first birthday

戸松秋茄子

本編

 ある孤児院の応接室で男と少年が向き合っていた。


「俺の命はサカサマなんだ」少年は言った。「命日はあっても誕生日はない」


「それがそんなに特別なことかね?」


「あんたには誕生日がないっていうのがどういうことかわからないんだ」少年は言った。「名前なんて所詮人がつけるものだ。そいつの本質にかかわるものじゃない。血液型はその気になればいつでも調べられる。でも誕生日はどうだ? こればっかりは調べようがない。誕生日がない。それは存在の不安なんだ」


「命日はそのかわりにはならないのかね?」


「あれは俺がいたことの証明だ。いることの証明にはならない」


「なるほど」


 少年は孤児だった。まだ赤ん坊のとき、孤児院の前に捨てられているのを見つけられ、そのまま引き取られた。赤ん坊の身元につながるようなものは何も置かれていなかった。ただ、命日を記した紙だけがあった。孤児院の大人たちもこれには面食らったが、何もないよりはましだと考えたらしい。毎年命日には少年の「死」を悼むことになった。


「しかし、なぜそれが君の命日だとわかるのかね?」


「命日に決まってる。みんな毎年俺の死を悼むんだから」


 少年の目は確信に満ちていた。


「なるほど」男は顎をさすった。「それで誕生日をご所望か」


 少年はうなずいた。「数日後が俺の命日だ。できればその日を今年から誕生日にしてほしい」


 妙な客だった。少年は天涯孤独の身だ。そんな自分に面会を求めてやって来る人間が只者であるはずがない。何か魔法のような力で願いの一つや二つ叶える力があったっておかしくないじゃないか。


「商談成立だ」


「どうにかできるか」


「どうにかしよう」



 男はどうにかした。数日後――少年の命日だった日の夕方、孤児院で少年の誕生日パーティーが開かれたのだ。


「誕生日おめでとう」


 食堂に入るなり、クラッカーの歓待を受ける。テーブルの上にはキャンドルが刺さったホールケーキが鎮座していた。職員と子供たちが声を合わせてバースデーソングを歌いはじめるのを、少年は呆然としながら眺めていた。


「さあ、火を吹き消して」


 暗闇の中、少年は言われるままケーキの前に立ち、息を吹きかけた。しかし、なにぶん初めてのことだ。一度では吹き消せない。二度、三度と吹きかけてようやく火を消すことができた。


「どうだね。はじめての誕生日は」ケーキを食べ終えた頃、男がどこからか現れて言った。


「いまいち実感が持てないんだ」少年は言った。「本当に誕生日なのか?」


「何を言ってる。みんなが祝ってるんだから誕生日に決まってるだろ」


「そうか。そうだな」


 男と少年が話していると、少年と仲のいい少女が話しかけてきた。


「誕生日おめでとう」


「ありがとう」


「ねえ、その人に引き取られるって本当なの?」


「ああ」


 そういうことになると聞いていた。


「そう。じゃあ、今日でさよならなんだね」


「ああ、そうだな」


「わたし、忘れないから」


「俺も」


 少女はなおも何か言いたげだったが、その場から去っていった。そのタイミングを待って、男が言う。


「どうだね。誕生日は気に入ってもらえたかね」


「ああ。最高の誕生日プレゼントだ」


「喜んでもらえてうれしいよ」


「なあ、あんたはホントに……」


 言いかけて、少年は眠るようにして男に寄りかかってきた。男は少年の体を受け止め、そろそろこの場を辞す旨を職員に伝えた。パーティー会場を後にし、子供たちと職員に見送られながら院の敷地内に停めた黒塗りの高級車に乗り込んだ。少年を助手席に座らせ、ギアを入れる。男がアクセルを踏み込むと車は地面を離れて見えない坂でも上るようにして走りはじめた。男は隣の少年に向かって微笑みかける。ナイフで裂いたような笑みから零れたのは、悪魔のように尖った歯だった。


 男は歌うように言った。


 誕生日おめでとう。そしてご愁傷様。

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