第4話 島沢尚斗 4

 プロポーズは二週間後に。と言われた。


 …ああ、面倒だな。

 と、内心思った。

 俺的には、盛り上がった瞬間にパパっとやってしまいたかったのに。

 愛美は、まだどこか夢見がちなのだろうな…と思った。


 …こんなので、俺達上手くいくのか?



 そして、やって来たプロポーズ当日。

 ぶっちゃけ、仕事から帰るのが嫌だった。

 何も決めてなかったから。


 …顔を見て、その瞬間に想った事を言うしかない。



 家に帰ると…愛美はいつもと変わりなく、晩飯の支度をして待ってくれていた。

 二人でゆっくりと食事して…俺は、心に決めた。



「愛美。」


「…何。」


「こっちへ。」


 愛美をソファーに座らせる。

 そして…ピアノの前に座って、弾き始めた。


 英雄ポロネーズ。


 怖くて愛美の顔は一度も見なかった。

 こんな、他人のネタをどうするつもりだ!!って叱られるかもしれない。


 マノンがるーちゃんのために弾いた事は、有名な話だ。

 …俺は、マノンみたいに苦労せず、これが弾けてるわけだし…



 弾き終えて、賢人に視線を落としたまま口にする。


「…何だろうな…これが弾きたくなった。」


「……」


「愛美…ずっと、寂しい想いをさせて…本当にごめん。」


「……」


 愛美は、ずっと冷たい顔をしてる。


「これから…もし、俺達にこれからがあるのなら…本当に、なんでもする。愛美の言う事、なんだって…言う事聞く。だから…」


 俺の言葉を無言で聞いてた愛美は、突然大きな溜息をついた。


 …今の溜息は…

 ちょっと傷付くぞ?


 愛美はソファーから立ち上がると。


「…どいて。」


 俺をピアノの前から押し避けた。


「え?」


「座ってて。」


「……」


 ソファーに座って愛美を見る。


 うちで愛美がピアノを弾いてる姿は…見た事がない。

 愛美はゆっくりと鍵盤に指を落とすと…


「え…」


 天使の曲を弾き始めた。


「……」


 途方に暮れた。

 愛美のそれは…決して上手くはなかったが…一生懸命さは…十分伝わった。

 俺がほったらかしてた間に…おまえ、一人で練習してたのか?

 分からないなりに…分かろうと努力してくれてたのか?


