番外編:それから

「大学もあと一年だね」

 そこには、しょうのとなりで歩くあたしの姿があった。

「来年は大学院か、社会に出ることになるのか。早かったな」

 あたしは大学の入学式が終わったのを機に、また携帯電話を買ってもらった。

 翔に聞いて、高校の仲間と再び連絡を取り合って、今も交流は続いている。

緋乃あけのはどうするんだ?」

「うん、就職することにしたよ。翔は?」

「俺も就職だ」

 あれからもずっと波乱に満ちた日々を送っていた。

 けれども、高校の時に比べればまだ穏やかと言えるかもしれない。

 詩依しよまもる、どうしてるかな…?

 同じ大学に行った氷空そらくんと雪絵ゆきえも。


「待ったかい?雪絵」

「ううん、さっきまでお友達と話してた」

 雪絵はすっかり普通の女の子として周囲に溶け込んでいる。

 あれから人の意識を読む能力は完全に失われ、戻る気配もない。

 よくしゃべるようになったものの、基本的な行動パターンは変わっていないため、落ち着いた雰囲気の女の子というイメージで受け入れられている。

 一方氷空くんも、護の巧みな誘導によって世間がにわかに沸き立つ恋人達が盛り上がる催事さいじに興味を持って、雪絵と一緒に楽しむようになっていた。

「それじゃ、今日は道場の手伝いに行くから…」

「それなんだけど、道場を見学させて」

 石動いするぎ騒ぎが起きて、翔が緋乃に別れを告げた後くらいに、氷空くんが空手道場の師範代であることを雪絵が知った。

 最初は半信半疑だったものの、その腕前を見て納得する。

「まあいいけど、見てるだけで面白いの?」

「うん。何かに打ち込んでる氷空を見てるだけであたしは幸せだから」

 フワッと微笑む雪絵の顔を見て、氷空くんはまだ慣れない様子で照れている。


俊也としやぁ!」

「おう、来たか」

 街中で俊也を呼び止めたのは同年代であろうか。整った顔立ちの女性だった。

「俊也、なんでいつも大学から離れたところを待ち合わせにするの?キャンパス合流でいいじゃない?」

 少し不満そうな顔で俊也に噛み付く女性。

「冷やかす連中がいるから、面倒なんだよ」

 実際に翔はもちろんのこと、護や氷空くんに対しても俊也自身はプライベートの情報はほとんど与えていない。

 俊也自身、人にプライベートのことを知られるのを嫌がる性格をしている。

 心に決めた相手を除いて。

 それが恋人のこととなればなおさら他の人に知られたくないと考えている。

 けど理由はそれだけじゃない。

 高校の頃にちょっかいを出したあの人に似ている。

 人見知りで、けどひたむきで、好きな人のことになると物怖じせずに立ち向かう、平手をもらったあの人に。

 今の彼女に、あの人を重ね合わせているのかもしれない。

「まぁ、俊也がいいなら別に強要はしないけど、いずれ友達にも紹介してよね。俊也のお友達ってすごく気になるから」

「あー、いずれな」

 俊也は彼女の手とつなぎ、街の雑踏へと消えていった。


「おまたせ詩依」

「護ぅ、それじゃ行こうかぁ」

 授業が終わり、連絡を取り合って待ち合わせた二人は並んで歩いていた。

 指と指を絡め合う恋人繋ぎで、お互いの体温を感じながら心を通わせ合う幸せを噛み締めている。

昨夜ゆうべね、久しぶりに緋乃から電話があったんだぁ」

「そうか、楽しかっただろ?」

「うんっ!いっぱいおしゃべりしたよぉ。すっかり元気になって、とっても幸せそうだったぁ」

 緋乃と翔の二人とは大学が別になったこともあって、詩依は護に対して束縛をしなくなった。

 それでも詩依はかなりヤキモチを妬くから、護が他の女子と楽しそうに会話をしていると詩依はほっぺを膨らませて護を慌てさせている。

「緋乃と翔のやつ、もう絶対ダメだと思ってたよ」

「うん、一度は完全に別れちゃったもんねぇ。仕方ないことだったみたいだけどぉ」

「石動のやつ、追いかけてあっちの大学に行ったんだって?」

「そぉみたい。でも高校の時みたいに引っ掻き回してはいないみたいよぉ?」

「それにしても、翔のやつには驚いたな。まさか緋乃と同じところへ行くなんて」

 緋乃は高校三年の段階で、学年成績で毎回トップに君臨していた。

 勉強に打ち込むことで、翔との別れから目をそらすため。

 それで結果的に高望みした大学に合格した。

 翔は進路をひた隠しにしていたが、ふたを開けて見ると緋乃と同じ大学に合格したと聞かされたのは、大学の入学式が終わってからだった。

