「おめでとう」不言罪

沢田和早

「おめでとう」「ありがとう」

 西日差す山道の向こうに城壁が見えてきた。どうやらあれがこの高原地帯を治めるポライト王国のようだ。


「助かった。ペニ馬の足取りがすっかり重くなっていたからな」


 ペニ馬は悪路に強いがすぐバテる。あと一刻も歩けば疲れ切って動かなくなってしまっただろう。


「旅の者か。通行証を見せろ」


 城壁東門の前で衛兵に呼び止められた。素直に従うとすぐ門を開けてくれた。


「これが滞在許可証だ。国を出る時返却してくれ」


 滞在許可証を受け取ると衛兵が握手を求めてきた。がっしりとした手を握る。


「我が王国を訪れた君は幸運だ。おめでとう」


 衛兵の首輪がキラリと光った。


「あ、ああ、どうも」

「こらこら、どうもはないだろう。おめでとうと言われたらありがとうと返すものだ。よく覚えておけ」

「わかった、覚えておくよ。ありがとう」


 これまで多くの国を旅してきたが、衛兵から「おめでとう」と言われたのは初めてだ。門番にしては礼儀正しいなと思いながらペニ馬を連れて賑やかな通りを歩く。

 礼儀正しいのは門番だけではなかった。通りを歩く誰もが「おめでとう」を連発していた。


「美しい夕焼けの中を歩ける君は幸運だね、おめでとう」

「ありがとう。あなたも夕日に照らされて気持ちいいでしょう、おめでとう」

「ありがとう。良い国、良い時代に生きられるボクらにおめでとうと言おうよ」

「おめでとう、そしてありがとう」


 こんな会話があちらこちらで交わされている。そのたびに彼らの首輪がキラリと光る。


「やはり他の国とは違うな。聞いていて恥ずかしくなる。まあ、違っていると言っても礼儀正しい方向に違っているのだから、心配することもないだろう」


 やがて宿屋に着いた。愛想の良さそうな主人が出迎えてくれた。


「これはこれは長旅お疲れさまです。風光明媚なこの地を訪れたお客様におめでとうと言わせていただきます」


 主人の首輪がキラリと光る。通りでさんざん聞かされたので、もう何とも思わない。


「ああ、どうも……」

 と言ったあとで門番の言葉を思い出した。「おめでとう」には「ありがとう」だ。

「ありがとう。しばらく世話になるよ」

「しばらくと申しますと、何日かお泊りになるので?」

「ああ。野宿が十日ほど続いたのでな。ペニ馬もすっかり疲れている。数日体を休めるつもりだ」

「そうなりますと、明日からこれを装着していただかなくてはなりません」


 主人は懐から何かを取り出した。この国の誰もが着けている首輪だ。


「それは何だ。なぜ着けなくてはならないのだ」

「おや、ご存知ないのですか。これはお珍しい」


 旅先の下調べは極力しない主義だ。旅の面白さが半減する。「知らない。教えてくれ」と答えると主人が説明してくれた。


「私どもの王は大変礼儀を重んじるのです。この王国を世界一礼儀正しい国にしたい、そう考えられた王は次のような命令を下しました。一日に三十三回、他人に対して『おめでとう』と言わねば逮捕する、とね」

「そんな掟があるのか」


 この国の誰もが「おめでとう」と言っていた理由がわかった。あれは自発的な言葉ではない。半強制的に言わされていたのだ。


「もちろん旅人に対しても適用されますが、到着した日と出発する日は免除されます。あなたも明日出発されるのであれば、この掟には縛られません。どうなさいますか」


 しばし考える。ここを出ればまた数日間山道が続く。食料と飲料水の確保、定められた通信文の作成、依頼された荷物の発送も済ませなければならない。どう考えても明日の出発は無理だ。


