心の底から祝えないときがあったっていい

カユウ

第1話

「『祝う』のと『呪う』のってさ、紙一重だよね」


「……っ、ゲホッゲホッ……なにを唐突に」


急に耳に飛び込んできた衝撃的な言葉に、俺は飲んでいたビールにむせてしまった。

唐突に言葉を発したのは、同じ職場で働く上山さん。

シングルマザーで保育園に通う娘さんが一人いる。

上山さんと一緒に取り組んできた案件が終わり、珍しく彼女から打ち上げをしようとお声がけいただいたのだ。

そのつつましい打ち上げの場での唐突な言葉。


「西村くんがいつも言ってる本質で考えるとね、『祝う』も『呪う』も、相手を想って祈ることになるんだよ。その願いがポジティブなのか、ネガティヴなのか。もっと言えば、自分に関係しないのか、関係するのか。そういう違いなのよ。となると、『祝う』も『呪う』も紙一重じゃない?」


「じゃない?って言われても。呪われることはあったかもしれないけど、呪ったことはないからなぁ」


つまんだエイヒレを突きつけて力説する上山さんの言葉をそっと横に流し、再度ビールを飲む。

西村、とは俺だ。

IT系企業で、プロジェクトマネージャーを主な役割としている。

今日、打ち上げをしている案件は、俺がプロジェクトマネージャーとしてお客様の対応をし、上山さんがエンジニアとして設計や実装を進めてくれたものだ。

上山さんは時短勤務の限られた時間の中、素晴らしい成果を出したことでお客様に評価され、次案件の受注も決まったのだ。


「ポジティブか、ネガティヴか、はわかるよ。上山さんの言う自分に関係するかしないかってどういうことです?」


問いを投げつけて俺はエイヒレのかけらを口に放り込む。

メニューに視線を落としていた上山さんは、俺の問いに顔を上げた。

身長160cmくらいという自己申告の上山さんは、少し前に髪をばっさりと切り、耳が隠れるくらいのショートカットにし、ダークブラウンに染めたらしい。

らしい、というのはこの案件で一緒に働くまでフロアが違ったり、俺が外を見る飛び回っていたりしたため、顔を合わせる機会がなかったのだ。

彼女が結婚するまではたまに何人かと飲みに行くこともあったが、結婚してからはほぼなくなった。

彼女が産休、育休から復帰してからは、時短勤務が続いており、飲みに行くことはなかった。

線が細く、童顔な上山さん。

身長180cm近くあり、大柄で老け顔の俺。

二人で並ぶと、俺のほうが年上に見られるのだが、実は上山さんのほうが一つか二つ年上なのだ。

いろいろな目を気にして、職場ではお互いに敬語で話しているが、こうして職場を出れば気さくに話してくれる。


「考えてもみてよ。『祝う』のはどこまでいっても他人事。わたしが結婚したとき、西村くんも言ってたじゃない。おめでとう、お幸せにって。幸せになるのはわたしだし、わたしが幸せになったところで、西村くんにはメリットもデメリットもないでしょ」