 …ダメだ。

 俺には、何の資格もない。

 下を向いてると…自然と涙が出た。

 ああ…何だろ、これ。

 俺、泣くとかいう感情、あったんだ。

 愛美の下手くそなピアノを聞いて、泣いてるなんてな…

 よく考えるとおかしいんだけど。


 …泣ける。

 泣けて、仕方ない。


 愛美はピアノを弾き終えると。

 うつむいたままの俺に向かって言った。


「…ナオトさんのピアノ、全然響かなかった。」


「……」


「ただ上手いだけのピアノを、あたしに聞かせたかったの?」


 …何を言われても仕方ない。


 俺…


 最悪だ。



 * * *



「ナッキー。」


 ミキサールームでFACEの新曲を聴きながら、漫画を読んでるナッキーを捕まえて。


「ちょっと…今いいか?」


 外に連れ出すと。


 適当に車を走らせながら、ナッキーに問いかけた。


「あのさ。」


「うん。」


「家に帰ったら、まず…何してる?」


「は?」


 俺の質問が意外だったのか、ナッキーは目を丸くして。


「手洗いうがいとかの事か?」


 笑った。


「…いや…帰ったら、さくらちゃんがいるんだよな?」


「ああ。」


「で、ただいま…と。」


「ああ。」


「で?」


「で?って?どこかにキスする。」


「……」


「それから、晩飯作ってるなら手伝うし。」


「手伝うのか?」


「ああ。さくらは昼間も家の事してくれてるわけだし。」


「……」


 ナッキー。

 俺に、おまえの爪の垢をくれ。


 うちは親父がそこそこに亭主関白だった。

 母は専業主婦で、家の事をやるのは自分の仕事。と言わんばかりに動き回っていたせいか…


『男は家の事はしなくていい』という、古臭い頭が俺にもある。


「…それから?」


 ハンドルを切りながら、話を続ける。


「え?それからって…まあ、飯食ったら一緒に片付けて…」


「…片付けも一緒に?」


「その分早く終わるし。」


「……」


「で、一緒にお茶飲みながら、その日にあった事を話したり…」


「お茶…」


「それから、まあ、それぞれシャワーしたり何かして…一緒にベッドに入って、リクエストがあれば子守唄を歌い合ったりして…寝る。と。こんな感じか?」


「……」


 何か聞きたそうだったナッキーは、結局何も聞かないでいてくれた。

 聞かれても…俺は困った顔をするしかなかった。

 コミュニケーション…全然取ってないよな…俺。

 結婚した頃は、確かに…もう少し話はしてたが…

 ナッキーみたいに、帰ってすぐにキスをしたり…家の事を手伝うなんて…


「俺、夫失格だ。」


 小さくつぶやくと。


「そっか?毎日ナオトが帰って来ると思ったら、俺が嫁ならそれだけで嬉しいね。」


 ナッキーは笑いながら言った。


「俺はナッキーみたいに、スマートにキスとか歌ってやるとかできないんだよな…」


「なんだ。そういうの気にしてんのか?」


「…何となく…」


「でも、ナオトにはピアノがあるだろ?」


「…ピアノ?」


「俺がナオトなら、毎晩弾くね。」


「……」



 その日は、帰って…キッチンにいた愛美の頭にキスをした。

 一瞬、眉間にしわを寄せられたが…文句は言われなかった。

 それから…片付けも手伝った。


 そして…


「愛美。」


「…何。」


「これ、俺が最初の発表会で弾いた曲。」


 そう言って…『子犬のワルツ』を弾いた。


「あ、これ知ってる。」


「連弾してみるか?」


「うん。」


 最初は冷たい顔が多かった愛美も…それから数日経つと、笑顔が増えた。



 愛美はピアノにも音楽にも興味がない。と、決めつけた…

 自分の妻を、自分でつまらない女性にしてしまうなんて。


 今からでも遅くないなら。

 ちゃんと…愛美と向き合って。

 …愛美の、俺の…二人の人生を、ちゃんと作って行きたい。




 ナッキーのおかげで、俺と愛美は夫婦として上手く生活できるようになってきた。

 もっとも、ナッキーは自分のおかげなんて思っちゃいないだろうけど。

 人に知恵を借りないと、どうしようもない俺だが…出来るだけの誠心誠意を持って、愛美に接しよう。



「あの…」


 ある日、久しぶりのオフで庭の手入れをしていると、遠慮がちに声をかけられた。

 振り向くと…見覚えのある、華奢な女の子。


「……もしかして、さくらちゃん?」


 Lipsで見たさくらちゃんとは、雰囲気が違った。

 なんて言うか…あれから二年経ってるはずなのに…


 若返った?



 今日は愛美は奥様会で、ゼブラの家に集合している。

 俺は、肩身の狭くなっているであろうゼブラに連絡をした。

 すると、そこからあれよあれよとミツグとマノンも集まった。


「…こちら、さくらちゃん。ナッキーの彼女。」


 今まで、存在には気付いていたものの…本人を見た事のなかった面々は、興味津々の顔。


「若いな~。」


「…16です。」


 …え。


 23じゃ?

 なぜ若返ってる!?