「いや、最低二泊は必要だ。発つのは明後日にする。で、その首輪は何のために必要なのだ」

「おめでとうと言った回数を自動計測する装置です。これがあれば自分で数えなくても済みますよ」


 なるほど。この首輪で国民を監視しているわけか。三十三回未達の者を逮捕するための装置と言ったほうが正しいだろう。


「計測は夜中の零時から始まりますが、その時刻は就寝中でしょうから、明朝、目を覚ました時に装着してください。外したままでは計測されませんからご注意を」

「わかった」


 首輪を受け取る。かなり軽い。これなら首に着けても邪魔にはならないだろう。


「世界一礼儀正しい我が国に連泊できるとは実に素晴らしいことです。おめでとうございます」


 主人の首輪がキラリと光った。「おめでとう」の言葉に反応しているのだとようやくわかった。


「ありがとう」


 その日は夕食を終えると早々とベッドに入った。


 翌朝はひどく寝坊した。首輪を着けて食堂へ行くと宿泊客はひとりもいない。他の客と会話して一気に三十三回のノルマを終わらせるつもりだったが、アテが外れてしまった。


「あんたが最後だよ。ひとりで食事ができて気持ちがいいだろう。おめでとう」


 給仕の女が盆に料理を載せて渡してくれた。


「ああ、ありがとう。そしておめでとう」


 これで一回のつもりだったが首輪が光らない。女が笑った。


「お客さん、単におめでとうと言うだけでは数えてくれないよ。どうしておめでたいのか、その理由も言わなくちゃ」


 確かにそうだな。オウムみたいに「おめでとうおめでとう」と言い続ければ、それで終わってしまうからな。この首輪、思ったより高位の魔細工が施されているようだ。きっと熟練の魔道技師に作らせたのだろう。


「私が最後の客なら、これで君の朝の仕事は終わりだな。おめでとう」


 首輪が光った。女はにっこり笑うと「ありがとさん」と言った。


 街でもこの要領で「おめでとう」のノルマをこなしていった。思ったより簡単だった。

 昼頃、首輪から軽やかな鈴の音が聞こえてきた。外してみると右横の表示板に「三十三回達成」という文字が浮き出ている。


「これで終了か。意外に早く済んだな」


 予定の用事を済ませた頃には夕刻が迫っていた。宿へ戻る前に中央にある噴水広場で休んでいると、隣に老人が座った。


「あなたは旅のお方のようですな。いかがです、この国は」

「居心地はいい。みんな礼儀正しいからな。しかしそれは王に強制されたものだ。住みたいとは思わないね」

「ほほう。では他の国ではおめでとうを強制されていない、とあなたは思っているのですか」

「言うまでもないだろう。誰が強制するんだ」

「あなたがこれまで口にしてきたおめでとうは、全て本心から出た言葉だった、そう断言できますか」


 老人はにこやかに笑っている。彼が何を言いたいのかようやく見えてきた。

 そうだな、確かにそうだ。おめでとうの言葉を口にするのは、相手がおめでとうと言ってもらいたい時だ。そこには無言の強制があった。

 誕生日だから、結婚したから、賞を取ったから、だからおめでとうと言ってくれ、そんな相手の気持ちを汲んでおめでとうと言ってきたのだ。自分の感情とは関係なく。


「この国では何でもない当たり前のことでおめでとうと言います。そうしなければとてもノルマは達成できませんからね。けれどもそのおかげであなたは気付いたはずです。日差しが暖かい、風が心地良い、お腹いっぱい食べられた、そんな日常の出来事がどれほどおめでたいことであるか、我々がどれだけのおめでとうに囲まれているか、あなたは気付けたはずです。そうでしょう」


 自覚していないおめでとうの再認識、王の狙いはそこにあったのか。互いに互いのおめでとうを指摘し合うことで互いの幸福を享受し合う。悪くない政策だ。


「そうだな。この国の王は思ったよりも賢いようだ。悪く言ってすまなかった」

「それに気付けたあなたは幸運なお方だ。おめでとう」

「ありがとう」


 その日は心地好く眠ることができた。


 翌日、ランチを済ませてから宿を出た。城壁西側の門で再び衛兵に呼び止められた。


「旅の者か。滞在許可証を返却してくれ」


 素直に従うと門を開けてくれた。


「二泊したのか。昨日は三十三回のおめでとう、ご苦労だった。この国、気に入ってもらえたかな」

「ああ、最初は気が重かったが次第に慣れた。王の真意も理解できた。しかし言葉を強制するような国は好きじゃないな」

「言葉を強制だって。やれやれ、君はまだ王の真意を理解できていないようだな」

「どういう意味だ」

「君は強制されておめでとうと言った。しかしそれと同じくらい強制されていない言葉を発したはずだ。王の真意はそこにある。国民の全てに感謝の言葉を口にして欲しい、それがこの掟の狙いなのだ」

「強制されていない言葉……」


 ペニ馬の首を撫でながらここに来てからの自分を思い返す。ああ、そうか。そういうことだったのか。おめでとうは呼び水に過ぎなかったのか。本当に言って欲しい言葉は別にあったのか。衛兵がにこりと笑った。


「感謝の言葉に満ちたこの国を訪れた君の前途には幸運が満ち溢れているだろう。おめでとう」

「ありがとう」


 感謝の言葉を述べて門をくぐる。もう一度この国を訪れることがあれば、是非とも王に面会したいものだ、そう思いながら山道を下っていった。


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