存在意義

吉晴

存在意義

人類は滅んだ。


理由は語るまでもなかろう。

今地球にいるのは、我々無機物だけなのだから。

正確に言えば、自我を持つもので残ったのは、私だけだ。

荒れ果てた大地には草の一本も生えてはいない。

全て汚され、全て焼き尽くされ、全て消え去った。

一体誰がこの荒れ果てた大地を想像したことだろう。

己の幸せのために戦っていたであろう人間が最後に残したものは、この荒れ果てた星と、私なのだ。


今日も独り、友の骸の前に石をつむ。

どこまでも続くごつごつとした赤い岩肌は、もうずいぶん前から見飽きていた。

私の日常にはもう、戦略も、破壊も、防御もない。

ただ時が流れるだけだ。

それは至極平和であり、淡々としている。

私は人間の望みのままに働いてきたが、果たして人間が求めていたものとはこれだったのだろうか。

答えは闇の中だ。


「いい夜だ。」


今夜もいつも通り、目の前の骸を見つめ、呟いた。

声はただ、昇り始めた月の光に溶け込んでいく。


「誰に話しかけたの?」


しかし、いつもとは違って若い声が返事を返した。

驚いて振返れば、少し離れたところに人間の青年が立っていた。

滅んだはずの人間が。


「お前は人間か。」


思わず転がり落ちた言葉。

青年は小さく嘲笑を洩らした。


「君が意味している『人間』とは違うけどね。」


「では何者だ。」


私の問いに、彼はしばらく考え、それからまた嘲笑を浮かべながら答えた。


「『神』かな。」


「・・・神?」


彼はうなずいて、私の前まで歩み寄った。


「僕が地球を作った。

卒業論文で必要だったから。」


「卒業、論文。」


それは遠い昔、子どもが学業に専念することを許された時代に使われていた言葉だ。


「君はこの地球上の生物の最終形態だ。

最も強く、もっとも賢いのが君であるはず。

その君のデータを分析したい。」


どこか昔に会ったことのある学者とよく似た口調だと思った。


「具体的には何をするのか。」


「なぁに、単純。

君のデータを抜き出すだけだ。」


彼の右手にあるのは片手に乗るほどの小さな黒い機械。


「つまり、を失うということか。」


私の呟きに青年はおかしそうに声を立てて笑った。


「君はおかしなやつだな。

例えば人間がリンゴの苗を植えたとき、出来たリンゴを彼らは食べるだろう。

リンゴは人間に食べられて初めて価値を持つ。

それと同じさ。

君はようやくこれから活かされるのだ。

君は僕の道具であり、使われて初めて価値が生まれるんだから。」


そうだったのか、という思いだけが、ストンと心に落ちてきた。

哲学者たちが己の存在意義を何千年も討論してきたが、その答えはあまりに単純すぎた。

全てを受け入れたのか、あまりの事に思考が停止しているのか、どちらとも分からぬ平穏が心を満たす。

彼は優秀で将来有望な学生なのだろう。

説明が端的でわかりやすい。


「一晩、待ってはくれまいか。」


私は青年に頼んだ。


「なんで?」


無邪気な瞳に、なぜか一瞬背中に冷たいものが走った。


「別れを言いたい。」


「誰に?」


「ここに。」


私の言葉に、青年は声を立てて笑った。


「やっぱりおかしなやつだな。

いったいどんなデータが詰まっているんだろう。

いいよ、どうせ僕から君は逃げられやしないんだ。

リンゴと同じでね。」


 


 


 


石を積む。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


「ね、どうして石を積むの?」


青年が少し離れた岩に腰かけて尋ねた。


「友を弔うためだ。」


「どうして石なの?」


「他にこの星には使えそうなものはないからだ。」


「友って、それ?」


いくつもある石の塔の前に横たわる、緑の機体を指差した。

とは言え既に塗料のほとんどが剥がれてしまっている。


「いかにも。」


私は振返ってうなずいた。


「戦闘用ロボットだね。

君とは色が違うけど、敵だったの?」


月明りになんとか私の赤を認めたのか、青年が尋ねた。


「昔は。」


「ふぅん。」


いつの間にか月が陰った。

星も、消えていく。


 


「来る。」


 


