私に必要な物語

吉晴

私に必要な物語

「ママ、それで?

それでどうなったの?」


目を輝かせる息子に、私は眠たい頭に鞭打ってフル回転させる。


「ええっとね、猫のタマはそのあと、ネズミのチュースケを助けるために、川に飛び込みました。

必死に猫かきをしてね、助けに行くのよ。」


「ぷっ!

猫だから猫かきしかできないんだね!」


「そうそう。」


毎晩寝る前に物語を聞かせることが、いつの間にか我が家の習慣になっていた。

思えば私もいつもそうしてもらっていたっけ。

絵本では少し物足りず、文字だけの本では飽きてしまう、微妙なお年頃。

母の語る世界でたった一つの物語は何よりも面白かった。

電気を消した天井は真っ暗で、星をつないで星座を作るように、母の言葉で物語を追いかけたものだ。

息子もちょうど、そんな年。


母になって初めて知った。

これ、すごく大変。


特に仕事をしている私にとって、夜の物語の用意は至難の業。

昼食を食べながら確認していた資料に載っていた三毛猫の写真が今日の物語の主人公、「猫のタマ」である。

本当に、猫の手も借りたい、とはこのことだ。

・・・実際借りているのだけれど。


「タマはやっとこさっとこ助けたチュースケに怒って言いました。

『もう私の目の届かない所へ消えておしまい!

次に目の前に現れたら迷わず食べちゃうんだから!』

ずぶ濡れネズミはしょげ返って、一つ頭を下げて言いました。

『タマさん、今までありがとう。

この御恩、一生、忘れません・・・。』

チュースケは、チューっと走って、タマの前から・・・永遠に姿を消しました。

それから、タマはどんなに好きでも・・・ネズミを、食べることは・・・ありませんでした。

・・・おっしまい。」


私の頭は寝る寸前まで来ている。

まだ洗濯物を畳んでいないし、朝ごはんの準備も途中。

仕事も持って帰っているのに、だめだ、このまま寝てしまう。


「次!!」


ところが有難いことに、その眠気は息子の大きな声で吹き飛ばされた。

だが彼の言うことは有り難くない。全くだ。


「ええっまだ寝ないの?」


「次次次!!!」


「明日の朝起きられ・・・」


「つぅぎぃぃぃぃ!!!!!!」


「はいよ!!!

