三年目の憂鬱

東雲 彼方

だから今日は、(私の)活動休止記念日。

 好きだったバンドが活動休止宣言をしてから早三年。もうそんなに経つもんかぁ、とSNSの自分の呟きを見て思い出す。決して推しバンドのことを忘れていた訳ではない。そうじゃない。むしろ忘れられないから無理矢理記憶に蓋をして、なるべく思い出さないようにしていたのだ。

 とはいえ推しバンドが売れていて有名だったかと言われると「NO」としか言えないのが実情で。ぶっちゃけSNSでエゴサをかけても一件ヒットするかどうか、とか本人たちが言っていたのだから間違いないのだろう。

 だから「俺たちはこれから少しの間、活動休止します。各々がもう少し成長したら戻ってくるよ!」と宣言したライブの日に喚いていたのも数人のサブカル系オタクだけだった。かくいう私もそのうちの一人。まぁインディーズバンドの追っかけしてる時点でお察しなのだが。サブカル系オタクに嫌悪感を抱くことは多いけれど、多分これは同族嫌悪の類なのだろう。――なんて、SNS上のマウント合戦を冷ややかな目で眺めながら考える。

 同族嫌悪の争いは見るに堪えない。今日もタイムライン上で大喧嘩。ああ嫌になる。活動休止宣言をした日だからって、誰かが「いつまでも待ってるよ!」みたいなことを言っただけで「そんな売れないバンドの追っかけしてて何が楽しいの? ウケるwww」みたいなクソリプの嵐。見てて不愉快以外のナニモノでもないから私はそっとブロックをする。そんな毎日。生産性などそこには無い、必要としていないから。

 ふう、と溜息をひとつ吐いてベッドの上で蹲る。いい加減パジャマから部屋着に着替えるくらいはしなきゃなぁと思ってから数時間。既に昼。ひっきりなしに鳴るチャットの方の通知は全部無視してまたネットの海に潜った。嫌なのに、もうこれは中毒だろうか。

 ふと気になって、虫眼鏡のマークをタップする。そして打ち込んだのは、

Alea iacta estアーレア・ヤクタ・エスト

 ラテン語で“賽は投げられた”を意味する言葉だ。トップに出てきたのは相変わらず三年前の同族の呟き。流石売れないインディーズバンド。というか売れないのはこのわかりにくいバンド名のせいじゃないかという気さえしてくる。それでも未だに忘れられないで縋り続けているのは結局私くらいなのだろうか。なんだか寂しい気持ちと優越感とが混ざり合ってなんとも言えない気持ちになる。なんだかなぁ。忘れ去られたくないけど、こんなにも心待ちにしているファンが私くらいなんじゃないかという喜び。推しのお気に入りになりたいわけじゃないんだけどな。

 変わらない日常に辟易として、ただ何か変化が無いかと求めて、無駄だと分かっていながらも最新の呟きを検索する。何度も下に引っ張って、グルグルと回る青い円を眺めてはまた下に引っ張る……それを繰り返す。もう一度言おうか、この行為に生産性など皆無だし、求めてもいない。ただこのベッドの上で完結する休日という名の日常を壊して欲しくて私は縋っているだけなのだ。

 もうこれを続けてどれくらい経っただろうか。分からなくなった頃、急にポンッと新しい呟きが追加された。

「……ほえ?」

 思わず声帯から漏れたぐぇっという変な音にも驚きつつ、その内容に目を通そうとする。けれど焦ってその内容は飲み込めない。

「うそ……嘘だろ……」

 書かれた内容に困惑して、もしかしたらこれは非日常に焦がれた私の生み出してしまった幻想なのではないかと目を疑う。部屋着に着替えて、珈琲を飲んで、深呼吸してからもう一度内容を確認する。狭いワンルームの端に置かれたベッドの上で正座をして。ついでに日付も確認する。よし、今日はエイプリルフールじゃないぞ。

 その呟きはAlea iacta estのオフィシャルアカウントのものだった。

『お待たせしました、Alea iacta est、活動再開します!』

 それは二度と無いとすら思っていた、けれど三年もの間待ち望んでいた言葉たち。すぐさま拡散をしようとするけれど、いいねをつけたのも私だけ。これほどに待ち望んでいる人はいなかったというのか。不安になる。

 大好きなモノが、自分が大切に思っていたモノが忘れ去られていくのって、経験したことがあるだろうか。好きなものを好きと語り合える仲間を失ったことってあるだろうか。私はもう何度経験したか分からない。何度目だろう。また一人になるのか……と寂しさを覚える。

 期待しまくってはしゃいでいた自分を客観的に見れるくらいの冷静さを取り戻した頃にはもう自己嫌悪の沼に浸かっていた。布団を被って無料配信のマンガを片っ端から読んでいく。内容なんて一切頭に入ってない。ただそこにあるイラストを眺めているに過ぎなかった。

 日が沈んだ頃、やっと我に返る。一日ロクにご飯すら食べていなかったことを思い出して買い出しに出る。今日はオムライスにでもしようか。スウェット姿のままパーカーを羽織って外に出る。女子力なんてそこには存在していない。仕事の時に繕えてさえいればそれでいいのだ。

 なんて、言い訳をしながらエレベーターを待つ。

「あ」

 気付いたらSNSを開いている。無自覚とは、中毒もいよいよ末期か。かといってすぐに閉じる気にもなれなくて、また虫眼鏡をタップする。そして推しバンドの名前を打とうとして――ふと違和感を感じた。

 何故、何故トレンドに推しバンドの名前があるのだ。全く有名じゃないら箱埋めるなんて夢のまた夢みたいなバンドとして有名なのに、何故。

 何かに急かされたように私は調べ始める。なんでこんな急に有名になったのか。そしてとあるネットニュースの記事にたどり着く。

『Alea iacta estのボーカル、Tatsukiが歌い手のLeoであることを公表!』

 そこにあったのは空白の三年間もずっと推し続けていたバンドのボーカルの名前と、歌ってみたや動画投稿サイトに疎い私でも知っている有名歌い手の名前。そうか、そういうことか……なるほどね。さぞや今の私の顔は酷いことだろう。

 あーあ、

「……推し事、やめよ」

 ブルーな気持ちで項垂れたまま買い物に行った私は、オムライスの主役でもあろう卵を買い忘れた。

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