 ライヴバーで歌いたかったがために、年を誤魔化してた。と、打ち明けられた。

 それをナッキーは知らなかった、と。


 …出会った時、14…

 俺なら、ないな。

 絶対そう思う。


 …でも、ナッキーは21だと思って14歳のさくらちゃんと会ってたわけで…

 恋をしても、仕方ない…


 そのさくらちゃんは、天下のプレシズに出演すると言って俺達を驚かせた。

 が、しかし自分の立場は『当て馬』だ、と。

 そこで…俺達は、彼女のサポートを買って出た。

 誰でもない…ナッキーの愛するさくらちゃんだ。


 FACEの面々も引き込んでの、その企ては…意外にも盛り上がった。

 さくらちゃんの選曲もさることながら…アレンジ能力の高さにも驚いた。

 …ナッキーが刺激を受けるわけだ。



 ナッキーに秘密にしたままで、俺達はコソコソと計画を進めた。

 天下のプレシズ相手に『文化祭ノリ』は失礼だが、彼女を当て馬とした段階で…音楽への冒涜だ。

 見てろプレシズ。

 そして…楽しみにしてろ、ナッキー。


 俺達は、異様な団結力を持って、プレシズに挑むこととなった。






「さくら。」


 プレシズが終わって、俺達メンバーとさくらちゃんは、カプリで打ち上げ。

 FACEにも声をかけたが、奴らは遠慮する。と帰って行った。

 …まあな~…

 ナッキーとさくらちゃんのデレデレ具合を目の当たりにしたら…

 れんは耐えられないかもな。



 プレシズの会場で、廉がさくらちゃんを呼び捨てにしているのを聞いた。

 …なるほど、観察をしていると…あきらかに、さくらちゃんに恋してる目だ。

 しんもそれに気付いたのか、打ち上げを断って来たのは晋だった。


 確か、廉は高校時代…るーちゃんに熱を上げて。

 マノンから奪う。と息巻いたと聞いた。

 ま、そのおかげでマノンが奮起したんだから…ある意味廉は二人の盛り上げ役となったわけだ。



 それにしても…


「さくら、これ美味いぞ?」


「もう食べたよ?」


「…可愛いな。おまえ。」


 …もう食べたよ?と言っただけのさくらちゃんに萌えるナッキー…

 ナッキーに肩を抱き寄せられたさくらちゃんが、俺達に申し訳なさそうな顔をする。


「…こんなナッキー、初めてやなあ…」


 マノンが俺に耳打ちする。


「彼女、ボーカリストとしての素質もかなりの物だし、ナッキーが刺激されるのも無理はないさ。」


「それにしても…メロメロやな…」


 目の前のナッキーは、本当に幸せそうで。

 それを見ていると…俺も帰ったら愛美に優しくしようと思った。


 プロポーズをしてくれと言われたが、あれから俺は結局…何も言っていない。

 ただ、毎晩ピアノは弾いている。

 クラッシックだけじゃなく、出会った頃に流行っていた洋楽や、愛美が好きだと言っていた歌謡曲。

 何でも弾く。



 久しぶりに愛美を抱いた夜は…自分でも驚くほど、盛り上がった。

 今日、さくらちゃんが歌った『I Feel The Earth Move』を弾きながら、俺は愛美を思い出して…少しばかり悶々とした。

 たぶん、俺の愛は…ナッキーやマノンのような、燃え上がる熱とは違う気がする。

 だけど、俺なりに…愛美を愛していけばいいんだと思った。



 始終、ナッキーの愛の囁きを聞かされ。

 それはそれで楽しい打ち上げが終わり。

 家に帰った俺に…愛美が言った。


「…ナオトさん。」


「ん?」


「…あたしの事、好き?」


「え?」


 どうした?急に…と思いながらも。


「…ああ。好き…って言うか、愛してる。なぜ?」


 愛美の肩を抱き寄せて言うと。


「…妊娠…したみたいなんだけど…」


「…………え?」


「……もし、ナオトさんが…」


 子供が、できた。


 一瞬、頭の中が真っ白になったものの…


「やった!!」


「…えっ?えっ!?」


 俺は愛美を抱きかかえると、そこで三度回った。


「ちょっ…!!やっ!!ナオトさん!!」


「子供!!俺達の子供!!やったな!!」


「……」


 自分で自分の大声とテンションの高さに驚いたが。

 もっと驚いてるのは、愛美だった。


「…喜んでくれるの…?」


「当たり前だろ?」


「ナオトさん…」


 愛美は俺にギュッと抱きついて。


「…ありがとう…」


 小さくつぶやいた。


「それは、こっちにセリフだ。俺を…捨てないでくれて、ありがとな。」


「何よそれ…」


「…俺、もっと頑張る。愛美の事大切にして…家の事も、もっとするから。愛美は…健康に気を付けて、元気な赤ちゃんを…」