 緋乃と再会し、再び付き合うことになったと知らされたのも、この時だった。

 聞くところによると、翔は内部向けのお披露目以後、どこからか情報が漏れたらしくマスコミに追われていたため、一切の情報を封鎖ふうさしたのだという。

 友達はもちろんのこと、緋乃にすら一切の情報を与えていなかった。

 進路を知っていたのは高校の教職員と大学だけだったという徹底ぶり。

 銘苅めかる しょう石動いするぎ 芽衣めいの婚約破棄を正式に発表したのは、いろいろと調整に調整を重ねた結果、大学の入学式当日だった。

 それまでは誰にも芽衣や翔に関する情報を隠匿いんとくし続けた。


 そして…。


「翔先輩、緋乃先輩、こんにちは」

 石動いするぎ芽衣めいちゃん。

 高校の時、政略結婚のため翔の婚約相手になって、あたしから翔を奪った人。

 翔の父親は御代みよHD(ホールディングス)の次期社長であり、石動の不動産事業を手に入れようと企んでいた。

 けれども石動が会社で不祥事を起こして、御代HDと石動の政略結婚が白紙となり、以後一切の関わりを断った。

 あれから石動一家は激動の日々だったという。

 前代未聞の不祥事ということで、上場の話も白紙。さらなる事業拡大も白紙。

 それどころか事業が傾き、身売り先を探しているところに、御代HDが名乗り出た。

 こうして当初の目的は果たされたけど、御代HDの不動産事業は一進一退の厳しい局面に立たされている。

 父親の石動いるすぎ豪三郎ごうざぶろうからは、銘苅めかる家に失礼の無いよう、銘苅めかるしょうへのアプローチを厳しく禁止された。

 石動不動産買収の話が落ち着いた頃、石動一家は翔の元へ訪れて、あたしを同席させて頭を下げに来た。

 正直に言えば許せなかったけど、翔と確かな絆を感じていたあたしは、もう過去のこととして、一連の事件について許した。

 ただし、あたしたちの関係に一切干渉しないことを条件として。

 実際に芽衣ちゃんはあれからずっと、翔と近くにはいるけど、距離を詰めようとしてこない。

 よほど親に厳しく言われたんだろうな。

 そもそも高校の頃とは力関係が変わってしまい、石動の不動産事業は御代HDの一事業部門、子会社として配置された。

 対等な立場として協業しようとしたあの頃とは違う。

 御代HDのご機嫌伺いをする側に立ってしまった。


 一昨年おととしは本当にびっくりした。

 一昨年の春…。

 あたしたちは無事に大学二年へ進級した。

 もともと高望みした大学だったから、ついていくのはかなりきつかった。

 大学内でも、翔は女子に囲まれてモテていた。

 けどあたしと付き合ってることが知られるにつれて、次第に騒がれなくなる。

「それじゃ、帰ろうか」

「うん」

 いつもの恋人繋ぎでキャンパスを歩く。

 周りを見ると、同じように恋人繋ぎで歩いてる人がいて、あたしたちもその一組として周囲の視線を感じていた。

「せーんぱいっ!」

「ん?」

 翔とあたしは声の主がいる方へ振り向いた。

「いっ…石動…っ!!?」

 猛獣にでも襲われかけたような顔をする。

「お二人さん。これから三年間、よろしくねっ!」

 翔は手を離し、あたしをかばうように腕越しで石動さんから遠ざける。

「まさかお前…」

「うん、ここに合格したよ。入学式も終わってこれから帰るところ」

 笑顔で答える石動さん。

 しかし翔の顔は依然として余裕のない顔。

 さながら戦場に身を置く兵士といった表現が合っているだろうか。

「ん?やですね先輩。もうあたしの立場分かってるでしょ?あたしだってそれくらいはわきまえてるつもりです。もう、先輩たちの邪魔はしません」

「ほら翔、本人もそう言ってるし、あまり警戒しちゃ失礼でしょ?」

 肩越しに翔へ語りかける。

「数々の事件、起訴きそこそしなかったものの、石動がしたことは忘れない。そう簡単に信用できるわけがないだろう」

「いいわよ。信用してくれなくても」

 あっけらかんと流す芽衣ちゃん。

「もう石動の不動産事業は間接的とはいえ、いわば翔の手の中にあるも同然だもの。もし怒らせたら、今度こそあたしたち一家は路頭に迷うでしょうね」


 話はほぼ二年前にさかのぼる。

 石動不動産事業の買収が落ち着くまでの間、両親は寝る間も惜しんで仕事に勤しんでいた。

 維持が大変なタワーマンションを引き払うときも、しっかりあたしに相談してきたのが印象的だった。

 前のパパだったら、引っ越しの三日前か二日前か、それくらいに引っ越しの話をしてきたに違いない。

