第2話 島沢尚斗 2
それから二年。
俺達に、アメリカデビューの話が持ち上がった。
マノンやナッキーはプロになる。と断言していたが、俺はどこか他人事のように聞いていたかもしれない。
実際、俺には『もしデビューできなかったとしても』の就職先もあった。
結構ずるい奴だ。
だけど、相変わらずバンドメンバーの事は好きだった。
好きというと怪しく聞こえるが、本当に微笑ましい連中だ。
ヤンチャなマノンに、ちゃっかり者のゼブラとミツグ。
頼れるナッキーと…腹黒い俺。
なんて言うか…
マノン以外は同じ歳だけど、五人兄弟とか、家族とか。
そう言う感じだと思った。
時々マノンがナッキーに迷惑をかけるものの、ナッキーはマノンを怒らせるほどピシャリと言いながら、いつもマノンを気にかけて可愛がる。
いいなあ、マノン。
俺だって、ナッキーに可愛がられたいぜ。
と、口には出さなかったが、思った事は何度もある。
とは言っても、俺に同性愛の気はない。
そろそろ、天使の娘が高校生になった頃だ。
少しは恋愛対象になっただろうか。
俺がのんきにそう思っていた頃。
彼女は、狩人に仕留められていた。
そこに女がいれば、すぐに腰を振ってた男。
マノンに。
ナッキーから、その噂を聞いた時は…正直力が抜けた。
天使に近付く手段が、一つ消えた。
…のんきな俺が悪い。
仕方ない。
ちなみに、適当に付き合っていると言うか…興味本位でセックスをする相手は何人かいた。
いわゆるセフレってやつだ。
そのセフレも、みんな年上。
下は一つ年上から、上は一回り以上上まで。
これは誰にも言わなかった。
俺は、誰にも腹を割らない。
信用してないとかじゃなくて…自分を見せるのが嫌だから。だ。
まあ…いつか自分を小出ししていく時が来たとしても…セフレの話は、しないなあ。
たぶん。
それにしても。
天使の娘。
不思議の国のアリス。
マノンと、付き合っていけるのか?
マノンは…
相当なプレイボーイだぞ?
気にしてる割には…俺の中で天使の娘は、長い間…幼いままだった。
…あの時は可愛かったが…
今はどうなんだろう?
まあ、マノンが目をつけるぐらいだから、不細工ではないのだろうが。
ナッキーの弟の結婚式にいた。と、後で聞いて、軽くショックを受けた。
とても可愛くて、マノンがデレデレになっていたと聞いて、さらにショックだった。
そんなマノンはなかなか見れない。
いつか何かのネタとして、見ておきたかった。
きっと、渡米したら終わるだろう。と思っていた、マノンと天使の娘の関係は。
意外にも…マノンが本気になった事で続いていた。
そんなある日。
「ナオト、英雄ポロネーズ弾ける?」
マノンにそう言われて、目の前で軽い気持ちで弾き始めると。
「…それ、俺にも弾ける思う?」
真顔で言われて驚いた。
天使の娘の父…つまり、天使の夫が…
「娘の彼氏は、英雄ポロネーズが弾ける奴やないとあかん言うてるらしい…」
マノンの言葉に…
「へえ。じゃ、俺はその子の彼氏になれるなあ。」
笑顔で答えてしまった。
それが癪に障ったのか…
マノンがピアノの師匠に選んだのは、俺ではなくて女性ピアニストだった。
渡米して一年が過ぎた頃…
「あれっ?るーちゃん?」
事務所の近くで、一緒に晩飯を食ったナッキーが。
小走りに、誰かに声をかけた。
「あ…こんにちは。」
「どうしたのー。ここ日本じゃないよね?」
「あはは…両親の遠征について来ちゃいました。」
「両親の遠…あっ、そうか!!」
ナッキーは遅れて行った俺を振り返って。
「マノンの彼女。」
目配せした。
「えっ、ほんと?」
マノンの彼女=天使の娘
俺は彼女の前に立つと。
「Deep Redでキーボード担当してるナオトです。君のお母さんの大ファンなんだ。」
そう言って、手を差し出した。
「…あっ…あ、ありがとう…ございます…」
引き攣った顔…ああ、そうか。
男に免疫がなくてー…とかナッキーが言ってたな。
…て言うか…
両親の遠征…?
しまった!!
俺とした事が!!
俺は事務所に戻ると、すぐさま天使のスケジュールを調べた。
なんてこったー!!
明日も明後日も、あるじゃないか!!リサイタルが!!