 ど…どうした俺…


「…ナオトさん?」


「…愛美…本当にありがとう…」


 情けないかな…

 俺は、泣いてしまった。

 愛美の妊娠報告。

 こんな不甲斐ない俺が、父親になるなんて。



 今日、ナッキーとさくらちゃんの溢れんばかりの愛に、当てられたんだな。


 …愛が。

 愛が、こんなにも大事だと…


 初めて知った。




 * * *



 それは…朝から曇っている日だった。


「珍しいなあ…ナッキーが遅刻とか。」


 マノンが時計を見て言った。

 確か、明日から生まれ故郷に旅行のはず。

 今日は、来月末のイベントに向けての打ち合わせがある。

 こうした事に、絶対遅刻なんてしないナッキーが…


「電話したか?」


「誰も出ない。」


「…俺、見て来る。」


 心配になった俺は、事務所を出た。



 バーク公園の東の丘の上に、ナッキーのトレーラーハウスはある。

 来た事はないが…場所は知っていた。


 車を停めて、似たようなトレーラーハウスを回りながら…


「…ナッキー…?」


 ギョッとした。

 トレーラーハウスの前、そこに見えた姿は…確かに…ナッキー…なんだが…


「お…おい、ナッキー?」


 裸足で、虚ろな目で…口は空いたまま…


「何があった?」


「……」


「…さくらちゃんは?」


「……」


 問いかけに、何も答えないナッキー。

 俺はトレーラーハウスの中に入って、その姿を探す。


 …いない…

 ただ…

 寝室に、旅行用のトランクがあった。


 …これは、ナッキーの分だ。

 …さくらちゃん…のは?



 事務所に連絡をして、とりあえず…ナッキーを休ませた。

 …こんなナッキーは…初めて見る。

 まるで廃人だ。

 目の色さえ…違って見えた。


 しばらくすると、心配したマノンが駆け付けた。


「どういう事や?」


「…それが、分からないんだよな…」


 明日リトルベニスに旅立って…挙式すると聞いていた。

 幸せ以外の何物でもない、と。


 マノンを残して、一度事務所に戻った。

 家出なのか…事件性があるのか…さっぱり分からない。

 警察に届ける前に、カプリに問い合わせてみる事にした。



「…辞めた?」


『さっきスタッフが手紙を見付けたんです。急に国に帰る事になったから、辞めると書いてありました。』


「…国に帰る?」


 日本に…って事か?

 電話を切って、顔を上げると…


「うわっ…あ…ビックリした…」


 目の前に、周子さんがいた。


「…何かトラブルでもあったの?」


「え?」


「夏希に用があるんだけど、見当たらないし…」


「あー…」


 俺は口に手を当てて考える。

 …この人、さくらちゃんの事…知ってるのか?


「ナッキーは、オフなんだ。」


「あら…明日からって聞いてたけど。」


「聞いてた?」


「ええ。旅行でしょ?」


「……」


 周子さんに、そこまで話してたのか?

 まあ、子供の事で連絡は取り合ってたんだろうから…話してても不思議はないけど…


「あっ、ナオト!!さくらちゃん、見つかっ……あ。」


 背後から走って来たゼブラがそう声をかけて。

 俺で見えなかった周子さんを見つけて、言葉を飲み込んだ…が、遅かった。


「…見付かった…?さくらちゃんって、夏希と暮らしてるあの子?どうしたの?」


 周子さんが、俺に詰め寄る。


「…いや…」


「何なの。」


「……」


 いつかは、知られる…か。


「…いなくなって…」


「…え…」


「ナッキーは…もう…見てられないような状態だよ…」


「……」


 周子さんは、眉間にしわを寄せて『まさか…』と小さくつぶやいた。


「…何か知ってる?」


 周子さんの目が泳いでるような気がして、低い声で問いかけると。


「あたしが…なぜあの子の事を知ってるって言うの…」


 力のない声で…周子さんはそう言った。



 だけど俺は。

 さくらちゃんがいなくなったのは、周子さんとの間に何かあったんじゃないか…と思わざるをえなかった…。




 さくらちゃん。


 どうか…


 ナッキーの元へ…


 帰って来ておくれ。



 君がいないと…





 ナッキーは、歌えない…。



 28th 完

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いつか出逢ったあなた 28th ヒカリ @gogohikari

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