私が静かに呟いた。


「なにが?」


青年はつまらなそうに問いかけた。

遠くから迫り来る、音。

青年も気付いたようで、立ち上がって西を見た。

地平線から、刻刻と近づいてくるもの。

全てを飲み込む、それは。






ぽつり。






小さな水滴が、静かに骸を眺める私の肩に落ちた。



ぽつり。



続いて地平線を見つめる青年の頬に落ちた。

それからはあっという間だった。

辺りがざぁっという音に包まれ、まるで私自身が地球と一体化したように感じる。


青年は身体の周りが丸く何かに包まれ、雨には濡れていないようだった。

そんな技術は、地球にはなかった。

その技術がなくて良かったと、一つ頷く。

彼の目は、私の積んだ石の塔に向けられていた。

私は再び、石を拾う。

石と石の触れあう固い音が、雨音に溶け込んだ。


「人間達は死んだ人は星になると言った。」


随分経って、私は不意に口を開いた。


「そんなことあるわけないじゃん。」


「輝く星を、我々の手はつかむことはできない。

しかし星は暗闇の中、あれほどまでに輝いて見せる。

見えるのは、遠い昔に放たれた光に過ぎないのに。」


「だから?」


「死者に似ている。」


青年は胡散臭いものを見るように、私を見た。


「決して触れあうことは出来ない。

だがどんな暗いうちにあっても、明るく輝き、人を魅了してやまない。

遠い昔に出会い、そして喪った彼らは、とても輝いて見える。」


「ロボットのくせに随分と抒情的な事をいう。

この国の研究者は愚かだな。

いやそれか、何か意味があるのか・・・。」


どこか興味深そうな顔でそう言って腕を組んだ。

その顔を見た時、確かに自分はおかしな奴だと私も思った。

なぜ、彼にそんな話をしたのか、わからない。

やはり、私は壊れているのかもしれない。


「それ、楽しいの?」


青年は、私の手元を顎でしゃくって言った。

私は屈んで石を拾う。


「楽しいはずがない。」


「なんで楽しくないことをするの?

友は死んでいるのに。」


青年は幼い子どものように、小さく首をかしげる。

これ程無邪気な青年が、この世にいるということに、若干の驚きを覚える。


「死んだから弔うのだ。」


今度は振返って、青年の顔を見て答えた。


「トムラウ?・・・わからないな、実に無意味だ。

は、お前がそうしていることは分からないだろう?」


私はしばらく黙って石を積んだ。

彼の世界には『弔い』という風習はないのかもしれない。

雨の音と、その合間に聞こえる石の触れあう音だけが、2人の耳に届いた。

青年は答えを急かさなかった。

雨音が心地よく、聞き入っていたのかもしれない。


「自己満足なのだ、きっと。」


「自己満足?」


青年は怪訝そうに眉をひそめた。

子どもっぽすぎる表情が少し引っ込み、私はどこかほっとした。

もしかしたら、私は彼の無垢の瞳が怖いのかもしれない。

ただ無邪気に、私自身を否定されそうで。


「なぜ、雨が降るか知っているか。」


私は何気ない風を装って、声をかける。


「馬鹿にしてる?」


「いいや。

雨が降るのは空が泣いているからだと、人間はよく表現した。

私もそう思うが、君はどう思う。」


「またその類の話か。

やっぱり失敗したのかなぁ。」


青年は半ば疲れたように頭を掻きながらそう答えた。

もしかしたら『人間』と『神』は途方もなくかけ離れた存在なのかもしれない。


「では人間は、いつ泣いたと思う?」


「知るかよ。

僕の研究にはそんなことは関係ないんだ。

っていうか君なんなの?さっきからべらべらと。

何か面白いことでもあるかと思って期待したけど、時間の無駄かな。

やっぱりデータ抜いちゃった方がいいかな。」


青年はイラついた声で答えた。

それでも私は、溢れる言葉を止める術を持たなかった。

どこか、それは焦りに似た感情だった。

自身を失うのが怖いからなのか。

最強だった自分をを超越する存在に、ただただ畏怖したためなのか。

それともこの無垢な青年が、私の全てを見て何を考えるかが怖いのか。


「人間は、感情が高ぶったときに泣いた。

悲しい時、怒った時、嬉しい時・・・。」


その焦燥とは裏腹に、言葉はすらすらと口をついて出た。

言い終わらぬうちに、青年は盛大にため息をついてそっぽを向いた。

話など聞いていないというように。


「空はこの地球を憐れんでくれているのだよ、きっと。

泣けない私の代わりに、憐れんで泣いてくれているのだよ。」


「それ、当て擦り?痛くもかゆくもないけど。」


つっけんどんな口調の合間に、どこか不安定さが見え隠れしていることに、私は初めて気がついた。

思い返せば初めからずっと、それは存在していた。

遠い昔、才能は怖いものだと、操縦士がぼやいていたのを思い出す。

大きすぎる才能は、いずれその者の運命をも飲み込むと。

青年がその呑み込まれし一人だと気づいたとき、私は思わず微笑んだ。


「おかしなやつ。」


私の微笑みを認めたからなのか、それとも、私の存在自体言い表したのか。

ロボットの私に、尊い神である彼の思いなど、わかりはしない。


「そればかりだな。」


「うるさい、僕は神だぞ。」


その言葉は彼にとっての精一杯の虚勢だと、気づいてしまえばそれだけのことだった。


「だからなんだ、私はロボットで、リンゴだ。」


落ち着いた声で、諭すように話しかける。


「しかし君も、神ではないのかもしれないだろう。」


青年の瞳が、不安に揺れ動く。


「君とて卒業論文の一部かもしれない。」


彼は目を閉じた。

全てから目を瞑りたいと言うかのように。


「分かっている、分かっているさ、そんなこと。」


早口で囁かれた言葉は、雨に溶け込む。

彼はきっと、ひどく不幸だ。

この若さで、死ぬまで恐怖と戦っていかねばならない。

だから私は、彼に近づき手を差し出した。


「舐めてみるといい。」


その手の中に、雨水が溜まっていく。

青年は恐る恐る私の手に口をつけた。


「塩辛いだろう?」







ぼんやりと辺りが明るくなってきた。

朝が来たのだ。


雨は降り続ける。


荒れ果てたこの地球に。

血の気を失った青年の頬に。


そして人間の為に地球破壊し尽くした、古びたロボットの指先に。






「おめでとう。

君の卒業論文は、きっとうまくいく。

だからこの星の死を、無駄にしないでくれ。」


 


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存在意義 吉晴 @tatoebanashi

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