俺は事務所の力を駆使して。
その二日とものチケットを買った。
明日は予定があるが、たぶん体調が悪くなるはずだ。
思いがけず、天使に会える!!(観るだけだが)
マノンとナッキーは、自分達の力を信じて疑わなかったが。
たぶん、ゼブラとミツグは『ラッキー』と思っているはずだ。
俺は、いまだに今の状況を信用してないのか、いつでもオーケストラに入れる準備はしておこう。と、常にピアノの練習は怠らなかった。
俺には、渡米してからカレンという彼女ができた。
強気で、セクシーで、傲慢な女だが…
楽だ。
マノンは英雄ポロネーズを弾けるようになり、天使の娘を手に入れた。
正直、すごく羨ましかった。
英雄ポロネーズなら、俺だって弾けたのに。
そして…なにより、天使の娘なのに…。
まあ、そうは言っても…彼女に選ばれたのはマノンだ。
祝福するしかない。
少し、好きになりかけてたかな。と思いもしたが、何のやっかみもなくマノンを祝福できたあたり…
ただの好意で終わっていたのかもしれない。
それから二年。
気が付いたら25歳。
マノンとゼブラは所帯持ち。
ミツグも、このままいけばキャシーと結婚するだろう。
ナッキーに結婚願望がないのは、有名な話だった。
俺はそんなつもりはなかったが…もしかしたら、面倒だと思っている所もあったかもしれない。
天使のリサイタルに、自由に行けなくなるのはどうかな…と。
そんな時、昔親父たちが勝手に決めた、俺の許嫁が留学して来た。
浅井愛美。
ギタリスト、浅井晋の妹。
俺にとっては、親同士が飲みの席で決めた事。ぐらいにしか思っていなかったが…
本人はクソ真面目…いや、大真面目にそれを本気にしていたらしく。
俺に会うために、ハビナスに留学して来た。
と、ナッキーが言った。
なぜナッキーには、女心が分かるんだ。
一緒に暮らしてる、作詞家の藤堂周子さんの気持ちは分かっていないみたいなんだが…
「おまえは自分の気持ちに気付いてないだけなんだよ。」
そう、ビシッと指をさされて、言われた。
自分の気持ち?
…愛美ちゃんを好きだ…って?
いや、それはない。
可愛いとは思うけど…
今俺が好きなのは…
深呼吸して、目を閉じて…
最初に出てきた顔が、自分の本当の想い人らしい。
俺は、リラックスして深呼吸をし。
ゆっくりと…目を閉じた。
カレンか…天使か…
マノンの妻となった、不思議の国のアリスか…
それとも…愛美ちゃんか。
「……」
パッ
勢いよく、目を開けた。
「………んなこと、ないない。」
目を閉じて出て来たのは…
ナッキーだった。
愛美ちゃん、君が好きだ。
もう待てない。
俺の口から出たとは思えない言葉だ。
自分でも思い出すと寒気がする。
この時の俺は…何かに憑りつかれていたとしか思えない。
日本で…人の往来が激しい場所で、愛美ちゃんを抱きしめたり…
キスしたり…
信じられない。
俺が…
そんな情熱的な事をするなんて…
愛美は可愛い。
だけど、妬かれると面倒くさい。
ずっと年上と付き合ってきた俺に、7歳年下とのジェネレーションギャップは大きかった。
ましてや愛美は…
音楽をしない。
共通の話題と言えば、晋の事ぐらいだった。
ああ…何が悲しくて、自分より年下の義理の兄の話ばかりをしなきゃいけないんだ…
愛美は可愛い。
だけど、なんでプロポーズしたんだ?俺。
一年ぐらいは、熱病にうなされたかのように…愛情表現をした。
だが、すぐに無理がたたったと言うのか…
セックスができなくなった。
若い嫁さんもらって、毎晩大変だろう。
下ネタ好きのスタッフが、時々そう言って俺をからかったが…
その若い嫁さんは、俺の体調不良をバンドのせいにする。
それが俺には耐えられなくて…別居を切り出した。りもした。
そのたびに、愛美は泣いて嫌がった。
ああ…やっぱり結婚は失敗だった。
俺は好き勝手にセフレと楽しんで、売れなくなった時の事を考えてピアノの稽古もしながら、バンドをやっていればいいんだ。
でも。
もう、そんな夢も見れない。
俺は結婚したし、責任がある。
責任で一緒にいて欲しくない。なんて言われたりもしたが、じゃあどうしろと言うんだ。
彼女が望む事を…たぶん俺はしてあげられない。
価値観の違いなんて…誰にでもあるだろう?
そんな時は、天使のレコードを聴いた。
俺は優しくない。
一時の感情に任せて結婚してしまった。
若くて可愛い彼女の人生を、台無しにした。
これ以上泣かれても困る。
離婚した方がいいに決まってる。
誰にも相談できない愛美と、人に言うほどでもないと思っている俺。
みんなは運命の相手と結婚したのだろうか。
「愛してるの。別れたくない。何も文句言わないから…そばにいさせて…」
そう言って泣く愛美を不憫に思いながら。
一緒にいる事で愛美の気が済むなら…少しでも罪滅ぼしができるなら…
もはや結婚生活とは言えない状況で、俺達は一緒にいた。
ナッキーが周子さんとの同棲を二年で解消した。
何となく…あの二人はずっと一緒に居る気がしたから、意外だった。
今後の住処について、しばらく考えたい。
その考える間、居候させてくれないか?
ナッキーがそう言って来た時…
…同棲解消の影に、女がいるのか?
