どこにでもいる人殺したちの、ありきたりな晩餐
柳なつき
とむらい
中学を卒業するのも、高校を卒業するのも、三年かかる。
社会人になると、仕事のキャリアの区切りも三年だったりするらしい。
そう知っていたから、三年というのはひと区切りなんだと知った。
だから、間隔は三年に決めたのだ。
忘れないように。大人になったって、ずっと、あの子のことを魂に刻みつけておくために――。
★
人殺しと人殺しが、上品なテーブルを挟んで向かい合う。
微笑みあっていて、まるで穏やかな雰囲気だけど。
人殺しは、もうひとりの人殺しにぜひ訊いてみたい。
――ねえ。人を殺したこと、今ではあなたはどう思ってる?
「うん、それじゃあ。二十三歳の私たちに乾杯!」
はにかんだ笑顔で、
しゅわしゅわとした泡の美しい、黄金色のスパークリングワイン。
「乾杯」
千歳はこのあいだの二月で二十三歳になった。恵理子は今週、三月に入ったばかりの日に二十三歳になった。
夜は八時を回ったところ。東京駅付近にある高層ビルのレストラン。
お酒も料理も景色も美味しいことで有名だ。
恵理子も千歳も今日はお洒落をしている。
千歳は、普段なら顔の両脇に垂らしているライトブラウンの髪の毛を、今日はアップにして花柄のバレッタで留めている。
恵理子はといえば、ドレッシーなダークブラックのワンピースに、これでもかというほど宝石や装飾を散らしてきらきらさせている。
「わー、でも、久しぶりだね恵理子。前に会ったのって……えっ、まさか二十歳なりたてのとき?」
「そうね。だから、三年ぶりだわ、……ちょうど」
「うえー、時の流れって速い! えっと、その前に会ったのだって……いつだっけ?」
「高校二年の春よ」
「ああ、そうだよね、うわー、はっや……」
そのあと、ふたりはしばらく他愛ない世間話をしていた。
千歳はすっかり暗くなった外を指さし、あれは東京湾、あれはクルーズじゃないかなどと、お喋りのネタは尽きない。
前菜のスープが来た。
蝶ネクタイを締めた男性店員の丁寧な説明を、ふたりとも大人の顔をして聴いていた。
千歳が食べる。恵理子はその様子を少し上目遣いで眺めながら、自身もスプーンを手にしてオレンジ色のスープをすくう。
「おいしいね、これ、恵理子」
「ええ。……信じられないくらいよ。十年前はあなたと面と向かって給食を食べていただなんて」
あはは、と千歳は過剰なくらいの笑い声をあげた。
「もう十年前なんだねえ、中学も。そりゃ仕事はじめて三年にもなるわけですわ」
「千歳は、短大卒業してすぐに就職したからもう三年目なのよね。……どう、仕事のほうは?」
「ハードだね、やっぱ、結構。でも、……自分の面の皮の厚さがこんなに役立つなんて思ってなかったから、意外と向いてるのかも。いちいちお客さんに感情移入してたら正直もたない仕事だからね」
「……そうよね」
スープを飲み切った皿が下げられる。
しばし無言で待っていると、やがてオードブルが出てきた。
季節のアミューズメント。たくさんの種類の、人を楽しませるために作られたとても凝って小粒の料理たち。
ひとつひとつの丁寧すぎるような説明を、これまたふたりは大人の顔をして聴いていた。
千歳は昔を懐かしむような顔をして、ナイフとフォークを使ってオードブルを切り分けていく。それは正式な作法ではなかったが、傍目から見て不快な動作というわけでもなかった。
恵理子はそんな千歳の手つきをじっと見ていた。そういう子だ、この子は、……むかしから、そういうところのある子だった。
間違っているのに、雰囲気でなんとなく許される。
「……ねえ。千歳?」
「なあに?」
恵理子は目を閉じて、小さく息を吐いて、思い出す。ありのままの事実を。
――私は、私たちは、殺人者。
人殺し。
目を開けた。
「私たちがあの子を殺したこと、今でもちゃんと覚えている?」
千歳は食事の手を止めて、にっこりと旧友に笑いかけた。
「……あれはね、仕方なかったんだと思うよ恵理子」
千歳は、大人の装いで、大人の態度で、大人の言葉を。
「だってさ。……中学生とかいうお子ちゃまに、いじめの自覚とか促しても、無理じゃない?