分かったもう!!!」


眠りかけていた頭をフル回転させて、物語を考える。

ええっと、そうだな、明日はまず資料をできたところまで印刷をして、上司に確認を依頼して・・・

・・・だめだ、うまくいっていない仕事のことばかりが出てくる。

今の仕事は正直向いていなくて、とにかく時間がかかる。

お給料をいただいている身、仕事の向き不向きなんて考えるべきではなく、与えられた仕事を精一杯するべきだ、ということは、十分わかっている。

分かっているのだ。

分かっているが、失敗も多いし、周りに迷惑をかけてばかり。

息子のお迎えもあるから、独り身の時のようには残業もできない。

保育園に行き始めたばかりの息子は体調を崩しがちで、それがかわいそうで傍にいてあげたいのに、職場に迷惑をかけることが心苦しいという板挟み。

結局あれこれ言い訳をを並べたけれど、実際問題重要な会議が近いというのに、準備が不十分。

とにかく頭が痛い、時間が足りない。

私って昔からそうなんだ、愚図で、どんくさくて、協調性がなくて、周りに迷惑をかけてばかりで、それからそれから・・・。

いろんなことで煙を吹きそうな私の顔を見て、息子は尋ねた。


「ねぇ、おじいちゃんがママにしたお話、してよ。」


真ん丸のキラキラとした瞳が見上げてくる。

子どもの目って、どうしてこんなに澄んでいるのだろう。


「え?おじいちゃん?」


仕事一徹だった父に寝かしつけをしてもらった記憶はないし、もちろん物語を聞かせてもらった記憶もない。

父が帰ってくるのはいつも私が寝てからで、仕事に行くのはいつも私が起きてすぐだった。

休みなんて滅多になかったと思う。

たぶん休日は接待があったのだろう。

今の言葉でいうところの、社畜だ。

だから私は、玄関で靴を履いて出ていく父の背中ばかりを記憶している。


「前ね、おじいちゃんお話ししてくれたの。

おもしろかったんだぁ。

ママに昔してあげた話だって言ってたよ。」


その言葉に、はて、と考え込む。

あの仕事一徹の父がそんなことあっただろうかと。


「どんなお話だったの?」


「あのね、チビコっていうウサギのお話。」


チビコという名前に、私はあっと思い出す。

私は末娘で、家ではずっとチビコと呼ばれていたのだ。

甘えたで愚図で寂しがり屋のチビコのお話は、確かに聞いた覚えがある、が・・・どんな物語だったやら。


昔の記憶を必死にたどる。


「ウサギのチビコは仲間のウサギを探す旅をしていました。

独りぼっちで寂しくて、それはそれは泣き虫でした。」


息子がすらすらと語る。

そうだ、確かそんな始まりだった。

おぼろげな記憶が戻ってくる。


「その上大変どんくさいので、木の根っこに躓いては転んで泣き、階段から足を滑らせては泣き、毎日毎日大泣きです。

おめめはもちろん真っ赤っか。

周りにはいつも涙で水たまりができていました。」


息子がこんなにすらすらと物語を語るカタルことが出来るなんて今まで気づきもしなかった。

子どもは知らないところでどんどん成長しているんだなぁと、なんとも感慨深い。

・・・じゃなくて、そうだ、父はその後こう続けていたはずだ。


「チビコが独りでトボトボ歩いていると、カメがやってきました。


『やあーやあー、チビコーちゃん、今日こそー、かけっこをー、してーみないーかーい?』


カメさんは間延びした声で言いました。


『やあやあカメさん、やめておくわ。

私、かけっこは苦手だもの。』


そうしてチビコは泣きました。


『誰でもー、苦手なーことはー、あるーもんさー。』


カメは笑って歩いていきました。

ええっと次は・・・」


「次はタヌキ!」


「そうだそうだ。

チビコが独りでトボトボ歩いていると、今度は向こうからタヌキがやってきました。


『これはぽんぽこ、チビコちゃん、ご機嫌いかが?』


『これはぴょんぴょん、タヌキさん、今日は間違えてハライタダケを食べちゃって、おなかの調子が悪いのよ。』


そうしてチビコは泣きました。


『おやまぁまぁまぁ、そんな日だってあるもんさ。』


タヌキは笑って歩いていきました。

ええっと、次は・・・」


「サメ!」


「そうそう、チビコが独りでトボトボ歩いていると、岸にサメがやってきて言いました。


『おういチビコちゃん、そろそろ10まで数えられるようになったかい?』


『これはサメさん、だめよだめ。

難しくって数えられないわ。』


そうしてチビコは泣きました。


『心配するな、私の仲間は100匹もいるから、数える練習にもってこいだよ。

いつでもおいで。』


サメは笑って泳いでいきました。

そうしてチビコは独りきり。

仲間のウサギを探しています。


『あーあ、独りぼっちは寂しいなぁ。』


チビコはついに岸辺に座り込んで泣きました。

すると水面に一匹のウサギが泣いているのが見えるではありませんか。


『わぁ!仲間だ、やっと仲間がいた!!』


チビコは喜んで水に飛び込みました。

ところがです。

水は深くてチビコの足は届きません。

さっき見えたはずの仲間の姿もありません。

水を飲んで、息が苦しくて、死にそうです。

でももがけばもがくほど岸から離れていきます。


『助けて!』


チビコは必死に叫びました。

するとチビコの体がふわりと浮きました。

足の下を見るとサメがにっこり笑っているではありませんか。


『大丈夫かい、チビコちゃん。』


『ありがとう、サメさん。』


サメは岸まで運んでくれました。

岸ではカメが待っていて、チビコの手を引いてサメの背中から岸に渡るのを助けてくれました。


『大丈夫だよ、チビコちゃん。』


『ありがとう、カメさん。』


するとタヌキがやってきてふさふさの尻尾でチビコの濡れた体をふいてくれました。


『ほら元通りだよ、チビコちゃん。』


『ありがとう、タヌキさん。』


そうしてチビコは泣きました。


『おやおやどうして泣くんだい?』


3匹は慌てて聞きました。


『だって、だって、だってね・・・』」







いつの間にか隣で息子は寝息を立てていた。


「あーら、感動のフィナーレなのに。」


無邪気な寝顔をそっと撫でる。

そうだ、息子くらいのころ、私はこの物語が大好きだった。

大好きだったのに、どうして忘れちゃっていたんだろう。


「思い出させてくれて、ありがとう。」


息子の寝顔にそっと囁く。


「・・・どういたしまして。」


寝言だろうか、むにゃむにゃと布団にもぐる様子に思わず破顔する。


「さ、洗濯物と朝ごはんの準備と仕事、片づけなきゃ。」


ごそごそと布団から出る。






***






『私は何にもできないもの。

みんなに迷惑をかけて、一人で泣いてばかり。』


声をあげて泣くチビコに3匹は笑って言いました。


『泣いてちゃなんにも見えないし聞こえない。

笑ってごらんよ、チビコちゃん。』


『ドジで泣き虫なチビコちゃん、笑うことから全ては始まるんだよ。』


『笑うーことならー、チビコーちゃんにもー、できるーはずだー。』


チビコはきょとんと3匹の顔を見ました。


『笑う?』


『そう。

ほら!』


タヌキがしっぽでくすぐると、チビコはうふふと笑いました。


『ほーら、楽しいだろう?』


言われてみるとなんだか気持ちが明るくなったような気がします。


『だーいじょーうぶだよー。』


カメがのんびりと言いました。

その言い方がおかしくて、チビコはまた笑いました。


『大丈夫さ!』


ぽんぽこぽん、というタヌキの腹鼓はらつづみが楽しくて、チビコはまた笑いました。


『大丈夫だ!』


サメがジャンプした飛沫がかかって、チビコはつめたぁい、とまた笑いました。

そしてチビコは元気に一つ頷きました。








「大丈夫、大丈夫。」


そう呟いて、私も笑う。

ふさぎこんでばかりじゃ何も見えないし聞こえない。

こんな状態じゃ仕事にならないはずだ。

私はもうあの頃の、仲間を探していたチビコちゃんではないのだから。


仕事一徹だと思っていた父の優しい笑顔を思い出す。



「次の休みは、お墓参りに行こうかな。」



窓の外で鳥がはばたく音がした。

夜は静かに、更けてゆく。

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私に必要な物語 吉晴 @tatoebanashi

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