喉を潤すようにビールをごくごくと飲んで一息ついた彼女は、タッチパネルのメニューを素早く操作して、何かを注文した。


「言われてみれば、たしかにそうですね。ま、おめでとうって言うときにメリット、デメリットまで考えたことないけど」

上山さんが置いたタッチパネルのメニューを取り、次の飲み物を選びながら同意する。


「でもね、『呪う』のは自分に何かしらメリットがあるでしょ。その人がいなくなれば、気持ちや仕事が楽になる、とかね」


上山さんは、タコわさの器に手を伸ばしながら説明を続ける。

改めて思うけど、この人は本当に美味しそうに飲んだり食べたりする人だよな。

昼休みに一緒にランチに行くこともあるが、上山さんを指して、彼女が食べているものと同じものをって注文しているのを何度か聞いたことがある。


「うーん、言われたことはわかるんですけどね。『祝う』のはその人におめでとうっ

て言うだけで終わりますけど、『呪う』のっていろいろやらなきゃいけないからコストパフォーマンスは悪いんじゃないですかね」


やっぱり次もビールにしようと思ってメニューを操作しながら、返答する。

ちらりと彼女の顔をうかがうと、難しい顔をしていた。

こういう顔をしているときの上山さんは、思っていることがあるときだ。


「で、今度は何を抱え込んでるんです?一発逆転、すべてがハッピーエンドになる銀の弾丸はないですが、一番マシだと思える案くらいなら出せるかもしれませんよ」


メニューを置き、半ば身を乗り出すようにして話を聞く姿勢を作る。

それぞれが注文した飲み物や料理が届く間、上山さんは口を開いたり閉じたり。

聴く姿勢を維持したまま、店員さんから飲み物や料理を受け取ってテーブルの上に並べる。

注文したものがすべて届いてからしばらくして、上山さんは大きく息を吐いた。


「元旦那がね、再婚するんだって」


それだけ言うと、ビールをごくごくと飲み、テーブルの上に三度並んだ食べ物に箸を伸ばす。


「西村くん、ビール」


「あ……ああ。はいはい」


先程以上に衝撃的な言葉に意識を奪われていた俺は、上山さんの声で現実に復帰する。

言われた通り、自分の分も含めてビールを注文する。

上山さんに負けじとビールを飲み、食べ物に箸を伸ばしていく。

頼んだビールが来るころには、お互いのジョッキは空になっていた。


「この前の面会日の別れ際に言われたのよ。再婚しようと思ってるって。わたしが反対するなら再婚はしないし、再婚しても養育費の支払いはちゃんと続けるってね」

新しいビールを一口飲んだ上山さんは、ポツポツと話し始めてくれた。


「いつになってもいいから賛成か反対かを教えてほしいとも言われたわ。いつまでもわたしの回答を待つし、相手の女性には全部話してあるから、会いたいなら会ってほしいとも、ね」


両手でビールジョッキを持ち、視線を下に向けたまま話す上山さん。


「その話をしてるときの元旦那の顔がね、わたしが今まで見たこともないくらいすっごい幸せそうでね。わたし、ちょっとパニックになっちゃって、返事もそこそこに娘を連れて帰ったの」


先程とは打って変わって、上山さんは神妙な雰囲気でゆっくりとビールに口をつけた。


「笑っちゃうよね。立ち直ったんだね、おめでとうっていうお祝いと、わたしたちを置いてっていう恨みとが混ざって、ぐちゃぐちゃになっちゃったの」


「急に言われても整理つかないですよね。上山さんがそうなっちゃったのも仕方ないですよ」


急に神妙になった上山さんにつられて、俺もビールを一口飲む。


「わたし、どうしたらいいと思う?」


「そうですねぇ、上山さんは元旦那さんに再婚してほしくない?」


しばらく固まったあと、上山さんはゆっくりと首を左右に振った。


「心の底からお祝いできそう?」


もう一度、上山さんはゆっくりと首を左右に振った。


「なら、お祝いも呪いも、両方伝えましょうよ。例えば、水をぶっかけてから、笑顔でおめでとうって言うとかね」


「……そうね。そうよね。どちらかに傾けるなんてできないんだもの。両方伝えるのがいいよね」


うんうん、とうなずき、上山さんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「うん。西村くん、ありがとう。君はホント頼りになるなぁ」


「……そりゃあね。上山さんが全力で働けるようにするのが、俺の仕事ですから」


嬉しそうな上山さんに、ついドキリとしてしまったのは、バレていないと思いたい。


「よし、今日は飲むぞー!」


「おー!」


後日、上山さんは元旦那さんにバケツ一杯の水をぶっかけてから、満面の笑みで『おめでとう』と言ったそうだ。

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心の底から祝えないときがあったっていい カユウ @kayuu

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