。自分を生かすためとはいえ、こうも傷つきそうな道を選ぶなんて、なんて強いんだろうエリファレット……強すぎて心配になる……。
しかし、強くて強くて強いのに、エリファレットはどんどん誰だかわからない存在になっていきます。それほどまでに周りが「誰か」であることを彼女に願う訳も、彼女は知っていくのです。エリファレットという個は、どんどん形を失い、ささやかなものになっていきます。
でもやっぱり、彼女はどうしようもなく彼女自身でしかないのです。
彼女は別の「誰か」を演じるほどに、漸近するほどに、そのあまりに曖昧で、不確かな「自分自身」を、強く意識していくように思えます。
どれほど周りが望もうと、彼女が彼女であることを誰も変えられない。
それがエリファレットにとってどういう意味を持つかはまだわかりません。けれど、私にはそのことがどうしようもなく貴いものに思えます。
誰にも奪えないものがあってほしい、そう願ってしまいます。
『薔薇鉄冠』は、そんな、かつて少女だった私たちの切なる願いをこれ以上ない形で拾い上げてくれている気がします。
誰もが誰かにとっての誰かであること、それ以上に、私たちが私たちにとっての「自分自身」であればいいのに、と願いながら、この作品の終わりを見届けたいと思います。