気づくべきは、大人のほうでしょう、……そうだねえ私たちもこれからは気をつけないとねえ、もしもねどっかでいじめとか見かけたらさ、子どものお手本になるように、ちゃんと――」
「お手本? ちゃんとって、何? まさか人殺しの私たちが、そんなことできるだなんて思ってないわよね?」
先程までの穏やかさとは一転、恵理子は感情を剥き出しにした。
紅い口紅から漏れ出る言葉。
「だからさ恵理子。そんなに感情的になることないってば。私たちはもう大人なんだから――」
「私だってそれを何度も言われてきた。大人になれば、大人になればって。だから大人になればきっとどうでもよくなるんだ、なれるんだって思っていたわ。それがたとえ生涯ゆるしがたいことでも!」
――帰り道、ふらふらと、まるで吸い寄せられるように、道路に。
――不幸な事故でした。
――でも、クラスのみなさんのせいというわけでも、ありません。
――
――とても、残念でした。
――でも。大人になれば。きっと、みんなにもわかると思います。こういう事故は、生きていれば、ときどき起こってしまう、よくあることだって――。
「あの子はいじめを受けていると遺書にあんなに熱く残していたのに! そして! ――私はその事実に気がつきながら見て見ぬふりをしてきた!」
千歳はきれいに微笑んでいる。まるで、わかるよ、つらいよね、とでも言いたげな湿った感情の丸出しの顔で。
主犯格は、
成海
暴力をふるい、ときには裸に剥いて写真を撮った。
霞山千歳たちのグループは、成績がよく教師のお気に入りである逢沢恵理子には彼らなりの距離感を取っており、決してターゲットにはしなかった。
逢沢恵理子もそのことはよくわかっていた。今ここで黙っていれば、霞山千歳の一味は絶対に自分の方には牙を剥かないとわかっていた。
だから、見て見ぬふりをしていた。
「……大人になればって、言われた、から。大人たちに、なんども」
恵理子はうつむいてスパークリングワインの残りにどうしようもない顔を映した。
「もう大学も卒業して、社会人、やってるし。……でも」
「ねえ恵理子。私ら、ゆーても、まだ二十三なんだよ?
大人の気持ちなんて、まだほんとの意味ではわかんないって」
「……でも、大人になってから、もう三年経ったわ……」
「そういえば、恵理子は私を三年区切りで呼び出すね。……あの事故のときから。
前回は二十歳になったとき、安い居酒屋でこんな話をした。その前は十七になった春、だから高校二年のときか。……その前に遡ればちょうど三年前はあの日の事故。……私に罪でも認めさせたいの?」
「わかってるなら、よく、のこのこと毎回来るじゃない……」
「だって、可哀想だから」
人殺しは、人殺しを労わって大層優しく笑っていた。
「ずっとガキの不幸な事故に感情移入しすぎちゃって、ちっとも大人になれない恵理子がさあ、哀れだから、――つきあってあげてんだよ?」
「……事故じゃないわ。あれは、やっぱり、……いじめという名の殺人だった」
「だから?」
人殺しは、苦笑しながら杯を持ち上げた。
「そうだとして、今更、私たちにできることがある?」
「それは成海さんを忘れないこと」
「だからこうやって三年置きに私のこと呼び出すんだ恵理子って。ただ小さいころから知り合いってだけで、特に仲よくもないし話題だってないのに。
ねえ恵理子。……葬儀屋なんて仕事を三年もやってるとわかるけど、人は当たり前に死ぬ。ときには殺す。とにかく死ぬ。そして悲しむ。……そして、やがては忘れてく。
……子ども時代の事故なんて。一生引きずっていては、とてももたない」
「それでも私たちは、あのとき確実に成海さんを殺した」
「うん。私たちは、成海加子を殺した」
恵理子は弾かれたように千歳を見上げた。
……千歳が、加子を殺したことを認めたのは、たとえ言葉の上だけであれ、初めてのことだった。
「そういうことなのかもしれないって思いはじめている。――でも、だから何?」
千歳は、野蛮に口の端を歪めた。
いじめをしていたあの日みたいな顔だった。
「今更そう思ったところで、私や、私の友達や、……アンタにできることが、何かひとつでも――あるっていうの?」
「成海加子さんを忘れない」
恵理子は気がつけばきっぱりとそう言っていた。
「……それだけのことよ」
「……はは、遺族にしてみりゃ、ただの、……はた迷惑」
千歳は手のひらでおでこを押さえて、天を仰いだ。
どんなにきれいで大人の装いをしていても、その仕草は、授業中当てられて本気でわからないときの苦悩のポーズと、全く同じだった。
「勝手に殺して、勝手に弔ってく。そんな茶番をしてるんだからさ」
恵理子はそんな千歳をじっと見ていた。
そして、やがては口を開いた。
「それでも、成海加子さんを、忘れない」
★
レストランの喧騒は和気あいあいとしている。
人々は、まるでいちども罪なんて犯したことないですよみたいな顔で、平和なひとときを楽しんでいる。
きっとまた。
三年後には、どこか二十六歳に相応しい場所で勝手に弔っている。
恵理子と、そして、もしかしたら、結果的に来たなら千歳も。
千歳が、あるいは千歳たちが、あるいは千歳と恵理子たちによって、
あるいは単なる青春の発熱で、
ただ若くして死んでいった、たったひとりの人間を。
どこにでもいる人殺したちの、ありきたりな晩餐 柳なつき @natsuki0710
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