 買収が落ち着いて、迷惑をかけた各方面に頭を下げていたパパ。

 そんな中であたしが呼び出された。

 婚約の騒動に巻き込んだ、先輩二人に対する謝罪。


 翔が親と同居するタワーマンションの一角で、それはあった。

 ソファに座っている翔と緋乃。

銘刈めかる殿、水無月みなづき殿、この度は大変ご迷惑をおかけしました。許されることではないと重々承知しております」

 ものすごいオーラを纏いながらも、豪三郎ごうざぶろうは深々と頭を下げ、おもむろに土下座を始めた。

「この私はどうなっても構いません。どうか我が社の社員だけは欠けることなく全員を受け入れていただきたく、娘と参上した次第です。どうか…」

 翔は難しい顔をして黙り込む。

「あたしにも非があります。罰するならあたし一人に…」

 芽衣ちゃんも隣で土下座を始めた。

「人を盗撮した肖像権侵害しょうぞうけんしんがい、ネットで勝手な噂を広めた名誉毀損めいよきそん、黒服を使った誘拐未遂ゆうかいみすい、車でひき殺そうとした殺人未遂さつじんみすい、かばってくれた翔は怪我をした…傷害しょうがい脅迫きょうはくと、数々の犯罪をしてきたわね…」

「それらは全て、私の不徳ふとくの致すところです。どうか責任は私一人だけに…」

 パパは、全部自分で罪をかぶろうとしている…。

「いえ、そうそそのかしたのはあたしです。パパは悪くない。あたしが全ての責任を取ります」


 はぁ


「顔を上げてください。顔も見ずに会話するつもりですか?」

 緋乃はため息をついて、言葉をつなげた。

 床に手をついたまま顔だけ上げる二人。

「確かにあなた方のしてきたことは明らかな犯罪です」

 翔が厳しい言葉を浴びせかける。

「ですが御代HDは新事業のノウハウがまったくない。トップのあなたが欠けて事業を軌道に乗せるなんて到底無理な話でしょう」

 ため息をつきながら、半ばあきらめ気味に言葉を吐く。

「それに、結果的にあたしたちは無事でした。だから不本意だけど」

『今回のことは不問とします』

 オーラを放ちつつ、ぱあっと顔が明るくなった豪三郎。

寛大かんだい御沙汰ごさた、ありがとうございます!!」

「ただし」

 緋乃が言葉を続ける。

「今後あたしたちの関係には一切干渉しないこと」

「それはもちろんですっ!!」


 こうして、石動一家が起こした騒ぎは収拾した。

 そして芽衣は翔の居ない時間を過ごすうちに、自分のしてきたことを振り返って、気持ちの整理がついた。


 そして時間は今へと戻る。

「翔先輩、緋乃先輩…あたしね、まだ翔先輩のことが好き。先輩が卒業して一年、あたしがここへ入学してからの二年が経った今でもずっと変わらない。どんなことをしてでも一緒に居たかったから、無理矢理にでも奪おうとしてた…」

 きゅっと、胸の前で左手を右手で軽く包み込むような仕草をする。

「でも、やっと加賀屋かがやまもる先輩の言ってることがわかった気がするんです」

 少しうつむいて言葉を続ける。

「あたしじゃ、翔先輩を笑顔にできない。翔先輩を笑顔にできるのは、緋乃先輩だけなんだって…だからあたしは、身を引くことにしたよ。翔先輩がずっと笑顔でいられるよう、遠くから見守りながら」

 どこか暗くて陰りのある笑顔を向ける芽衣ちゃん。

 きっと、辛い決断だったんだろうな…。

「でもね、翔先輩を泣かせたら今度こそあたしが貰うから、せいぜい幸せにね。緋乃先輩」

 ウインクしながらおどけてみせる芽衣ちゃん。

「うん」


 気まぐれな春雨があたしたちの肩を濡らし始める。

 すぐにバッグの中の折りたたみ傘を取り出して傘を開く。

 あたしは翔の傘に入る。

 真上はどんよりした雲だけど、向こうの空は明るいから通り雨ということはすぐにわかった。

 ポツポツと傘を叩く雨のしずくを聞きながら明るい方の空を見上げると、すでに虹がかかっていた。


 文字どおりに灰色の日々を経験したからこそ、あたしはこの彩りに満ちた世界の素晴らしさを噛みしめることができる。

 いつまでもこの彩りにあふれた世界を、あなたと一緒に見ていたい。


 ずっと…ずっと…一緒に、あなたと。

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なな⌒いろ 井守ひろみ @imorihiromi

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