と、ふと思った。
ナッキーは決断が速い。
自分が住む場所となると、それは即日にでも決めてしまうはずだ。
だが…居候させてくれ?
どうした?ナッキー。
仲のいいバンドだが、それぞれ結婚しているせいか、仕事の後で飲みに行ったりする事は減った。
久しぶりにナッキーを飲みに誘うと…
やはり。
女の影が。
ナッキーは、それが直接周子さんと別れた原因ではない。と言った。
似た者同士だと思っていても、全部がそうじゃない事を…
自分に強い思いがあっても、お互い口に出さずにここまで来てしまった事。
ナッキーは真面目に、それらを語った。
…俺としては。
ナッキーには自由が似合うと思う。
自由だからこそ、バンドに神経を注げて、最高のパフォーマンスを生み出している。
そう思うからこそ…気になった。
ナッキーが『育ててる』と言い張る…入れ込んでいる、歌う女の子が。
ともあれ、ナッキーの居候は我が家にとっては好都合だった。
違う人間が生活に入るとストレスが溜まるとは聞くが、うちは反対に盛り上がった。
誰かが見てると思うと、俺は愛美に優しくできたし。
愛美もそれを喜んで、ナッキーにいつまでもうちに住んでくれ。などと言っていた。
俺は元々一人が好きで、たまに一人で飲みに出かけたりしていたが。
愛美は浮気を疑っていたようで。
まあ…疑われても仕方はないが、その頃の俺には、全くと言っていいほど女性という存在が疎ましく思えていた。
だから、浮気はない。
でも、本音は言えない。
愛美だって女だ。
全否定する事になる。
たがらこそ…
ナッキーと飲みに出かけられるのは、楽しみだった。
今思うとおかしな気分だが…
男友達と居るのが楽しくて仕方ない学生時代を、今になって過ごしているかのようだった。
「俺の初恋はさ、マノンの義理の母親だよ。」
ナッキーの育ててるヒヨコちゃんのステージを見ようと、Lipsというライヴバーに行った。
ダリアを思い出させる、懐かしい雰囲気だった。
そのカウンターで初恋話なんぞに盛り上がって…打ち明けた。
「…マノンの義理の母…って事は…」
「るーちゃんのお母さん。」
「………おまえって…謎の多い奴。」
ナッキーは目を丸くして笑って、何度も首を横に振りながらグラスを手にした。
「それって、いつまで好きだった?」
「今もチャンスがあれば、なんて思うけどな。」
「…マジかよ。愛美ちゃんが聞いたら泣くぜ?」
「…もう泣かせてるよ。」
「え?」
「いや…それより、ナッキーの初恋かあ…ははっ…」
ステージが始まって。
ナッキーの育ててるヒヨコちゃんが出て来た。
肩の出た青いドレス。
茶色い長い髪の毛。
…若い娘だな…
意外な気がした。
ナッキーは俺ほどじゃないが…年上が好きだ。
と、思っていたから。
今までの彼女も、周子さん含め…みんな落ち着いた感じの女性だった。
「……」
いい声をしてる。
歌が始まった途端、俺の背筋が伸びた。
ピアノの弾き語り。
…これはー…
ナッキーが力を入れるわけだ。
上手いとかそういうのじゃなくて…入って来る。
ナッキーを見ると、完全に…これは恋してる目だよなあ。
ステージが終わって、ヒヨコちゃんが会いに来てくれた。
話してみると日本人だわ、愛美より一つ年上の21歳だわ…いや、見た目は完璧十代と言ってもいいぐらいだったが…
ちゃんと、人の目を見て会話のできる…
そして、気持ちのいいほど、ハキハキと答えてくれる…
伸びた背筋が、これまた気持ちいい。
…この娘は、まだ恋愛経験はないんじゃないか?
ふと、そんな事を思った。
男に対して、警戒心がないと言うか…
無防備だ。
実際、俺の方からしか見えないドレスのスリットから、太腿が覗いてるけど…
本人は全く気にしていない。
て言うか…
色気ないなあ…この娘。
ナッキー、このヒヨコちゃんでいいのか?
そう思いながら会話してると…
「でも、なっちゃんには、いつもダメ出しされるの。」
「……」
「…え?」
「なっちゃんって、ナッキー?」
俺は、いい事聞ーいーたー。って顔をしたと思う。
実際、帰りにそう呼んでやろうとも思った。
ナッキーは目を細めながら。
「…すげーな。俺をそんな風に呼んでるのは、世界でおまえだけなんだぜ?」
そう言って、ヒヨコちゃんの頬を掴む。
すると…
「……」
ヒヨコちゃんが、真っ赤になった。
…なんだ。
こいつら、相思相愛じゃん。
「…ちょっと俺、急用思い出したわ。先に帰る。」
そう言って、俺は店を出た。
周子さんとは、夢中になるって恋には思えなかった。
だけど…きっと今、ナッキーは夢中だ。
…ヒヨコちゃん…
さくらちゃんに。
…ちょっと、羨ましい。
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